『 天ケ瀬吊橋 』を渡ってきました (((o(´∀`)o)))

宇治にある天ケ瀬ダムの下流にある

『 天ケ瀬吊橋 』が今年 架け替えられました

えっ そんなダムさえ知らないけど・・・ 

エイ!! 行っちゃえ ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ

 

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こういう風に思えるのは 自粛期間中に

グーグルマップが使えるようになったからです

行ったことがないところでも もう平気・・・o(≧~≦)o ← ウソです

宇治を一回りしてきましょう

 

予定のコースを作りました 回れるかな~ 降水確率70% w( ▼o▼ )w

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京阪電車宇治駅に到着

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駅前に流れているのが宇治川で 宇治橋がかけられています

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宇治橋

宇治橋(うじばし)は、646年(大化2年)に初めて架けられた日本三古橋の一つです

宇治橋を架けたのは僧道登とあるが、続日本紀は道昭だという
もう 道登にしておきましょう
洪水など色々なことがあって 1286年叡尊によって架け替えられました

現在も昔の姿を忍ばせています
擬宝珠を冠した桧造りの木製高覧という伝統的な形状です

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古い擬宝珠が残っているそうですが (どこでしょう )

現存する最古の1636年(寛永13年)の刻印がある擬宝珠の形に合わせてあるそうです

この形の擬宝珠がついているのは 公儀橋の印らしいです

そういえば五條大橋も三条大橋も この形やね~ щ(゚ロ゚щ)

雨が降りそうなので ともかく 先に急ぎます

 

三の間

「三の間(さんのま)」とは、宇治橋の西詰より三つ目の欄干のところにあって

幅一間ほどにわたり橋板を張出した部分のことです

当初は橋の守護神の橋姫の社殿が設けられていました

 

この下を流れる水は「竜宮より湧き出づる水」とか「竹生嶋弁才天の杜壇の下より流れ出づる」とかいわれ、古来、名水とされていました。

豊臣秀吉は茶事をするにあたり、通円に命じて、五更の時刻(日の出までのおよそ2時間あまりの間)に汲み上げさせ伏見城に運ばさせたといわれています。

その時に用いたとされる釣瓶は秀吉が利休に命じて特別に作らせたとされ、橋のたもとの茶店通円に伝えられています。「通円の像」は一休の作とされ、茶筅と茶碗を持った木像です。宇治橋の架け替えの時は、幕府により通円の家も建て替えられていたということです。 

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都名所図会にも三の間が描かれています こちらのほうが上から見ているので

写真よりわかりやすいかも^^;

 

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ここに橋姫神社があったということは、橋姫神社は小さいのね

三の間から上流を見ました 向こうに見えるのは 叡尊の造った塔の島と橘島です

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三の間は宇治にとって 私が思っていた以上に有名なのかもしれません

姫神社 初めてきました

三の間に祀られていた橋姫神社が今は南西に移転しています 

姫神社にお祀りされている橋姫は

源綱渡辺綱)が一条戻橋で遭遇して その腕を切り落としたという「嫉妬の鬼」とか

「橋の守り神」とか言われています  w|;゚ロ゚|w

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向かって左が橋姫社 でご祭神は 瀬織津比咩 または 橋姫 です

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大棟の横に付いている鬼板のところに お月様がありました

どういう意味があるのかしら ??*°□°*??

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向かって右が水の神様である住吉社です 

スサノオが黄泉の国からかえってきて 身を清めたときの住吉三神よね

 

千木は内削ぎで鰹木が5本 あれ? 女性と男性が入り混じってる?

il||li_| ̄|○il||li どなたか教えてください~~~m(≧∇≦)m

俗説ですが 鰹木の数が偶数なら女神、奇数なら男神を祀る

こんなことを言い合ってるほうが面白いものね

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縣神社 初めてきました

藤原道長が別業(別荘)を寺院である平等院とする際にその鎮守社としました

6月5日の深夜から未明にかけて行われる縣祭は暗闇の奇祭として有名です

どんなものか一度でいいから見てみたいな~ (Ψ▽Ψ*)

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手水舎でこの彫刻です ワクワクするよね~ 

 

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ジーっと見ていて なんかおかしい  で、社務所に行ってお尋ねしました 

 

龍の足があって 手に玉も持っているのに

お顔はどこにあるんですか щ(゚ロ゚щ) ??? どこなの~

 

おまいりの人が 鈴やら紐を振り回すので落ちてきて危ないので

外しています ですって  。゚(゚^Д^゚)゚。

 

それほど 立体的で迫力のある彫刻なんだわ 余計に見たくなってしまいました

が、奥になおしこんでいるそうです 残念無念 ( ●´艸`)

 

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暗闇の奇祭ではこの梵天渡御があるらしい ヾ(´Д`)ノ☆

 

 

さあ、先を急ぎましょう 雨が降らないうちに C= C= C= ┌(;・_・)┘トコトコ

宿木の古蹟

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ヒカルちゃんのファンです 薫ちゃんよりも 匂ちゃんが好みです .+(〃ノωノ)゚.+°―!! 

