国宝の茶室「待庵」ヾ(´Д`)ノ☆

国宝茶室「待庵」のある妙喜庵を拝観します
一緒にいかがですか?


行く行く 絶対に行きたい‼ はい(^-^*)/ はい(^-^*)/ はい(^-^*)/
という感じで、連れて行っていただきました

国宝茶席は三席あります
★京都山崎  妙喜庵の待庵
★京都大徳寺 龍光院の密庵
★京都建仁寺正伝院にかつてあり、現在は犬山城下有楽苑にある如庵


「待庵」は日本最古の茶室建造物であると同時に、
利休の作った茶室で たった一つだけ現存しているものです


この地は秀吉と光秀が戦った「天下分け目の天王山の合戦」の地です
秀吉は戦いのさなかでも、陣中に千利休を招き二畳の茶室を作らせました
利休は妙喜庵の功叔和尚とともに秀吉に茶を点じ、労を慰めたといいます


茶室はその後解体され、
大阪城に秀吉が移った後に妙喜庵に移されたといわれています。


場所は山崎駅前で、知らなければ通り過ぎてしまいそう

階段を上がると


妙喜庵の文字 可愛らしいね (@⌒ο⌒@)b


すると玄関には


もちろん、申し込んでいるので拝観はできましたが
ここから先、写真はダメ お庭でもダメ (゚Д゚) ソウナンダ??


都林泉名勝図会の中に描かれている「待庵」です

全くこの通りです
黒い着物の男性が入ろうとしている処がにじりぐちです
少し大きめのにじりぐちでした
にじり口の前のひさしは長い目
屋根は切妻造りこけら葺き



じゃらんのサイトの写真です


この写真では奥がにじりぐちです
窓はひとつずつ大きさが違いました


下地窓(写真では手前の窓)は壁下地を塗ってしまわずに
開けておいて窓としたものです
待庵の下地は淀川のヨシを使っているそうです
雨の時は、窓の外側にカバーをかけるように引っ掛けるものが付いていました
(゚д゚)(。_。)ウン!


内部は二畳敷きで それまでの茶室の「四畳半」とは全く違います
戦場だったので小さく作ったのか、戦場を理由に華美にせず
自分の目指すわびさびに徹したのか??*°□°*??
とはいっても、天井の傾斜や、壁の塗り方で
広く感じるような工夫がしてあります
ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!


二畳といっても畳を敷き詰めているところも新しいそうです
高価なものだったんでしょうね



写真は裏千家不審庵のサイトより 待庵の床の間


壁の塗り方に特徴があり、
直角ではなく、奥は柱を塗りこめて曲面になっています
床の間の天井まで角がなく天井と後ろの壁が曲面になっていて
広さを感じれるような作りです


「荒壁ニ掛物オモシロシ」という利休の言葉が伝えられています
床の中だけは張付壁(紙貼り)だったのを利休は土壁に改めたのです
大切な掛物も土壁に掛けてよいと主張したのです
これによって茶室の中はすべて土壁となったそうです


柱は北山杉の細い丸太で、壁はわらすさを表面に出した塗り方


壁の下の位置は灰赤紫のような色の和紙で腰張りをしていました
釜の部分だけは低い位置で白い紙張りです


障子の引手部分は先日行った菊乃井さんと同じ作りでした

菊乃井の障子の引手


利休って自分の美を求める心を信じて、
今までの常識を打ち破り続けたのね♪♪
それを今の私たちは守り続けているけれど
利休はもっと壊してほしいんじゃないかしら
?(゜_。)?


待庵だけでなく、欄間、明月堂狩野山雪の描いた杉戸絵のオナガドリなど
ご住職が丁寧に説明をしてくださいました


お土産に妙喜庵のパンフレットと
妙喜亀甲裂で作ったサヤの付いた『菓子楊枝』
文字がきれいに見えているのを選びました  。゚(゚^Д^゚)゚。 
妙喜の妙の文字は玄に少と書いてありました


お昼はパヴェナチュールでパンランチ


蒸し鶏と黒オリーブのタプナード(なんやそりゃあ???)とクロワッサン
すごく美味しかった ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪



今日は他にも 山崎聖天、大山崎瓦窯跡
離宮八幡宮、宝積寺などなど 盛りだくさんで楽しい一日でした


最後の最後に JR山崎駅
プラットホームが大阪と京都の両方にまたがっているんです

誘ってくださったAさん ご一緒してくださった皆さん
有難うございました ヾ(´Д`)ノ☆