北野天満宮 石の間に入れた ヾ(´Д`)ノ☆

待ちに待ったお盆休み ヾ(´Д`)ノ☆イェィ

お墓参りに行ってからそのまま

興味深々だった北野天満宮の石の間の拝観に ε=ε=ε=((((o^ー^)o !!

 

変なお天気で青空と雨雲が共存しています

 

影向の松にこんにちは♪♪と声をかけてから進んでいくと

七夕期間なのでこんなに素敵

 

星欠けの三光門でお友達と待ち合わせです

星欠けっていうけれど

 

 

 

ほら これも入れると太陽と星と月の三つになるよ ( ●´艸`)

ウサギとウサギの間に 銀色に光る三日月が見えてます


なんて言っている間にお友達と合流
Tさん 今日も宜しくね~

 

さあ 道真公にご挨拶 Ψ(`∀´)Ψ こんにちは~

正面に来るとどうしても『唯一の立ち牛』に目が行ってしまいます

神社に沢山牛がいますが これ以外の牛はすべて伏せています

 

今日の目的は『石の間』からの参拝です ワクワク (((o(´∀`)o)))

写真はきっとNGだろうし 看板でも写しておきましょう

 

 

 

受付 なんと私たちが1番でした "(p´Д`q)"

本殿正面の左側から回り込み石の間の前で20名ほどが揃ってお祓いを受けます

そして拝殿の西側から進む順路でした

 

案内の方が

この建物は権現造りと言います 権現造りの中でも特に八棟造りと言います

8つ棟があるというわけではなく 沢山の棟があるという意味です

拝殿と本殿が最初から一つの建物になるように屋根が作られています

現在の建物は慶長12年に豊臣秀頼によって再建されました

その証拠にあちこちに有る擬宝珠に秀頼の名前がきざまれています

ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!! と丁寧に説明してくださいました

 

拝殿も広々としてとても立派です

天井は織り上げ格天井 蟇股の間には動物や鳥の見事な彫刻がありましたが

お部屋自体は長方形の広い空間で 

道真公を慕う方が沢山入れるようになっているのでしょう

 

拝殿から本殿を見ると奇妙な感じに襲われます

拝殿は階段10段ほどの高さがありますが 石の間はがくんと低くなっていて

本殿は拝殿と同じ高さです まるで間に川でもあるような気持になります

まるで神と人間には越えがたい隔たりがあるんだと実感するような… w|;゚ロ゚|w

 

拝殿に続く楽の間を出て石の間に入ります  ♪d(´▽`)b♪

石の間という通り地面は切石が敷き詰められています

そして階段2段分の高さの床に畳が敷き詰められています

今回はその上に絨毯が敷かれているので畳は見えませんでした

 

石の間は5mほどの幅でしょうか

天井を見ると屋根の勾配がそのまま見えます

天井を張らずに化粧屋根裏になっていました

拝殿の千鳥破風と 本殿の千鳥破風(妻?)が向き合っています

本殿の千鳥破風部分には3個の桃の彫刻がありました

イメージはこんな感じ(北野天満宮 拝殿の彫刻)

桃は古事記にあるように魔除けになります

 

本殿が見れるとは言っても 本殿の前には端から端まで御簾が下がっており

透けて見えるものの その向こうの白木の扉は閉ざされていました

。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。

 

係の方に ご本尊の道真公はどんなお姿ですか 

木像のお姿があるのですか とお尋ねしたら

私も見たことが無いのでわかりません  w|;゚ロ゚|w というお答えでしたが

仏教にあるような木の像などはありませんとも仰いました(知ってるんやん)

鏡のようなものがご神体なのかな~ ?(゜_。)?

 

石の間から本殿に上がれるように真ん中に階段がありました

階段には欄干があり 擬宝珠があります

近くに行ってしっかり見ました(本当は触りたかった)

右大臣 秀頼公 云々 って左右の擬宝珠ともに書いてありました

(((o(´∀`)o)))

 

本殿の正面で道真公にご挨拶を申し上げ 左右を見ると

狛犬がいました 向かって右は金色の身体に緑のたてがみ

向かって左は金色の身体に青いたてがみです

角はどちらにもありませんでした

こんなイメージです 北野天満宮はどちらも金色で角はありません

 

本殿正面には向かって左から菅公御遺愛の硯箱 もう一つ何かの箱

二人で向き合って持てるような棒のついた水桶

(上に梶の葉の束ねたものが乗っていた)

急須のようなもの これらはすべて黒漆に金色で梅が描かれていました

 

更に石の間にも展示がありました

石帯・・・ベルトのようなもの

笏を入れておく布の袋(中に笏も入っていたかも)

中啓・・・外側が広がった扇

こんな感じで 全体に色つきの絵が描かれていました

 

状態が非常に美しかったので レプリカですか?とお尋ねしたら

道真公が使われていたと伝わっています とお答えいただきました

。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。

 

本殿に向かって左側には鬼神像13体がありました

初公開だそうです

木造鬼神像は平成14年の北野天満宮1100年大萬燈祭のおりに

本殿の奥にあった長持ちの中から発見されました

かなりの傷みがあったので修復されて今回の初公開ということになったそうです

 
像の高さは60CMほど ヒノキで作られて当時は彩色が施されていました

誰かに似ているな~ フフフ ダウンタウン松ちゃんにそっくりです

特に目のあたり 13体とも松ちゃん似でした

手のひらを丸めていたり なにか武器を持っていた跡がありますが

今は残っていません 

 

