今日は朝からいいお天気です
それなら雪舟寺に行ってみたいな~ ♪d(´▽`)b♪
ε=ε=ε=((((o^ー^)o ブ-ン!!
東福寺に入るには 臥雲橋を渡りますね
お決まりの 『臥雲橋』から
向こうの 『通天橋』を眺めてみました
芬陀院は東福寺の塔頭ですが 広すぎて広すぎて… 迷いそうです
東福寺の末寺でしたので 本山に来る場合がありました
その折には芬陀院に起居したそうです
フフフ 雪舟にたどり着く前に 建物が美しすぎて 進めません
щ(`∀´)ш
★雪舟庭園 鶴亀の庭
雪舟は子供のころ 修行をせず 絵ばかり描いていたそうです
あるとき住職が戒めに本堂の柱に括り付けて、あとで様子を見に行くと
雪舟の足元でネズミが動いていたのです
それは雪舟が涙で描いたネズミだったのです・・・・・・
のちに芬陀院を菩提寺にしている一條家の
関白 兼良公はその話を思い出し 雪舟に亀を書くように所望しました
雪舟は一向に絵筆をとろうとせず・・・
ある日庭に出て意思を動かし始めたのです
すると次第に亀の形になり、数日後 石組みの庭が出来上がっていました
その日の夜 庭先で音がするので覗いてみると
石組みの亀が手足を動かし這っていたのです
和尚が処置するように依頼すると雪舟は亀の甲に大きな石を載せました
すると 亀は動かなくなりました
一條兼良公はその功を認め 雪舟に一寺を与えようとしましたが
雪舟は画の修行がしたいからと言って明にわたっていきました
以来 「渡明の亀」ともいうそうです
↓ 亀島は二重基壇により亀の姿を現しています
↓ 鶴島は折鶴を表しています (^-^*)♪♪
京都で最古の枯山水庭園の一つと言われていますが
火災と年月で荒廃していました
昭和14年 重森三玲によって 一石の補足もなく復元されたのです
このお庭は南のお庭で 亀が中心になっています
★東のお庭
三玲はその時東のお庭を新たに作りました
同じく鶴亀のお庭ですが こちらは 鶴を中心に構成されています
この建物の前のお庭が 東の庭です
正直に打ち明けると どっちが鶴で どっちが亀なのか
私にはわかりませんでした w( ▼o▼ )w ウ~ン
★図南亭
この庭の奥が茶室 『図南亭』です
関白 一條恵観公は後陽成天皇の第九皇子です・・・
ということは 後水尾天皇の兄弟かしら !!(゚ロ゚屮)屮
一條家って お公卿さんのなかでもすごいのね
その一條恵観公が図南亭にて茶をたしなんだそうです
『図南』の額は石川丈山です
お茶室に入ってキョロキョロしてみると
四畳半で窓が4つです
あれ? にじり口がありません ??*°□°*??
角に屏風が広げてあったので 念のために外に出てみましたが
やっぱりありませんでした
天井は網代で 奥に向かって ほんのわずかな勾配がついていました
★露地
図南亭の手前側が露地になっています
↓ パンフレットには 崩家型灯篭 と記してあるのですが
そんな名前 面白すぎませんか?
↓ 勾玉の手水鉢 どちらも一條恵観公のご愛用品です
勾玉になってるのがわかりますか?
芬陀院は創建以来 一條家の菩提寺です
驚きなことがいっぱいありました w|;゚ロ゚|w
美術品も多いのですが、
一番奥のお部屋に 明治天皇・皇后両陛下の写真が飾られてありました
明治天皇の皇后さまは 昭憲皇太后ですが なんと 一條家のお嬢様ですって
ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!! 一條家 スゴッ
明治天皇・皇后両陛下の写真のあるお部屋だけ、格天井になっていました
仏さまのお部屋は普通の天井だったのに・・・
そして、床の間には 昭憲皇太后のお父上の書かれた
竹の絵の掛け軸がかけられていました
違い棚の上の戸袋の引手もおしゃれな細工がしてあり、
おいてある箱の裏側には 菊のご門の透かしが入っていました
先日 祇園祭の宵山で見た 函谷鉾の稚児人形も一條嘉多丸君って
わざわざ 君がついていたな~ (゚д゚)(。_。)ウン!
五摂家だから最初から立派だけれど 天皇の中宮になればもっと力を持つよね
芬陀院ってすごいお寺なんだわ ヾ(〃^∇^)ノ
芬陀院は雪舟寺というのが なかなか覚えれなかったけれど
これで ようやく大丈夫・・・ かな? (;Α´∀`)
障子の引手がこんなに素敵でした
障子を張りなおすときに 真似してみようっと ヾ(´Д`)ノ☆
唐門は御所から下賜された門です さすがに菊のご門だらけでした
ヽ(。´Д`。)ノ
今日は暑かったので 清水一芳園でエスプーマ氷を食べちゃいました
チョコカメの 中はこんな風になっていました
美味しかったよ~
大好きで30年ほど来ていたシャツの衿と袖口が擦り切れてしまったので
衿と袖をハサミでちょん切って ちょん切った生地で裾にペプラムつけてみました
どうしても捨てることができません 断捨離なんて恐ろしい (;Α´∀`)
今日も一日 楽しかったな~ ヾ(´Д`)ノ☆