宇治上神社 ~ 澱川橋梁 ε=ε=ε=((((o^ー^)o

通圓を出たあと宇治上神社へ 本殿も拝殿もアシンメトリーよ~ !!(゚ロ゚屮)屮

そのあと観月橋、澱川橋梁、三栖閘門 行きたいところ全部行けました

C= C= C= ┌(^v^)┘テクテク

 

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放生院 通称は橋寺

近くの宇治川に架かる宇治橋をかつては管理していたことによります

山号は雨宝山 本尊は地蔵菩薩立像

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名前の入った軒丸瓦を見ると、昔の隆盛時を思ってしまいます

宇治橋断碑を見たかったのですが、開いていませんでした

 

宇治橋断碑

宇治橋断碑は、日本最古の橋の一つとされる宇治橋の架橋の由来を刻す石碑の首部三分の一で、1791年(寛政3年)の春に橋寺放生院の境内で発見されました。

残りの碑身は見つかりませんでしたが、古法帖の文字を連ねてこれを補刻し欠損部を復元、1793年(寛政5年)に完成した。その経緯は碑陰(碑の裏面)に刻されています

 

通常なら、放生院の境内で今の期間に見学できるのですが、コロナのため拝観中止です

 

さわらびの道

宇治川東岸にあり 源氏物語ミュージアム内の散策路からはじまり、宇治上神社宇治神社を経て宇治川へと続く散策路です

 

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源氏物語 宇治十帖にちなんだ駒札や歌碑などがありました

やっぱり あかんのんは薫ちゃんです 心があっちこっちに行ってはあかんよ

身代わりもあかんよ 一途なのが一番やし ( ◎´艸`)

 

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冬に訪ねると奇麗なんでしょうね~

 

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5種の歌 すべて与謝野晶子さん ( ●´艸`)

彼女は源氏物語の訳本を出しています 全巻 キンドルの無料本で読めますよ

私も昔は円地文子さん訳を読みましたが、最近はキンドル与謝野晶子さんです

タダが一番有難い!!

まあ、一番読み続けたのは 大和和紀さんの「あさきゆめみし」ですが

ヒカルちゃん 大好き~ ヾ(´Д`)ノ☆

 

なんて思っていると、宇治上神社に着きました

 

 

宇治上神社 本殿・拝殿ともに国宝です

 

神社建築では、日本最古の本殿です。

平安時代後期に伐採された木材が使われて、年輪年代測定調査では、本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」になります

一間社流造りの三殿からなります。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。


拝殿は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構です

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★拝殿 国宝 鎌倉時代前期

    寝殿作りです 貴族はこんなおうちに住んでいたのね (人´∀`*).。:*+゜

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以前に来た時にはスルーしてしまいましたが・・・

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 廊下部分の屋根ですが いったん跳ね上げてから角をつけて庇になります

切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっていて、

こうした形を縋破風(すがるはふ)というそうです。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸を多用した寝殿造りです

 

おまけに 全体が微妙に左右対称ではありません。

中央部分から左右に柱の間が二つずつ そして左側だけ茶色の扉一枚分が大きいのです

 

ということは・・・本殿も???

 

 

★本殿 国宝 平安時代後期 現存最古の神社建築 

    一間社流造りの三殿をまとめて覆っています

ご祭神は 

左殿(向かって右)

    菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

    応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、

    異母兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したらしい

    ご利益:学業成就

中殿: 応神天皇 第15代天皇菟道稚郎子命の父 ご利益:勝負運

右殿(向かって左)

    仁徳天皇 第16代天皇菟道稚郎子命の異母兄 

    ご利益:病気平癒 悪縁を切り良縁を結ぶ

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拝殿があるので ギリギリに下がった画角です^^;

パット見て左右非対称に見えなかったので、升目を数えました

向かって右 28マス  向かって左 34マス です

 

 

升目から中をそっと覗くと、お社は独立して3つありました 

それぞれに高欄がついていて 階段も長く立派です

右と左の社殿は上のほうに蟇股がついていましたが 真ん中のお社には蟇股がありませんでした 真ん中のお社だけ 独立していて 左右は 壁が外側を覆っているマスの扉の建物の壁にくっついていました 

 

 

古いお社が3社あって、後からそれを覆うように覆屋を造って

まとまった社殿にしたということかしら・・・と勝手に納得 (Ψ▽Ψ*)

