ドイツからやってきた建築家
ブルーノ・タウトも魅せられた 桂離宮 ヾ(´Д`)ノ☆
桂離宮というのは八条宮家初代の智仁親王と その子 智忠親王によって
50年もの歳月をかけて完成されました
時代は後陽成天皇〜後水尾天皇の頃
智仁親王は後陽成天皇の弟で 次の天皇かと言われていたけれども…
そして桂離宮を造り
後水尾天皇も思い通りに政治ができずに、修学院離宮を造り…
あれ?似ているね
仲良しのTさんと一緒に行ったので私もテンション高いです
離宮に入る前からマックスです
Tさんが素敵な疑問 ねえ この垣根 綺麗ね〜 いったいどうなってるの?
葉っぱの色綺麗ね〜
なんで、生きてるのに高さがそろってるんやろう?
上をよくよく見ると
竹の茎の折り曲げたい部分を割いて 手前にグルンと折り曲げています
手前の茎は枝が下を向いています
こんな方法で、一年中青々としている生きたままの竹が生垣になるんです
何年も青々としているんですって
これが有名な『 桂垣 』 ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
続いて『 穂垣 』
細い竹の節の位置が綺麗にそろっています
中に入る前からすでに感動でいっぱいよ ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
受付を済ませ 首から参観証をぶら下げます^^;
さあ、この扉からスタート ワクワクよ (^-^*)♪♪
わ〜い 最初から美しい土橋です
単調にならないように 計算されつくしたズレです
橋の方向と道路の方向が少し違うのがわかるよね
広く見えるように、向こうの道幅はわずかに狭くなっています
遠近法を強調するような手法で 視覚的により広く見えます
驚きの門は『 御幸門 』
𥔎(あべまき)という木の皮がついたままの丸太で屋根を支え
自然と一体化しています
石が敷き詰められた小道をよくよく見てみると
石の平らな面を上に出して、綺麗に並べているのです !!(゚ロ゚屮)屮
名前を『 霰こぼし 』
平らなので足の裏が痛くありません
水はけがいいように 真ん中が高くなっています
わびさびって、朽ちていくものを受け入れるような気がしていましたが
かなり積極的に技巧的に 何でもないような振りをさせているなんて
面白すぎますね ヾ(〃^∇^)ノ
『 御腰掛 』は座れなかった…残念 (・'v`・)??
左端の扉は、一度も使われたことがないトイレですって
入ってみたかったけど…ドアを開けて見るだけでも良かったのに…
説明の人が どんどん進みます w( ▼o▼ )w 口惜しや!!
足元の石も色が様々で引き付けられます
腰かけて正面に見えるのは 『 蘇鉄山 』
蘇鉄って、昔は高価なものだったのね
洛中洛外図屏風だったか?聚楽第の中にも蘇鉄の絵が描かれているし
二条城の大広間の奥のお部屋は蘇鉄の間だったな
ここに植えてある蘇鉄は薩摩藩からの献上品ですって
そんなことより、私もTさんも これは何?(゜_。)?
御腰掛から蘇鉄までの間に規則正しく3個ありました
「水はけをよくするためです」とかなり冷たく言われてしまった(;Α´∀`)
手水鉢は冬には中枡まで水を入れ
夏にはさらに外枡まで一杯に水を湛えて 風情の変化を表わします
よほどのお客様が来ない限り 蚊の対策で砂を入れているそうです
州浜に向かって歩きます
泣きたくなるほど美しい… ほんまやわ…
歩いていると 瞬間に景色が広がり パっと今までの景色とは変わるのです
松琴亭が見えてきました 今はお庭と松琴亭しか見えません
州浜の先の灯篭は 灯台の見立てらしい
そして 石橋から続く右上の細長い陸地は天橋立ですって
『 松琴亭 』
松琴の扁額は後陽成天皇の宸筆です
正面左側にお茶室の躙り口が見えます
中を覗くと三畳台目のお茶室で
八窓の囲いの小堀遠州好みです
最近 曼殊院の「八窓軒」も行ったので興味深いわ〜
市松模様 なんてモダンなんでしょう (゚д゚)(。_。)ウン!
この下に火を入れると、戸棚の中のものが暖められる
つまり、昔の電子レンジみたいなものらしいです
へ〜〜〜 ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
土橋は歩幅が狭すぎて、味わいながら一歩を進めます
横を向くと…
綺麗な模様になってるね パチ☆"(p´Д`q)""(´pq`)"☆パチパチッ
感動の『 笑意軒 』ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
どの窓も、庭を眺めるようになっていますが
唯一この窓だけが 外の畑を眺められるのです
そして 壁紙が見えますか?
センスが良いなんてもんじゃないですよね
船の底のような屋根
かわいいふすまの柄
この棚に何を置いたんでしょう
樋まで素敵です
船には乗せてもらえませんでした
中に入らせてもらえないので 見れなかった桂棚は
Tさんがパンフレットを買ってくれたのでパチリ
もちろん中村軒に寄りました (@⌒ο⌒@)b
Tさん 楽しかったね いつも一緒に遊んでくれてありがとうね
ヾ(´Д`)ノ☆