記録によると平安京の大路小路の辻に置かれた岐神(ちまたのかみ)が

この木造鬼神像であるといいます 岐神とは 邪鬼が運んで来る災厄を入れさせないための守り神(鬼神)なので 邪鬼には鬼神でもって制するというわけです

画像は THE KYOTO 平安京の守り神 アートの見方 《十三鬼神像》よりお借りしました

 

そんなこんなで石の間拝観を終え

外に出て写せそうな擬宝珠を探しました

ジャ~ン 拝殿正面の擬宝珠です

右大臣 秀頼公 北野天神 一行読めず 慶長

って書いてあるよね ヽ(。´Д`。)ノ 

残念なことに秀頼のところに鋲が打ってある w( ▼o▼ )w

 

★鬼切

なんと スマホなら刀だけは撮影OK ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

 

髭切の所有者の中に頼朝は入れてもらってないね  。゚(゚^Д^゚)゚。

 

 

鬼切にまつわるお話し

源頼光は一条大宮に用事があり 渡辺綱に髭切を渡し使者として遣わした

深夜綱が帰る途中 一条戻り橋で美しい女に「夜道が怖いので送ってください」とお願いされて馬に乗せたところ 女が鬼になり襲いかかって来た

鬼は綱を掴んで飛び立ち愛宕山へ連れ去ろうとしたが

綱は少しも騒がず北野天満宮上空に来た時に髭切で鬼の腕を切り落とした

切られた腕は北野天満宮に落ち、鬼はそのまま愛宕山に飛び去った

 

渡辺綱は助かったのは北野天満宮のご加護だと

お礼に燈籠を寄進しました

綱が斬った鬼女は貴船神社の丑の刻参りの起源とされる宇治の橋姫だそうです

 

これが綱が寄進した灯籠です 

これって鬼が居た証拠になるかしら (σ≧∀≦)σ

 

★蜘蛛切(膝丸・薄緑) 大覚寺が所有

 

 押し型が鬼切と一緒に展示

蜘蛛切(膝丸・薄緑)にまつわるお話し

源頼光が毎日発熱し 頭痛を伴って苦しんでいた

夜明け方 源頼光は幽かな灯火により身の丈7尺ばかりの法師が

つかつかと歩み寄り源頼光を捕縛しようとしたので
驚きつつも跳ね起きて

「何者なれば頼光に縄をば附けんとするぞ。悪き奴かな」
と言い放ち 枕元に立てて置いた「膝丸」を手に取り法師に斬りかかった

灯台の下を見てみれば血痕が見られた。
看病していた四天王各自が松明を携えて見回ると

妻戸より簀子の方へ血痕が続いていた。

源頼光主従がこの血痕を追跡していくと、北野天満宮の後ろの大塚に到達し、
この大塚を掘り起こしてみると4尺ばかりの「山蜘蛛」が出てきた。
この山蜘蛛を捕獲した後、源頼光は 「安からざる事かな。これ程の奴に誑かされ、三十余日悩まさるるこそ不思議なれ。大路に曝すべし」
と言って、この山蜘蛛を鉄串に貫いてある河原に突き立てて曝した。
これ以後、「膝丸」は「蜘蛛切」と呼ばれた。

 

蜘蛛塚(源頼光朝臣塚)は上品蓮台寺にあります

 

そして 北野天満宮にある東向観音寺に
土蜘蛛の灯篭(火袋)=土蜘蛛塚があります

東向観音寺に入ってお堂の左に進むとすぐに伴氏廟があります

伴氏は道真公の母方です

 

その左にある小さな祠の中に 土蜘蛛灯籠の火袋のみ祠に入っています

 

梶の葉も探しに行きました

北門を出て左 天神川の橋の手前にメチャクチャ大きな木がありました

 

受付に並んでいるときに係の人に写していただきました Ψ(`∀´)Ψ

 

渡辺綱の灯籠を必死で写しているところを Tさんが激写

まるで夏休みの幼稚園児のようです

実は石の間の公開時間を間違っていたので 美味しいものを食べて待ちました

凄い雨が降ったけれど 奇跡的に宝物殿に入っていた間でした

Tさんと 持ってるね私たち って言うのが合言葉です

Tさん マニアックなお出かけにご一緒していただいて

いつもありがとーね 久しぶりにスッとしました ┗|*`0´*|┛

友禅流し ヾ(〃^∇^)ノ

話には聞いたことがあるし テレビでは見たことがあるけれど

実際に見るのは初めてです 友禅流し (@⌒ο⌒@)b

 

帰りにちょうど見れるね 行きましょうよって感じで

路地うさぎ帰りにご一緒させていただきました

 

四条大橋から三条に向かって歩きます C= C= C= ┌(゚∀゚)┘

早速京都府のブースがあったので いろんなパンフを頂きました

もう一つの京都へ どれも魅力的なポスターやわ~

 

川の中で反物がユラユラしています

一反やったらもっと長い気がするけれど・・・

 

見ていると反物を手繰り寄せて 左右に激しくユラユラさせ

全部手繰り寄せてから 一気に放ちます

ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪ キレイ 

 

色々な反物が並んでいると ユラユラと涼し気で良い感じです

エイってほり投げるところがカッコいいね .+(〃ノωノ)゚.+°―!! 