なんといっても応神天皇神功皇后の息子やし、あの月延石をおなかに巻いて三韓征伐して帰ってきて産まれた子供です。八幡神として神格化されているのも納得です

なんせ 特別の人間やわ

 

 

 

清の砂 お正月などの祭りごとの時には、この砂を撒いてお祓いするそうです

 

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桐原水 宇治七名水で現存する最後の一つです コンコンと湧き出ています

 

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★化石橋? 多分クスノキよね o(*^▽^*)o 拝殿の右側の奥にありました

 

一瞬で強い雨がザーっと降ってきましたが 1分ほどでやんでくれました

降水確率70%だったしね ^^; すぐに降りやんで良かった~

 

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★330歳以上のケヤキ

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さわらびの道を通って宇治駅へ 電車で観月橋まで ε=ε=ε=((((o^ー^)o

 

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観月橋 = 桂橋 = 豊後橋

 

鎌倉時代末期から、桂橋(両郡橋又は指月橋)と称し存在

桃山時代 - 豊臣秀吉が豊後大友氏に命じ、宇治橋伏見城下のこの地に移して豊後橋とした

鳥羽・伏見の戦いで豊後橋が焼け落ち、その後、渡し船が就航。
1873年 - 再建に伴い、観月橋命名

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近鉄京都線 澱川橋梁

 

旧奈良電鉄によって宇治川に架けられた下路式曲弦プラット分格トラス橋。

陸軍演習に支障がないよう無橋脚橋梁として建設されました。

 

我が国の単純トラス橋で径間=164.5m、高さ24.4m、使用鋼材(米国製)=約1,800tonという長大なワンスパンの単純トラス構造の鉄橋です。最大の径間長165mを誇ります。

ワンスパンの単純トラスの構造の橋としては当時は勿論、現在においても日本最大級の鉄道橋。関場茂樹の設計で神戸川崎造船所製作。宇治川の鉄道景観を代表する建造物。

 

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こんなに長い橋なのに 川の中にはつっかえ棒が一本もなく 

支えているのは これだけです  w|;゚ロ゚|w

 

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くぐっているときに ちょうど電車が通ったので ちょっとビビりました 

迫力ありました

 

こぼれ話

建設している時期、即位したばかりの昭和天皇の御大典が京都御所で執り行われ、式典の終了後、各施設の拝観や御陵の参拝などが国民に認められることとなった。

そのため、沿線に伏見桃山陵が存在している奈良電気鉄道は、この絶好のチャンスに、何としてでも全線開業を間に合わせる必要に迫られた。

こうして、路線建設のための時間的猶予を失った奈良電気鉄道は宇治川渡河について経済的なプレートガーダー桁案を放棄し、河中に橋脚を設けずに済む長大な単独トラス桁により本橋梁を架設することを決断してようやく着工にこぎ着けたそうです щ(゚ロ゚щ)

 

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★濠川が宇治川に流れ込みます

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あっ バッテリーが切れて スマホがマックロに・・・ w( ▼o▼ )w

三栖閘門はこの隣で見えてるのに・・・

 

三栖閘門

 

伏見の街を水害から守るため、1922年(大正11年)、宇治川右岸の観月橋から三栖の堤防工事が始まり宇治川と伏見港が分離されました。

 

それに伴い1929年(昭和4年)、三栖閘門が建設され、宇治川と濠川との4.5メートルほどの水位差を上下させて調整し船を行き来させていました。

 

しかし陸上運輸の発達で貨物船による輸送が減少していき、ついに淀川の舟運はなくなってしまい、さらに宇治川上流に天ヶ瀬ダムが完成してからは水位が大幅に減少し、閘門はその役目を終えました。

 

三栖閘門の南側には 巨椋池干拓した土地が広がっていました ヽ(。´Д`。)ノ

 

三栖閘門は 今では観光用の十石船、三十石船の乗船場になっています

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 写真は月桂冠のサイトからお借りしました

 

 

一人でたくさん歩いた後は、お友達と待ち合わせて 夢屋さんへ

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お友達に写していただきました

 

朝からずっと歩いていたので お腹がペッコペコ ぺろりと美味しくいただきました

Tさん いつもありがとーね ヽ(。´Д`。)ノ