毎日楽しいことが多いけれど ご利益を頂けるならありがたいな Ψ(゚∀゚)Ψ
というわけで、仲良し3人組でお出かけです
堀川三条で集合よ♪♪ 今回はこんなコース(ハートマークです)
吉村先生のコースを真似させていただきました m(≧∇≦)m ありがとうございます
★善想寺 ~「身代わり地蔵」と800年前の上皇の石仏~ 600円
【京の冬の旅初公開】なのでワクワクしています
そのうえ 興味深いものがワンサカあるのです
●身代わり地蔵
1200年前に伝教大師最澄が 一刀三礼し彫ったというお地蔵様
なんと 2度も身代わりになってくださったのです
①泥足地蔵
お地蔵さまがまだ滋賀県の坂本にいらっしゃったときの事
日照りに苦しんだ農民の作兵衛が 「雨を降らせてください!!」と3日3晩も雨ごい祈願をしたところ 待ちに待った雨が・・・
毎日い望んでいた農民たちは急いで田植えをしたのです ところが当の作兵衛は急な腹痛で寝込んでしまいました
代わりに田植えをしてやろうと村人が作兵衛の田に行ってみると 不思議なことに田植えが終わっています
お地蔵さんにお礼参りに行くと なんとビックリ お地蔵さんの腰から足元までベッタリと泥がついていたのです 身代わりに田植えをしてくださったのです
②汗出地蔵(あせだしじぞう)
泥足地蔵が1587年(天正15年)3月23日に京都に移ってきた後のお話
江戸時代、1808年の事で 中京堺町に住む勘兵衛という男性が妻の安産祈願に訪れた際に 赤ちゃんが無事に産まれてきまようにと一晩中祈願したそうです
その後、無事に産まれたという知らせが入り 安堵した勘兵衛がお地蔵さんの顔をふと見ると なんと!お地蔵さんの顔はぐっしょりと汗をかいていたんです
「お地蔵さんが妻の代わりに苦しみを引き受けてくれていたんだ!」ということで
汗出地蔵とも呼ばれるようになりました
いつの話で 誰かが分かっているなんて珍しいね щ(゚ロ゚щ)
こんなに興味深いお地蔵様なんて、しっかり見ようね
場所は山門に入る手前の右側だよ~
このガラスにおでこを押し付けて3人そろって覗き込んだところ
小さな仏像がいくつもあったのですが そんなに立派そうなお地蔵さまはいらっしゃらなくて、中央がぽっかりと空いているような ??*°□°*??
お金をお支払いしてから係りの方にお尋ねすると
なーんだ 今日は特別に中にいらっしゃいました
奇麗な写真は善想寺サイトのものです お地蔵様の写真は撮っても大丈夫でした
半跏思惟像の足とよく似ていましたが、左ひざに右足がかかっていません
仏像がリラックスした時の状態だそうで 「はんげ・・・」と説明してくださいました
後で調べればわかると思っていたけれど、解らなかったわ 残念 w( ▼o▼ )w
●本堂に行きましょう
本堂には阿弥陀如来様が安置されていますがこれは上皇様に祀られたものです
穏やかで美しいお顔立ちでした
両脇仏はすごく前のめりで立っていらっしゃいます
神仏習合で仏様の前には丸い鏡も置いてありました
左のお部屋の三尊像も変わっていて
一つの舟形光背で三尊像を覆っているのですが、両脇物の手が印を結ぶというよりも
両掌を胸の前で重ねて 中国人のシェイシェイとアニメでやっている感じです
こんな手も初めて見ました
右のお部屋の三尊像はもっと変わっていて
向かって左脇の勢至菩薩様は 両膝をスクワットの途中のように曲げていらっしゃるし、右脇の観音菩薩様は両膝頭で立っているうえに、足先は上に跳ね上がっているんです つまり膝頭だけが 地面に接しているのよ
こんな仏像、初めて見ました w|;゚ロ゚|w なんじゃこりゃあ w|;゚ロ゚|w
どれも写真にとれないのが残念でたまりません
法然上人と善導大師様の像もあり、とても丁寧なお祭りの仕方だと感じました
●境内の墓地には 平安時代時代後期のものと伝わる石仏の阿弥陀如来がありました