 

舞台では友禅流しの説明をしていましたが

お客さんは座っていませんでした

そりゃあ やっている方を見るよね 

手話通訳をやっていました 懐かしいわ~ 今はもうできません

 

みそそぎ川の上ではもちろん納涼床も開かれています

芸妓さんがいたので 思わずアップにしてしまった

 

色々な県のブースもありましたが買ったのはここ 広島県

なんだかどれも美味しそうに見えます

 

熊本県では お祭りでこんなのをかぶってみんなで踊るんですって

 

先斗町の歌舞練場のビアホールに行きたいね~とか

蘭陵王がこっち側にもいるね~とかお話ししつつ

防鴨河使や寛文新堤の話もしてちょっと確認

三条大橋で皆さんと別れました

今日も何だかんだ楽しかったね~

また来月もお会いできるのを楽しみにしています

ヽ(。´Д`。)ノ

 

ケチな私が お土産を買いました !!(゚ロ゚屮)屮

東山36峰が全部書いてあるのと 賀茂川にかかる橋の手ぬぐい

可愛いよね ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃

1000円以上になったので 真ん中の賀茂鶴はおまけでもらえました

メッチャラッキーやん

 

路地うさぎでの 今日の『おやつまみれ』はこんなかんじ

暑い毎日 相変わらず残業が続きバタバタと過ごしていますが

毎日が楽しい (((o(´∀`)o))) 皆さん ありがとーね♪♪

祇園祭 長刀鉾の曳初め ヾ(´Д`)ノ☆

山鉾が建ち並び いよいよ曳初めですが

今年は関係者以外は見学のみ 残念ですが仕方ありません

会社で仕事中でしたが ふと窓の外を見ると車の大渋滞が…  w|;゚ロ゚|w

 

このあたりで渋滞などありえません

ピンときました 通行止めをしているということは

きっと今が曳初めの時間なんだ щ(゚ロ゚щ)

 

お祭り好きを知っている上司が やすこちゃん 行ってきてええよ~♪

その言葉を聞くや否やスマホだけをもって飛び出しました (σ≧∀≦)σ

 

ここは四条通です もちろん全面的に通行止めよ

わ~ キタ~~~ Ψ(`∀´)Ψ こんなに少人数で曳いています

 

 途中でロープをつないで 子供たちが曳き手に加わりました

近づいてきました

お稚児さんもはっきり見えます

さっきまで座っていたお稚児さんが おもむろに立ち上がりました

 

 

やった~ 「太平の舞」を舞ってくれます

なんかちょうどいい場所になりそう ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

 

そして 胸に付けた太鼓をポンと鳴らします

舞い終わると着席です

涼し気なお顔ですね ヾ(´Д`)ノ☆

エンヤラ ↑↑↑ 

   ヤー--- ↓↓↓

 

エンヤラヤ~ という声が聞こえてきませんか (((o(´∀`)o)))

前に進むときの掛け声です カッコいいね

 

さあ 長刀鉾の会所に帰ってきました

 

到着~ (@⌒ο⌒@)b なんとなくポーズで分かるでしょ

二階建ての渡り廊下が差し出されます

お稚児さんが出たのがわかりますか

 

 

 

真木に括りつけられたサカキ

天王座を写すのはスマホじゃなくって大砲みたいなカメラでないと無理かも

破風下の三条小鍛冶宗近

 

芸術品やね (@⌒ο⌒@)b

 

仕事中なのに1時間も夢中で見てしまいました

今日のお昼休みを2時間につけておきましょう

会社の皆さん ありがとーね これで心置きなく働けます ♪d(´▽`)b♪

 

東本願寺 ヾ(´Д`)ノ☆ 素晴らしいな~

「京都史跡ガイドボランティア協会」の本願寺ツアーに参加させていただきました

毎月のようにアチコチ行けるのはここのおかげです (((o(´∀`)o))) 

 

本願寺と言えば西本願寺龍谷山 本願寺)と東本願寺真宗本廟) 

ついつい比べてしまいます

 

顕如と信長の10年にもわたる戦いがあり

そのあげく 顕如は朝廷などによる和睦交渉を受け入れましたが

長男:教如は父から絶縁されながらも武闘派門徒と徹底抗戦を選択 w|;゚ロ゚|w

 

こういったいきさつで父:顕如は次男:淳如とともに本願寺を守っていきます

本能寺の変後 父と長男:教如は和解します

 

顕如逝去後 教如本願寺継職となったけれども

顕如夫人が秀吉を訪れ 顕如の遺言では継職譲渡は次男の淳如だと伝えました

色々あり長男:教如は辞職させられ 次男:淳如が継職になりました

 

その後 関ケ原の合戦後 家康が教如に土地を与え 東本願寺が設立されたのです

このため元々の本願寺を区別するために西本願寺と言うようになりました

(゚-゚)(。_。)ウンウン

 

ここまでだけでも 沢山のドロドロがあるのに

東本願寺はたびたび火災にあい 何度も伽藍を焼き尽くし

昭和になってからも お東騒動と言う保守派と改革派の対立があり

門主などの権力闘争や財産問題もあり ドロドロが続きました

 

困難な問題があったことで 東本願寺は宗教団体としてそれを乗り越え

包み隠さず 信念を持ち 世界に向けて発言し 強い体質になっていきました

そして素晴らしい今を見せて頂きました ♪d(´▽`)b♪

 

★御影堂門

 

単に大門(だいもん)とも言いますが 大きな門という意味ではなく

仏説無量寿経の中の たいぎもんくどく の略称で大門ですって 

 。゚(゚^Д^゚)゚。 漢字が書けません 意味も余りわかりません

 

後から教えて頂きました まりもさん ありがとーね♪♪
ダイギモンクドクは「大義門功徳」
http://labo.wikidharma.org/.../%E5%A4%A7%E7%BE%A9%E9%96...

