桜の季節はお祭りも盛りだくさん ヾ(〃^∇^)ノ
いったいどこに行こうかしらと思える日曜日・・・
ざっと見まわしても、
★吉野太夫追善花供養
★上賀茂神社 曲水の宴
★やすらい祭
★花まつり
★豊太閤花見行列
C= C= C= ┌(^v^)┘さあ、ICOCA定期があるよ!!
★吉野太夫追善花供養
常照寺は、二代目吉野太夫の信仰が厚かったお寺です
境内には、吉野太夫が寄進した朱塗りの山門(吉野門)や
太夫好みの吉野窓を配置した遺芳庵
そして吉野太夫のお墓があります
吉野太夫というのは、
才色兼備を称えられ国内のみならず、遠くは明国にまで名を知れ渡らせました
馴染み客には後陽成天皇の皇子で近衛信尹の養子である関白近衛信尋や
豪商で、当時の文化人の一人である灰屋紹益がいました
寛永8年(1631年)、退廓・紹益と結婚。時に26歳
寛永20年8月25日(1643年10月7日)に死去、38歳
花供養の日は、近くの源光庵から常照寺まで
禿を従えて太夫道中があります
現役の島原太夫さんという話ですが
どの方かしら ?(゜_。)?
来たよ〜 Ψ(゚∀゚)Ψ
禿が先頭です 子供だから、お袖の縫い上げをしてるね
はっきり言って、NHKのカメラマン かなり邪魔!!
みえへんやん!! と、心の中で言ってみる (;Α´∀`)
恐るべしNHK 最初から最後までずっと この体制で映してはる
男衆さんが持ってる傘、気が付いた?
フフフ 高島屋のマークやで〜 (σ≧∀≦)σ
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本当は大傘の「高」の文様は、
輪違屋の当主である「高橋」からとられたものだそうです
京都のトッポさんから教えていただきました ありがとー
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太夫さんは ゆっくりと内八文字で優雅に歩きます
2人目 3人目の太夫さんも続きます
なんだか、高島屋のマークもカッコよく見えるわ〜
ここにきている皆さんが写真アップするだけで、宣伝効果抜群!!
奥に見える朱い色の門が
島原で名をはせた吉野太夫(二代目)が寄進した山門です
朱塗りの姿から「赤門」、あるいは「吉野門」とも呼ばれます
豪商の跡取り息子、佐野(灰屋)紹益に身受けされた吉野は
幸せな結婚生活を送りました
そして37年の短い生涯を終えたあとは
常照寺の境内に夫と共に眠っています
お墓参りもしたいし
円ではない、ちょっとだけ欠けている丸窓もみたいけれど・・・
さあ、お昼ご飯だ!! ちょっと家に帰らなくっちゃ
ε=ε=┏( >_<)┛ バスだよ〜ん
平安の昔、サクラの散る頃になると疫病が流行したので
疫病退散を願って始まったのがやすらい祭りです
この日氏子たちは花傘を中心に、子鬼、赤と黒の大鬼、囃子方等に扮します
大鬼は鉦や太鼓を打ち鳴らしながら大きく跳びはねて踊ります
踊るというよりも、ひとっ飛びで、90度回転するのです
そして、次のひとっ飛びで 反対に回転して元に戻るんです
花傘の下に入ると厄除けになります
京の三奇祭の一つです
(今宮神社のやすらい祭・由岐神社の鞍馬の火祭・広隆寺(大酒神社)の牛祭)
お祭りで目が行くのは、小さな子供たちですよね
なんてかわいらしいんでしょう
常に大人たちに見守られながら、上手に役割をこなしています
もちろん、大人たちもカッコいいです ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
場所を変えて、あぶり餅の2軒のお店の間でも
空中高く、飛び跳ねながら回転してるのがわかりますか?
すごいよね〜 面白いよね〜
奇祭って言われてるのも納得できます (゚д゚)(。_。)ウン!
なんて、キョロキョロしていたら
あぶり餅の一和さんに並んでいる才蔵さん発見 (σ≧∀≦)σ
実は、午前中の吉野太夫追善供養でも出会って
一緒に見物していたんです
ちゃっかり、列に加えていただきました Ψ(`∀´)Ψ
一和は、長保2年の創業以来、1000年以上も営業を続けてきました
その長い歴史の中には、千利休が茶菓子として使用したという話や
応仁の乱の際に、飢餓で苦しむ人々に振る舞ったという話も
つたわっているそうです
向かいに かざりやさんもあるけれど
主人が子供のころから一和さんしか行ったことがないというので
私も理由はないけれど、食べ比べをしたこともありません
才蔵さん、皆さん 飛び入りでご一緒させていただいてありがとうございました
イコカ定期 午前中に7回(1回乗り間違えたから)
午後から4回で合計11回もバスに乗っちゃった
元は取ったぞ‼ という達成感も含めて 楽しかったわ〜ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