●墓地には華道家元の池坊三十二世である二代目専好から、明治41年の四十二世専正師までの歴代家元がまつられています
二代目専好師は「立花大全」を成し、立花を宮中から一般人にまで広げました
初代の専好さんは ちょっと前に「花いくさ」っていう映画になってたよね
私は本で読んだだけですが面白かったわ~
●京都相撲の横綱『兜潟弥吉(かぶとがたやきち)』のお墓もありました
(京都相撲なんて 初めて知りました (・'v`・)?? )
★六角獄舎跡 = 『蔵志』の山脇東洋の碑もありました
色々な方のご冥福をお祈りしました
★武信稲荷神社
一寸法師の歌の2番
♪♪ 京は三条の大臣殿に 抱えられたる一寸法師
法師法師とお気に入り 姫のお伴で清水へ ♪♪
この三条の大臣殿とは西三条大臣のことで武信稲荷神社を創祀した藤原良相公です 本当にあったお話なんや !!(゚ロ゚屮)屮
龍馬さんとお龍さんの縁結びのえのきがある神社でもあります
有名な樹齢約850年のえのきがあります
幕末の時期 龍馬は追われる身となり、二人は離ればなれに…。
お龍は龍馬の身を案じ行方を捜し続けていました
そんな時、二人の思い出の地、武信稲荷神社のエノキを思い出したのです。
おりょうが武信稲荷神社に向かうと えのきに『龍』の字が彫ってありました。
龍馬の字は大変クセがあり、おりょうは龍馬の字であるとひと目でわかり、龍馬が生きていると確信したそうです。
エノキのおかけで消息がわかり、二人はめでたく再会できました ♪d(´▽`)b♪
近くの六角獄舎にはお龍の父が勤王家の医師であったため捕らえられていました
お龍たちは えのき大木の上からから獄舎の様子をうかがっていたようです
えのきに両手で触ってパワーを一杯頂きました ┗|*`0´*|┛
★八坂神社 お供社(又旅社)
祇園祭の還幸祭では、三基の御神輿を又旅社に奉安し神饌を御供えします
三基の御神輿が揃うさまは壮観です (@⌒ο⌒@)b
★蓮光院 神泉苑の南側にある真言宗寺院で、北向不動明王と呼ばれています
弘法大師・空海の甥・真然(しんねん)が創建したとも云われています。
真然は空海に師事し、空海の没後には葬儀を指揮したという説もあります。
また鎌倉時代には、一遍がこちらに立ち寄っているそうです
本尊は快慶作と伝える負別阿弥陀如来(暗くてよく見えません)
地蔵堂には駒止地蔵を祀る 逆光のため写真も見えにくいね 。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。
★神泉苑
●善女龍王伝説
天長元年(824年)、ひどい干ばつが続いていたため 朝廷は“東寺の空海”と“西寺の守敏”に雨乞いを依頼しました
ライバル関係であった2人のうち、はじめに名乗りをあげたのが守敏です。
守敏の祈祷で雨は少し降りましたが、国中に雨を降らすことはできませんでした。
次に、空海が同じく祈祷をしましたが雨が降ることはありませんでした。
不思議に思った空海が調べたところ、空海を妬んでいた守敏が呪力を使って雨乞いの神である“龍神”を水瓶に閉じ込めていたのです。
唯一、“善女龍王”が守敏につかまっていないことを知った空海は 北インドの無熱地(むねっち)という池から法力を使って善女龍王を呼び寄せ、三日間に渡り国中に大雨を降らせました。
それ以来、善女龍王は神泉苑の池に棲みつき、神泉苑の池はどんなに日照りが続いても枯れることはないという伝説になったのです。
また、この雨乞い合戦により東寺は栄え 西寺は守敏とともに廃れていきました
本堂から、善女龍王社に渡された朱塗りの丸橋「法成橋」があるのですが
1つだけ心に願いを念じながら渡り善女龍王社へお参りすると、その願いは必ず成就すると言われています ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
