だるま寺 等身大の仏様なでなでヾ(●⌒∇⌒●)ノ

仏像大好きの政田マリさんのご案内でだるま寺へ
もちろん、達磨さんもいっぱいだけど
なんと、等身大の3D涅槃図? 
秀吉が作った仏像が触れちゃうんです!


だるま寺って言うのは通称
本当は法綸寺


名前の通りだるまさんだらけ
屋根の上にももちろん達磨さん
達磨さんがピアスしてるのがわかりますか?
さすが外人、毛深い上にピアスまで(●´艸`)


達磨さんって、おひげも立派だし、
胸毛もいっぱいだよね^^;
インドの方なんですって ヾ(●⌒∇⌒●)ノ


達磨堂には8000体以上の達磨さんが・・・

達磨堂の中には立像もありました。
珍しいよね〜
っていうか、達磨さんが実在の人って
わかっちゃいるけど、
起き上がりこぼしのような
達磨人形しか思い浮かばない^^;


マリさんが教えてくださった♪♪
日本の達磨一番
画は  樋口文勝さん
説法は 後藤伊山和尚
収集は 木戸忠太郎さん


和尚様は達磨寺の10代の住職
樋口さんの画 達磨堂の天井一面に描かれているのは40500枚目の物
木戸忠太郎さんは、幕末の木戸孝允さんの息子さんです。


公には木戸孝允は子供がいなかったということなので
養子さんかも(゚_。)?というお話でした


達磨堂でお話を聞いていると
ご住職からお声が・・・


なんと衆聖堂に招かれ、お話を伺うことが出来ました
ラッキー ヾ(●⌒∇⌒●)ノ

衆聖堂の天井一面にも達磨の画が
なんと4万2千8枚目 翁 83歳の作品です。


実はご住職が、写真はOKと言ってくださいましたが
個人で楽しんで下さい。ブロクなどには載せないで・・・
という趣旨でした。


写真がOK以上に驚いたのは
触れる仏様があることです。


ソンジョそこらの仏像ではありません
国宝に匹敵するような等身金箔寝釈迦木造ですが
国宝や重要文化財に指定されてしまうと、
触ることが出来なくなるために、申請しないというお話です。


ベッドのような台座の上に涅槃図にある通りの
等身大の仏像が横たわっておられます。
凄い迫力で、
螺髪のグルグルも良くわかりますヽ(´o`;


皆さんがなでるので、
心臓のあたりの金箔がなくなっていました
私は頭の先から足の先まで全部なでました♪♪
ご利益がありますように八(^□^*)


この仏像、実は兵庫県のお寺にあったものです。
秀吉が三木城を攻めたとき、
2年にわたり兵糧攻めをし、
三木城の兵達の
無残な痩せ方、亡くなり方を目の当たりにして
今更ながら、地獄に落ちたくなかったのか
寺を建て、この等身金箔寝釈迦木造を作ったという話です。


お釈迦様が横たわっているベッドには、
五七桐の彫刻がデッカク貼り付けられていました
お釈迦様のお顔と同じくらいの大きさです
   (#ノ▽ノ#)


平安時代作の11面観音様もいらっしゃいます
江戸時代に閑院宮家から寄進されたもので
そんなに古いのに国宝になっていないのは
後から手を加えているからとのお話


その加えられたところが美しいのです


観音様の衣に、細かく金色で模様が描かれていました。
衣の場所によって模様が違います
ストールのような部分
腰の周りに重ねられた布
足にまとわり付いた布
それぞれ違った模様が、細かく美しく描かれています。


後から綺麗にするってことは、
大切に可愛がられていたってことですよね〜
ある意味、国宝より素晴らしいのではないかしら
その向い側には、同じく11面観音様ですが坐像です。
元々は熊本県阿蘇山上の立本寺のご本尊だったそうです


仏像だけではなくお庭も素敵♪♪


禅の悟りを牛に例えて修行の道程を表現するためにつくられた
「見牛の庭」
牛に見える大きな石がありました


★面白かったお話



戦争時代、どこのお寺も鐘を没収されましたよね
法綸寺にも、鐘を取りに来たそうですが
知恵を働かせたご住職、前もって鐘を埋めてしまい
役人が来たときに、もう、差し出しましたよ〜



で、戦争が終わって掘り出してみると
そこには蛇が住んでいたという
白蛇伝説もあります

写真を載せれないのが悔しいほど
素敵な仏様でした。
機会があれば是非足をお運びくださいねb(∞'∀`φ)p