 

 

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グーグル先生のおかげで こんなところまで一人で来れました

まあ、一本道ですが (;Α´∀`)

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見えたよ~~~ 吊橋 きっとあれよ ヾ(´Д`)ノ☆

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クレーンが見えているのは 天ケ瀬ダムが工事中なのです

 

来た~~~ 

天ケ瀬吊橋

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橋の長さは約54㍍、幅員は約2㍍の人道橋。宇治川周辺は『宇治の文化的景観』として重要文化的景観に位置付けられており、四季折々の景色が楽しめ、ハイカーや釣り人、観光客が利用している。


太陽光を浴びて木材の美しさ際立つ吊り橋

吊り橋のロープを活用しながら、木部材部分のみ更新。材料は95年当時と全て同じものを使い、床組や構造部材には強度のある西アフリカ産のボンゴシ、踏板や高欄は府内産のヒノキ材を用いた。

新しい木材であるため、周囲の景観と色合いがミスマッチしているが、市によると「最初は、どうしても仕方がない。2年程度で落ち着き、リニューアル前のような色合いになる。今の色合いを見られるのは逆に貴重」ですって

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吊橋ですが 下の木が詰め詰めに並んでいて 下の川が見えないようになっているので

怖さが半減します

下の木の厚みに比べると 欄干の板部分は 薄っぺらです

 

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向こう側の石垣に閉じ込められるように がっしりとロープが張られていました
一人で渡るだけでも 揺れます 吊橋だからね (;Α´∀`) 怖くありません

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この吊橋を渡りに来たのですが 川上にあるお隣の橋がカッコいいです

 

白虹橋(はっこうばし)

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向こう側に渡って 下をのぞき込むと・・・

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この下側はどういう使い方をするのでしょう??? ヾ(≧ω≦)ノ

 

天ケ瀬ダム

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ここまで川の南側を通って来ましたが

ここからは川の北側の道を通ってUターン C= C= C= ┌(^v^)┘ 急げ急げ

 

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宇治川の亀石


● 飛鳥時代中期の伝承上の天皇・第11代垂仁天皇が、大亀を矛で刺し貫いたところ石になった。代10代の崇神天皇が実在した可能性のある最初の天皇で その息子だから

どこまでが信じるかは自分次第 信じましょう Ψ(`∀´)Ψ

 

●  桃山時代豊臣秀吉伏見城を築いた時、宇治川の水を城内に引く地下水路の取水口をカモフラージュするための蓋(フタ)とした

 

グーグル先生は ここだと言っていますが、河岸を見ると 亀に見えそうな石は

私が見る限り3個もあります ( ●´艸`) 仕方ないので再度グーグル先生に頼って

皆が亀石とアップしている写真を探しました

で、多分 この石です

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違うかった石はこれ ほかにもカメらしい石がありました

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カワウが大勢でお出迎えです 塔の島に着きました

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朝霧橋 を渡って中の島に行きましょう

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中の島 = 浮島 = 塔の島 + 橘島

塔の島と橘島を総称して中の島といいます

鎌倉時代後期に西大寺の僧叡尊宇治橋を架け替えたときに

もう橋が流されませんようにと 摂政をしないと誓ってこの島をつくったそうです

放生院も近くにありますが この辺りでは魚を取ることを禁止し

漁業の網などを捨てさせて その上に土を盛ったそうです

今ならパワハラになりそうですが それほど橋は大切なものだったんですね

 

このちかくに あじろぎの道がありますが 網代というのは 定置網の漁場です

定置網をかけておく木が網代

大昔は このあたりが良い漁場だったんでしょう

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朝霧橋で 橘島に着いたので さらに上流にある塔の島に渡ります

渡ったところに ウッティーがいました (ある意味 今でも漁場です)

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浮島十三重石塔

奈良の勝宝山西大寺再興などで知られる僧・叡尊は[鎌倉時代後期にあたる弘安7年(1284年)宇治橋の大掛かりな修造を手がけました

橋が完成する弘安9年(1286年)に合わせて、宇治川川中島として大橋の南方に舟を模した形の人工島を築き、放生会を修する祈祷道場としたのです

そして、宇治川で漁撈される魚霊の供養と橋の安全の祈念を旨に、同年11月19日(ユリウス暦換算:1286年12月6日)、島の中央に大塔婆を造立しました

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江戸時代後期の宝暦6年(1756年)に起こった未曾有の大氾濫で倒伏した後は

川底の泥砂に深く埋もれてしまいました

1907年(明治40年)発掘作業で発見されて翌年に再建されたのですが

たしか9番目だけが見つからずに 作ったとか・・・ だから一つだけ形がおかしい・・・ うろ覚えなので 信じないでください

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塔の島につながっているのは 喜撰橋

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島の中です 結構広いのです

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橘島につながっているのは 朝霧橋と橘橋

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宇治橋まで戻ってきました 奇跡的に雨が降っていません

 

通圓

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通圓茶屋は吉川英治の小説「宮本武蔵」にも出てきますが、創業は平安時代末の永暦元年(西暦1160年)にさかのぼります。

 

店の間には数百年を経た茶壷がならび、

● 一休和尚より賜りました「初代通円」の木像が祀られています。

● 豊臣秀吉は茶事をするにあたり、通円に命じて、五更の時刻(日の出までのおよそ2時間あまりの間)に汲み上げさせ伏見城に運ばさせたといわれています。

その時に用いたとされる釣瓶は秀吉が利休に命じて特別に作らせたとされ、橋のたもとの茶店通円に伝えられています。

 

● 狂言にも通園があります

 宇治橋供養のときに、300人ほど押し寄せて来て、平等院の縁の下で茶の点て死にした通圓の物語です。宇治橋での戦いで平家軍300人と戦ったという能の演目「頼政」のパロディになっています

 

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一休蝉師が作った初代通園の像

 

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秀吉が利休に命じて作らせた 釣瓶  

これで 宇治橋の三の間からお水をくみ上げて秀吉がお茶を点てて遊んだのね
Ψ(`∀´)Ψ

 

このあと 放生院 宇治上神社 場所を移して近鉄京都線 澱川橋梁 三栖閘門 

そして京都に戻って夢屋で〆ました 18000歩以上も歩いていました 

 

写真がいっぱいで あまりに長くなったので 残りは次回に・・・

予定していた行きたいところは全部行けて スッキリしました

雨が降らなくってメチャクチャラッキーでした 空の神様もありがとーね

ヾ(´Д`)ノ☆