白河上皇は100人の僧に雨乞いの祈祷をさせたようなのですが雨は降りません
次に、100人の白拍子に雨乞いの舞を舞わせましたが99人の白拍子が舞っても、雨は降りませんでした。
しかし、100人目の静御前が「法成橋」で舞いを奉納した直後大雨が降ったのです。
そして、その時にいた義経は美しく舞う静御前に恋に落ちたと伝えられています。
だから善女龍王社は縁結びとしてもご利益があるのです ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
これは知らない人たちです^^;
私たちも 「いつもありがとーね」とお礼を伝えました
恵方というのは、陰陽道でその年の干支により定められるもっとも良いとされる方角のことで、その方向に歳徳神がいるとされています。
この社の最大の特徴は「その年の恵方」に向かって社殿を動かすことができることです
大晦日の夜になると、新年の恵方に合わせて 社の向きをかえるのです
大変な被害だったようですが 無事に新しいお社ができて良かったです
ヽ(。´Д`。)ノ 今年は災害など起こらない良い年になりますように♪♪
★御金神社
御金と書いて「みかね」と読み、その字の通り、金運にご利益があるパワースポットとして大注目されています
その証拠に24時間営業で 一年中賑わっています ヾ(´Д`)ノ☆
ここでは手を清めるだけではなく ざるに入れて、あるものも清めます
フフフ
これは皆さんの真似をしてやってみただけで お賽銭にしたのではありません
少額のお賽銭を入れて心を込めて おまいりしました
絵馬も金ぴかです
境内で販売されているものは 飛ぶように売れていきます
普段は何も買わないけちん坊な私ですが、お財布に入れておこうと思わず買ってしまいました それでも安い500円のです
( ◎´艸`)
★高松神明神社
今はこんなに小さな神社ですが
平安時代後期には、後白河天皇がここ高松殿で即位されました
後白河天皇って大河「平清盛」の時に松田翔太がやってたよね
関ヶ原の 戦いで敗れ、蟄居していた武将・真田幸村が毘沙門天とともに拝んでいた為「幸村の知恵の地蔵尊」と言われています
お顔を間近で拝見することができます
眼と眉の間が広く、お顔立ちの整った とても美しいお地蔵様です
ぜひご覧になっていただきたいと思いました
幸村の旗印である六文銭のように どなたかが五円玉のお賽銭を並べていました
今度行くときは私も真似したいと思っています Ψ(゚∀゚)Ψ
道を歩いていると 住所が釜座通となっていました
つまり 昔はこのあたりに釜師が大勢いたということです
じゃあ、きっと大西清右衛門の家があるよ! と冗談で言ったつもりが…ありました
節分後なので 軒下にはイワシの頭と柊がありました ┗|*`0´*|┛ 京都やわ~
★越後神社
友禅業を営む広瀬治助が 境内の池水を使い友禅染めの工場を建てました
広瀬治助は型紙と色糊を組み合わせた『写し友禅』と呼ばれる技法を編み出し
京友禅の大量生産に成功した人です
越後神社は別名友禅神社とも呼ばれています
堀川三条に近いですが 六角通り(南側・東西通)からしか入れません
たどり着くのが とっても難しかったです 。゚(゚^Д^゚)゚。
★魏飯夷堂
小籠包で評判のお店ですが とっても美味しく大満足 Ψ(`∀´)Ψ
また行きたいわ~
★KYOTO KEIZO 10分モンブラン
限定の 桜モンブランがあるというので行ってみました
並ばず座れてラッキーです
作るところを見せてくださいます(ガラス越しですよ)
★ブリュレドーナツ Brulee
クリームブリュレドーナツと 生キャラメルブリュレドーナツを お土産に買って帰りました
Tさん Kさん
たくさん歩いて ご利益もいっぱいもらえて楽しかったね~ ヽ(。´Д`。)ノ
ご一緒していただいてありがとうございました
m(。-_-。)m また遊んでくださいね