修学院離宮 暑かったね〜 ε=ε=┏( >_<)┛

うだるような暑さにも負けず、テクテクと歩き回ってきました
C= C= C= ┌(;・_・)┘トコトコ テクテク


Mさんにお誘いいただいて、みんなで4名
楽しかったね〜
一番のお目当てはやはりこれでしょう 霞棚 ヾ(´Д`)ノ☆



修学院離宮比叡山のふもとにあります

後水尾上皇の指示で造営された
美意識の塊のような離宮ですが、思いっきり広いんです
面積は54万平方メートルもあります
気の遠くなるような広さにもかかわらず、どこをとっても美しい
ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪


おさらい------------------------

後水尾上皇というと、大河ドラマの「江」の五女の嫁ぎ先 (^-^*)/
だから時代はだいたい江戸時代の家康・秀忠・家光の頃の話


後水尾天皇(1596〜1680年)はご多分に漏れず
皇位継承問題やら父・後陽成天皇との不仲でなんやかんやありましたが
天皇となり、秀忠と江の娘の徳川和子(まさこ)(東福門院)と結婚しました。
そして女二宮が生まれた翌年の1626年に二条城へ行幸をされました


あっさり行幸といいますが、これは特筆される出来事で、この後は
江戸時代の1651年4月15日の後光明天皇による朝覲行幸天皇が母に会いに行った)以後、1863年4月28日の孝明天皇明治天皇の前の天皇)による上賀茂神社下鴨神社行幸まで行幸は行われなかった


つまり、天皇というのは生まれてからずっと、
御所の中だけで生きていくのが普通だったって・・・ 
w( ▼o▼ )w 幸せなんやろうか


で、修学院離宮を建てた費用の大半が和子の要請により幕府から捻出された…


後水尾天皇上皇になってからでも、
どの方面から見ても、心のうちは苦しかったやろうね w( ▼o▼ )w

                                              • -


修学院離宮は上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋の3か所の庭園からできています



御幸門は杮葺きで、扉には花菱型の透かし模様がありました


潜り抜けると鮮やかな緑でいっぱいの別世界が広がります

池泉観賞式庭園には有名な袖形燈籠が早速現れました


有名かもしれませんが、正直言って良さがわからない
燈篭って、どこにろうそくつけるんでしょう
こんな形って、バランス悪くないかしら (;Α´∀`)



こちらは朝鮮燈篭 このほうが可愛い気がするけど・・・


寿月観は数寄屋風の建物です

後水尾上皇の御座所となったところです

扁額は後水尾上皇の宸筆です


簡素なお部屋だと思っていたらとんでもない
簡素に見えるように、凝りに凝って作っているんです
多分 ( ●´艸`)

杉戸の引手 見てみて (゚ー゚?)キョロ(*゚ー゚)ゝキョロ


欄間の模様は御幸門と同じような花菱型よ 奇麗ね〜

ああ、釘隠し アップで写すの忘れてた!!
からして、多分 これも花菱型みたい・・・ (●o´A`)o



棚の下の扉には、草の絵が、天袋?の絵はサギだったと思う (・'v`・)??
上段の間に座っても、まるで外の景色と一体化している気分です



建物の端っこの方には、水を流すようなところが・・・
上賀茂の社家なら、朝ここで身を清めてから神社に行くんだけど
上皇ならどうするんでしょう
手を洗う程度かしら・・・ いやいや、地面に足をつけないでしょうし
水を流すだけのところ ?(゜_。)? 
どなたかご存知の方 教えてください m(≧∇≦)m


本当はもっとゆっくり眺めまわしたいのですが、
説明の方についていかねばならず、駆け足です(無料やからね^^;)
御茶屋東門をくぐると

驚くほど空が広い ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪


右に行けば中御茶屋 左に行けば上御茶屋


右に進みますが、田舎道は左右を立派な松並木でおおわれているんです

松の間から向こうを覗くと、広大な田んぼが広がっています
はるか向こうの下のほうに京都市内が見えてます

山側を覗いてみるとこんな感じ

さっきの別れ道地の左側も松並木になっていて
横から見ると松が奇麗よ〜

こんな風な目隠しの松並木は明治になってから作られたもので
後水尾上皇は田んぼの畦道を行き来されておられたそうです
山荘周辺で耕作する民の姿をそのまま自然の風景として取り入れるなんて
凄い発想ですよね (゚д゚)(。_。)ウン!