 

 

高さ29.6mの二重門で日本一の高さです

扁額「真宗本廟」は伏見宮貞愛親王です あっ 鳩がいた

                    ↓ この辺

 

この門には面白い事が色々あります

その① 柱の足元に獅子がたくさん居るんです (((o(´∀`)o)))

 

勇ましい子や可愛い子がたくさんいるんですが

たった一人だけ 眠っている子がいます 訪れた時は探してみてね ┗|*`0´*|┛


 

その②

山門をくぐる時の地面 ほぼ まっ平でしょ (゚д゚)(。_。)ウン!

たいてい 材木一本分またぐ部分がありますが 

浄土真宗では誰でも受け入れるという信念から 妨げになるものを排除しています

 

その③ 龍が多い  ↓↓↓ これは門をくぐる時の頭の上です

上の階に上がらせていただきました

扁額がでっかいよ~ ハートもいっぱい ♡ ♡ ♡

 

 

南側には 京都タワーが見えます 曇りで残念

南東の角には こんな龍

龍を下から見上げる時 必ず逆鱗を探してしまいます

無いよね (σ≧∀≦)σ

東を向いて見えるのは「布団来て寝たる姿や東山」

北東の角には

 

北西の角にはこんな龍

のどの形がウンと違います 男の子かしら (単なる想像です)( ◎´艸`)

西には御影堂があります

 

今度は南西の龍です

 

ちょっと離れると龍が見えにくいですが 京都タワーも逆蓮華の擬宝珠も奇麗ね

 



中の仏様も素敵でした

面白かったのは 天井が真っ白 (゚Д゚) ソウナンダ??

竹内栖鳳が描く予定でしたが 様々な理由で描けないままに・・・ヾ(≧ω≦)ノ

★ モデルの女性が体調不良になった

★ 天井の木の油分で描けなかった

★ (遊ぶのに?)忙しかった

フフフ 本当の理由はどれでしょう (σ≧∀≦)σ

 

 

阿弥陀堂 御影堂も丁寧に見せていただき どんどん奥へ

御簾が下がり 格天井のお部屋には素晴らしい画がありました

竹内栖鳳が描くスズメは一羽で家が一軒買えるほどの値段だそうですが

そのスズメが飛び回っていました

なんと2羽 分からないように盗まれたとか それも一番素敵な

向き合っているスズメですって 見たかったな~ 。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。

 

能舞台です ↑↑↑

 

さあ いよいよ白書院よ ↓↓↓ ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

超豪華ね~ 黄金色に輝いて 折り上げ格天井です

藤の画が多いのは 親鸞藤原氏の出だからで

ボタンの画が多いのは 近衛家の紋章が牡丹紋だからですって

床の間の畳の縁は 繧繝縁(うんげんべり)でした

お部屋の格によって畳の縁も違っています

格が高いのは左側の模様が複雑な方です

違い棚は 透かし模様は違うけれど醍醐棚のつくりと似ていますね

 

白書院を後にして 今度は別のお部屋に C= C= C= ┌(^v^)┘

1人だと 多分 何処に何がいるかず~っと探してしまいそうです (Ψ▽Ψ*)

 

後ろ向きの人の籠の中に鷹のしっぽみたいなのが見えてます

なんて素敵なお庭なんでしょう

昔はこの池の水も本願寺水道のお水を使っていたそうです

 

順序が逆になりましたが 建物に入る前にぐるりを案内していただきました

鳳凰と迦陵頻伽が優雅に飛んでいます

阿弥陀堂と御影堂
あっ 2年ほど前までお庭にヤギを飼っていたそうです(除草用従業ヤギ)

 

この石垣凄い お堀につながっているみたいです 

近代的な建物にビックリ !!(゚ロ゚屮)屮

昔はこの石垣の上に木の塀があったはず

戦闘モードが一気に高まりました さすが教如です

両脇に2つもの唐破風のお部屋を備えた門なんて 初めて見ました

フフフ 菊の門の内側です
こんな風になってるんだ~

 

この地下にはホールがあって 丸いところが天井に当たり

ガラスの模様から光が差し込むようになっているそうです

 

自分的に一番受けたのは

御影堂は火事にあったので明治28年(1895年)に建てられたものです

その時の棟梁が新しいもの好きでこの部分

昔は胡粉でしたが なんとその時代に一番進んでいたペンキを塗ったんですって

今回の修理でも 明治の時のペンキの成分に一番近いもので修復されたそうです

 

東本願寺でお土産も頂きました

御影堂門の向こうに見えるのは京都タワーだよ~  (人´∀`*).。:*+゜


 

本願寺水道

本願寺水道」は明治時代後半の1897年 防火用水確保のために作られ

琵琶湖疎水の水を蹴上付近で取り込み

東本願寺までの市街地約4.6キロに鋳鉄管(直径約30センチ)を埋設して引きました

琵琶湖疏水と同じく田邉朔郎の設計による当時の最新の技術が用いられた大事業でした

 

老朽化で漏水が激しく2008年に停水しましたが

東本願寺の堀などの水を補うのにも使われ

防火用水のバックアップの役割も担っていました

地形をうまく利用した画期的な設備で使われなくなったのが残念です (゚д゚)(。_。)ウン!