いまでも普通の農家の方が田んぼを作られています


今通ってきた松並木の小道は、
参観列の一番後ろを守ってくれている皇宮警察官によって
通り過ぎた後すぐに封鎖されます

キョロキョロしすぎて常にビリッケツなので、
皇宮警察の方にいろいろ質問して教えていただきました


さあ、中御茶屋も鍵を開けて入ります



この先にあるのが中御茶屋です
楽只軒(らくしけん)と有名な書院造の客殿を含みます


客殿は、東福門院女院御所の奥対面所を移築したものですって!!(゚ロ゚屮)屮

この写真はWikipediaから
(私の写真は真ん中半分扉が閉まっていて、うまく見えません)


江戸時代ってこんなに美的センスが抜群だったんだ  w|;゚ロ゚|w
色も形も美しすぎます 素敵ね〜 ヾ(´Д`)ノ☆


これが天下三名棚の一つと言われる霞棚 щ(`∀´)ш

美しいね〜 本当に霞がかかってるみたいに互い違い
今はこんなの多いけれど、これをお手本にしてできただけで
なんでも最初の一つを作るというのは、凄いエネルギーとセンスがいるのよね
歌があちこちに散りばめられているのも知らなかった


それもいいけど、下の戸棚の絵にもビックリ ??*°□°*??

こんな風に反物をつるしてるのって庶民のお仕事じゃないのかしら・・・
田んぼを離宮の中に入れる方なので、こんな立派なお部屋の画にもこんな風景を使ったのかしら


戸棚の引手は羽子板です




見た目にはわからなかったけれど、下の戸棚の上の高さの低い戸棚は
三角形らしい雰囲気 !!w(゚o゚*)w
霞棚の下の棒がある真ん中あたりは後ろの壁にくっついているけれど
右端になると、下の戸棚と同じ手前まで来ているもの


廊下の杉戸絵は祇園祭の岩戸山と放下鉾

裏側は船鉾の画ですって


そのほか、色々教えていただいたと思いますが
思い出せず・・・


ともかく広いんです

建物だってこんな風に高低差があって、中に入ることはできないので
外をぐるりと回ります




こちら側が楽只軒です

(;Α´∀`) 説明がすべて終わってました


さあ、さっき歩いた松並木を合流地点まで戻り、
今度は左側の松並木を歩きます


歩いて歩いて上御茶屋の入り口にたどり着きました

御茶屋は人工池の浴龍池と大刈込を中心とした壮大な庭園です

くねくねと登っていくと浴龍池が下に見えます

池は谷川をせき止めて作った人工池です
見晴らしが良いよ〜


このあっさりとした建物は隣雲亭


急な階段を下りて池の周りを向こうに行きます


どんどん歩いていくと、池の中にこんな美しいものが見えてきました

千歳橋です


木の橋を渡ります


どんどん進むと さっきの千歳橋が縦に見えています


屋根の上には金色の鳳凰がいました



窮邃亭(きゅうすいてい)
浴龍池の中島の頂上にある宝形造柿葺(ほうぎょうづくりこけらぶき)の茶亭です
再建された建物が多い中、窮邃亭は唯一、後水尾上皇の創建当初から現存している建物です
あの一段高いところに座って窓からどんな景色が見えるか 
じっくり眺めたいね (゚д゚)(。_。)ウン!


窓の外に行って ちょっと上皇の気になって浸ってみましたが
イマイチです w( ▼o▼ )w

皇宮警察の方にお尋ねしたら、その頃とは木の大きさが変わっているので
今は同じようには見えないでしょう
その頃は千歳橋やら、池が今よりきれいに見渡せたでしょう
というお話でした


池の周りをぐるっと回って降りてきました

向こうの山の真ん中あたりに見えてるのが
さっきまでいた窮邃亭です


帰りもやはり松並木を戻ります
こんなに坂道なので、下界が見えるよ



さあ、今から赤山禅院、禅華院、曼殊院です
エイ エイ オ〜!! ε=ε=ε=((((o^ー^)o


修学院離宮に申し込んでくださったMさん 
ご一緒してくださったNさん Kさん ありがとうございました
暑かったね〜 楽しかったね〜 続きはまたあとで ヾ(´Д`)ノ☆