 

東本願寺と環境を考える市民プロジェクトの画像をお借りしています



大火事で何度も痛い目にあったので 本願寺水道は素晴らしいものでした

江戸時代に4度の火災に遭って焼失し 門徒の力で4度とも再建されています

その名残がいっぱいあります

名前が期待を込めています 今は水道水ですが

昔は蹴上からの高低差を利用した圧力で45Mほど(?)吹き上がったそうです

境内のいたるところに建物を取り囲むように 放水銃があります

火事になっても石垣は残ります

赤く変色しているところは 火で焼かれた跡のようです

二条城もこんなふうになってるよね

 

門前のこの噴水も本願寺水道の水が使われていましたが
吹き上がりすぎるので 近隣の住民からは苦情も寄せられたとか

もちろんお堀の水も本願寺水道のお水でした


お寺の方にお尋ねしたら 名残が見れるというので帰りに寄ってきました

五条大橋の下を通っているそうです

ε=ε=ε=((((o^ー^)o ブ-ン!!

 

あっ さっき内側から見た菊門の表側はこんな感じ

 

うわ~ 東本願寺も鬼門除けしてる o(>▽<o)(o>▽<)o

御所と同じね 北東の角です

 

五条大橋と言えば ご存じ この石像があるところです щ(`∀´)ш

公儀橋だったので擬宝珠が付いています

潜ってみましょう

色々あったけど 直径30cmほどで古そうなのって これかな (・'v`・)??

ミニミニ鍾乳石発見  w|;゚ロ゚|w

お友達発見

え~ 食堂デイズ 今日まで夏休み w( ▼o▼ )w

白いオムライスを楽しみに こんなに歩いてきたのに・・・

家に帰ると息子から荷物が…

ヤッパリ今日も素敵な一日になりました

 

ツアーを企画してくださった「京都史跡ガイドボランティア協会」の皆様

東本願寺の皆様

凄く楽しい一日でした ありがとうございます ヾ(´Д`)ノ☆

 

カテリーナさんのコンサート と 向阿忌 ヾ(´Д`)ノ☆

ウクライナ チャリティーコンサートが清浄華院で開かれ

バンドゥーラ奏者のカテリーナさんが演奏し 歌ってくださいました

 

カテリーナさんはウクライナ出身です

チェルノブイリの近くで生まれたのは なんとあの原発事故の一か月後だったそうです

そして カテリーナさんは日本語を話します

ビックリでした ♪d(´▽`)b♪  日本語だったのでお話もよく理解できました

 

 

バンドゥーラって初めて見ました

ギターみたいなものかなと思っていましたが ピアノに近いんですって

ギターの様に指で押さえて音階をとるのではなく

65弦がそれぞれ決まった音で 後ろのタブのような所で半音上げ下げします

バンドゥーラの向かって左側の弦の長い部分はベースのようなもので

左手で伴奏を弾きます 右手はメロディー 心に響く音色でした

 

清浄華院は御所の東隣です

最初は慈覚大師 円仁が清和天皇の勅願により宮中に建立した仏殿・禁裏内道場でした

お隣に移るまでずっと御所の中にあったので

山号がありません 

山号って お寺が建っているお山の名前だったのね  w|;゚ロ゚|w

 

御所と向かい合う 寺町通の御門はこんな感じに立派です

 

私はいつも河原町通りの御門を利用しています

今日の催しは大殿ではなく こちらの建物です

 

さあ 始まりはじまり~ ・:*:・(*´エ`*)ウットリ・:*:・

 

カテリーナさんはメッチャ美人です

民族衣装の裾の長いワンピースです

黒地でゴールドのような山吹色のような 大きな植物模様があります

ネックに紐が入ってギュって絞ると丸ヨークになる感じの素敵なワンピースです

華やか (@⌒ο⌒@)b

 

ゆったりとした子守歌のような 母を思うような

気持のこもった歌声を楽しみました (((o(´∀`)o)))

 

歌だけでなく ご自身のお話も・・・

カテリーナさんはチェルノブイリの近くで生まれましたが

それはあの原発事故の一か月後だったそうです

チェルノブイリ出身の子供は発育が悪かったため

小学校では給食にチェルノブイリ出身の子供だけに特別にバナナなど

栄養のあるものを食べきれないほど与えられたそうです

これって 差別の原因になりますね

 

6歳の時に原発で被災した子供たちで構成された音楽団に入団して

色々な国から呼ばれるようになり海外公演をしましたが

そのひとつに日本も含まれていました

日本はチェルノブイリから遠く離れている上 

平和で安全だと良い印象を持ったそうです

成長し再度日本で演奏活動をするようになり 結婚もされ子供にも恵まれたところ

日本で福島原発事故に出会い 現在はロシアのウクライナ侵攻

 

バンドゥーラは昔 目の見えない人によって演奏されていました

日本の琵琶法師と似ていますね

バンドゥーラ奏者は300人程いました

ロシアが演奏旅行をすると言って その人たちを全員列車に乗せ

どこかに向かっていきましたが二度と帰ってくることはありませんでした

 

昔からロシアはそんな風だったんだと思うと 更に恐怖を覚えました

その頃はソビエトかしら

悲しくて心が痛いお話しでした 。・゚(゚⊃ω⊂゚)゚・。

 

綺麗なメロディーの曲と歌が続き

最後の曲が終わり感極まって拍手を続けていると

じゃあ もう一曲とおっしゃって

伴奏なしでうたってくださったんです

それも 日本語で 『ふるさと』を3番まで

涙が出てしまいました  。゚(゚^Д^゚)゚。

 

実はこの日はウクライナから避難してきたお母さんとの

対談も予定されていたそうですが

お母さんが京都に向かう新幹線で迷子に・・・!!(゚ロ゚屮)屮

 

よりによって この日は何らかの理由で

AUの電話回線が繋がらなかったんです

日本語出来ないのに大丈夫だったかな~ 

心配です…o(;-_-;)oドキドキ♪

 

ウクライナ支援の御朱印と カテリーナさんのサイン入りCDを求めました

 

 

 

コンサートに先立ち 向阿忌の法要と

記念講演がありました ヤッター Ψ(`∀´)Ψ

先生は 香雪美術館の大島幸代先生です

内容は清浄華院が持っている阿弥陀三尊像と3つの来迎図について

 

 

★国宝 信悦筆 阿弥陀三尊像 三幅 南宋時代

画像はWikipediaよりお借りしました

 

ずいぶん前 この画が国宝に指定された時ワクワクしてお寺に見に行きましたが

全体的に暗くって画もボーっとしていてよくわかりませんでした w( ▼o▼ )w

清浄華院様 信悦様 ごめんなさい

でも今日の講演を聞いて納得

この画は阿弥陀様におすがりしたいと思った時に

一般ピープルの心に現れる漠然とした阿弥陀様を表しているのではないかと…

(人´∀`*).。:*+゜ へ~ そうなんだ

 

阿弥陀聖衆来迎図

これは当日頂いたレシピのスキャンです 本物は真っ黒になって見えにくいので

CTスキャン(?)した画像らしいです

 

知恩院阿弥陀二十五菩薩来迎図や

永観堂の山越阿弥陀図は 軽々と山を飛び越えてくる感じですが

それとはちょっと違っていて

山々の峰の間を人間が歩くように谷筋に沿ってやってくるんです

見えにくいけれど山の間から菩薩様のお顔が見え隠れするところが面白いの

下には水が描かれています

 

この画の特徴は 阿弥陀如来地蔵菩薩が向き合っていることですって

今までお地蔵様が来迎図に入っていることに気付いていませんでした

 

当日 この画の実物を見ることが出来て結構感動 

黒っぽいけれど阿弥陀様が足を出している様子も見えました

何とこれは恵心僧都源信の作です 名前の文字を見てビックリ !!(゚ロ゚屮)屮

あの往生要集の源信です 絵も素晴らしいんだ (@⌒ο⌒@)b

 

その他 人毛を刺繍している来迎図のお話など聞いて

へ~ の連続でした ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!

 

 

こんなに素敵な催しをしてくださった清浄華院に感謝です 

ヾ(〃^∇^)ノ ありがとーね

そして

ロシアが早く目を覚ましますように (゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン

高台寺『時雨亭』特別茶会 ヽ(。´Д`。)ノ

 「ねね様 四百年遠忌」を記念して

国指定重要文化財の茶室「時雨亭」での特別な茶席です

 

この一文を見つけた瞬間に 行きたくてたまらなくなりました

そして今日 夢がかないました もうルンルンです ヾ(´Д`)ノ☆

 

高台寺(こうだいじ)は豊臣秀吉正室である北政所ねね様が

秀吉の冥福を祈るため建立した寺院です

高台寺という名前は北政所の落飾後の院号である高台院にちなんでいます

ねね様は後陽成天皇から「高台院」の号を勅賜されました

そういえば聚楽第行幸したのは後陽成天皇でしたね (゚д゚)(。_。)ウン!


禅宗寺院であるとともに
秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格があります

霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ

これを「高台寺蒔絵」と言います

他にも北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから

「蒔絵の寺」の通称があります


お稽古でも高台寺蒔絵といえばこんな模様を言います 菊桐蒔絵とも言いますが

とっても奇麗です

 

高台寺には有名な茶室が4つあります

傘亭・時雨亭・遺芳庵(いほうあん)・鬼瓦席です(ほかにもありますが)

 

その中でも『傘亭』・『時雨亭』は利休作とも言われており(これは嘘です)

伏見城から移築されました

傘亭は秀吉が舟遊びをした時に使われたお茶室 つまり水辺に建っていました

時雨亭は当時は丘の上にあったと考えられています 

 

この2つを高台寺に移築した時に 小堀遠州によって土間廊下でつながれて

この地におさめられました

遠州 お洒落やね (((o(´∀`)o)))

 

さあ 有名な『ねねの道』を通り

 

高台寺の入り口は こんなにも京都らしいのよ

 

真ん中の提灯は 菊乃井 右隣は中村楼 さすがに有名どころやね ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!

 

★遺芳庵

参拝順路の最初に出てくるのが遺芳庵です

 

灰屋紹益が夫人の吉野太夫を偲んで建てたものといわれます

一畳台目の小規模な茶席で、炉は逆勝手向切り

吉野窓という壁一杯に開けられた丸窓が特色です

 

吉野太夫は美貌だけでなく歌・連歌などの才能があり琴の演奏にも

茶道や華道、書道などにも秀でた才女でした

 

灰屋紹益は江戸時代の豪商で 芸術家・本阿弥光悦の甥光益の子どもです

本阿弥光悦から茶の湯や文芸を学び

修学院離宮を造営した後水尾天皇桂離宮を造営した八条宮智仁親王とも

親交がありました !!(゚ロ゚屮)屮  天皇とお友達だなんて !!w(゚o゚*)w

 

 

大きな丸窓は吉野窓です

仏教では完全な円は完成した悟りの姿を示すといわれていますが

この「吉野窓」は窓の下部が僅かですが 切れて直線となっています

吉野太夫はこの吉野窓に完全ではない自分の姿を映し 自らを戒めていたそうです

 


★鬼瓦席

遺芳庵の向かい側にあるのが鬼瓦席です

四畳半の茶室で遺芳庵と同様 紹益の旧邸跡から移築したものです

見たいのに木が茂りすぎて見えにくいです いえ見えません  。゚(゚^Д^゚)゚。

 

この鬼瓦が特徴です この写真はネットよりお借りしました

 

さあ いよいよ憧れの傘亭・時雨亭です

 

★傘亭

正式には 安閑窟(あんかんくつ)といいます

慶長年間(1596年 - 1615年)に高台院により伏見城から移築されたものとされます

宝形造茅葺きの素朴な建物で 内部の天井が竹で組まれ

その形が唐傘に似ているところから傘亭と呼ばれています

 

 

蔀戸のような感じに窓が跳ね上がっていて 中が明るいです

跳ね上がりがたくさんあってリズミカルで 見ているだけでも楽しくなってきます

そしてたった一つだけ 内側に向かって跳ね上がっているのが

入り口のようです

 

右側が水辺にあった傘亭 左側が丘の上にあった時雨亭

高台寺に移築され 

小堀遠州によってその二つが屋根付き土間廊下でつながれました

 

向こうが傘亭 こっちが時雨亭です

 

★時雨亭

この二階建ての時雨亭でもお茶会です

下から見上げたことはありましたが 中に入れるなんて夢のよう (@⌒ο⌒@)b

 

傘亭が北 時雨亭は南と南北につながっています

時雨亭の1階は東西に分かれ 東が土間で西が板の間 

ここでお供の方が待たれていたそうです

この竈は移築してから作られたものではないかと言われました

不思議なことに 土間の真ん中に5CMほどの石が飛び出していました

 


さあ 二階に上がります (((o(´∀`)o)))

入ったとたんにサワサワ~~と涼しげな風が吹き抜けていきました

 

床の間の掛け軸のところには 丸窓が空いています


斑入りの葉っぱは涼しげに感じますね ヾ(〃^∇^)ノ

 

 

丸窓の向こうは ひょっとしたら秀吉が眠る阿弥陀が峰かしらと思い

家に帰ってから地図を確認しましたが 方向が違っていました

 

高台寺蒔絵の高坏で御菓子が運ばれました

もちろん本物の高台寺蒔絵です !!(゚ロ゚屮)屮

 

見た感じよりも モチモチのフンワリでした 

松寿軒の『ひさご』です 美味しい~ Ψ(`∀´)Ψ

 

重要文化財なので火をたくことができません

だから「点出し(たてだし)」という水屋でたてたお茶をいただきます

今 点ててくださっています ありがとーね (人´∀`*).。:*+゜゜+*:.。.*:+☆

茶筅が見えてるよ ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

お茶椀もこんなに素敵です щ(゚ロ゚щ)

 

 

逆光で真っ暗になっちゃいました 。・゚(゚⊃ω⊂゚)゚・。

高台にある上に二階です 見晴らしは素晴らしいものです

風がサワサワ~ ソヨソヨ~ すごく良い気持ちです

 

真ん中の白い物体は 霊山観音です ( ◎´艸`)

霊山観音のはるか向こうには『あべのハルカス』が見えています

 

移築する前の伏見城では秀吉とねね様が

移築してからはねね様がこの席で この風を この景色を楽しまれたのかと思うと

感無量になってしまいました

 

有名なお話ですが

大坂夏の陣の際には 伏見城から移した茶室「時雨亭」の2階から

高台院は燃え落ちる大坂城天守を見つめていたといいます

 

話しか知らなかったときは ホンマかしら?(・'v`・)?? とも思いましたが

実際 大阪が見えるんですね ┗|*`0´*|┛

 

御菓子が乗っていた高坏です 両手で抱える程のかなりの大きさがあります

 

秀吉が用いた黄金天目茶碗です

フフフ レプリカよ 本物は醍醐寺にあります

この間見てきましたがもう少し大振りでした 下の台も金色でした

 

釜底の市松の中にも菊があります もう一つの柄は桐かしら ??*°□°*??

上部の模様は可憐な草花がそよいでいます

 

つまみは 松ぼっくりでした ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

楽しい時間はあっと言う間

階段を降りましょう

小堀遠州が作った屋根付きの土間廊下

屋根の上が見えるのは 時雨亭の二階に上がった人だけね ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!

 

ご一緒して頂いた Tさんがカメラマンになってくださいました

紫の方はお茶を点ててくださった方です

 

軒丸瓦には 髙臺寺 と書かれていました

 

鳳凰の周りには桐の葉がいっぱい

 

 


沢山の思いを胸に高台寺を後にして ちょっと寄り道

 

祇園閣の前を通って解散 大満足の一日でした (((o(´∀`)o)))

ご一緒していただいた Tさん Oさん Wさん

ありがとーね 楽しかったね~ またご一緒してくださいね ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

氷室を再興 (((o(´∀`)o))) 下鴨神社

昔 下鴨神社には氷室が境内の2カ所にあり
すり鉢状の穴が地下水が湧くところまで掘られていたそうです

 

その氷室は戦時中に防空壕に改造されて失われていましたが
宮司が約50年前から府内や日本各地のゆかりの場所を訪ねて構想を温め

2020年から本殿西側の「葵の庭」内の防空壕跡で工事を進めていました

 

念願の氷室が出来上がり 今年2022年6月1日氷室開きの神事が行われました

現在絶賛公開中 щ(`∀´)ш(大炊殿拝観の中に含まれています)

氷室は大炊殿の裏側にあるようです

 

今回は大炊殿・鴨長明資料館・鴨社資料館 秀穂舎(しゅうすいしゃ)の

3か所回れる拝観券です щ(`∀´)ш

 

色々な神事をする御手洗川の一番の始まりの その奥が入り口になっています

 

糺の森も広いけれど この奥も森のような感じです

 

左へ左への曲がっているのは 本殿や社殿の裏をぐるりと東から西へ回っているんです

ほら本殿の裏側の屋根が見えてきました 二つ並んでいるのが本殿です

玉依姫命賀茂建角身命がいらっしゃます

おかあさ~ん おじいちゃ~ん 私は上賀茂神社の氏子なので ( ◎´艸`)

本殿の真裏では 心を込めておまいりをしました 真裏は撮影禁止です

表側からだと遠いですが裏側からだと校倉造りの建物もこんなに近くから見えました

 

 

この近くに井戸もあります

井戸の左側の建物が重要文化財の大炊殿です

神様にお供えするために調理する道具などが揃っています

何の魚か分かるように尻尾をさしておくのです

綺麗なお水と新鮮な食べ物をお供えするのですが

生の物を腐らせてはなりません

そこで 氷室の登場です 昔の人は素晴らしい知恵を働かせますね щ(゚ロ゚щ)

 

これが氷室です

正直 イメージと違っていました

私は洞窟のようなものを想像していたんです

宮司さんの昔のお話が記録されています
氷室開きの神事は、旧暦の六月朔日でした。
入り口の扉がわりに覆った重い石を二人がかりで一つずつ除けるときが一番、心おどるとき、と。
と言うのも、前年の暮れ、糺の森に降った雪を大樹の根元に積み上げておき、
何日かたって、残っている雪の塊の部分を四角に切り揃えて、
氷室の底に並べて積み重ねていく作業を何日もかけてする労力と手間。
その結晶、と聞きました

 

すり鉢状に掘り下げた穴に石が積まれ 周りに螺旋階段の様な石積みもあります

雪か氷を切りそろえて 中にぎっしり詰めるのでしょうね

そして重い石で蓋をする

 

さあ 氷室の中を覗いてみましょう

丁度 三列目のところで蓋をしてあります

当たり前やけど構造略図と同じです ( ◎´艸`) 何だか嬉しい

 

後ろから修学旅行生が大勢きて こんなんでほんまに冷たいの?

といって騒いでいます (σ≧∀≦)σ

あら まだ試していなかった 

隙間からそっと手を差し入れると ヒンヤリ ヾ(´Д`)ノ☆ 

外と気温がかなり違います 

日陰になっているというだけでこんなにも違うんですね

地中はかなり冷たい事でしょう

 

下鴨神社の氷室は 氷を造るためと言うよりも

神饌として調理した生物を保存することが一番の目的でした

例えば、御生神事、賀茂祭などで 旧暦では四月でした

新暦では五月ですが 生物を調理するのに二日ほどかかり

本番の日には ほぼ一日外気にさらしていますから

イタミに耐えるよう氷室に保管する必要がありました

 

冷蔵庫なんてなかった時代 地面の下深くで低温を保つ

氷を入れていたとしてもわずかしか残らなかったでしょうが

氷室開きで蓋を開けた時 そんな貴重な氷がわずかでもあったなら

嬉しかったでしょうね~

 

6月30日は水無月を頂いて無病息災を祈る日です

水無月は氷室の氷の形をまねているとか

 

さるやさんの前を通ったら

氷室の氷って書いてありました

 

抹茶小豆 トッピング白玉 Ψ(`∀´)Ψ ルンルン

 

やったー 現代人で良かったと思えるひととき ヾ(´Д`)ノ☆

 

さるやさんの前の道は 流鏑馬の時に馬が疾走する馬場になります

 

そうそう 光琳の梅に実がなっていました

太鼓橋の右の梅が 尾形光琳紅白梅図屏風のモデルの梅です

実が小さくって見えにくいけれど 多分200個以上 思いっきりいっぱいなってます

 

 

さあ 鴨長明資料館と秀穂舎に行かなくっちゃ C= C= C= ┌(;・_・)┘トコトコ

歩いて行ける範囲にあるってラッキー 

Ψ(`∀´)Ψ