河川と橋梁って 正直言って困難すぎます
お手上げ状態ですが 順番に見に行きましょう
。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。
★堀川第一橋 = 中立売橋 = 公儀橋 = 永久橋 = 鶴橋 = 万年橋 名前多すぎ!!
梁川第一橋は 堀川の中立売に架かる道路橋で、
現在の橋に架け替えられる前から地元では 「中立売橋」と呼ばれてきました
江戸時代に幕府が設置した中立売橋は 擬宝珠高欄付きの付の木製の橋でした
「洛中洛外図 (二条城行幸図) 屏風」には
後水尾天皇が二条城の行幸に中立売橋を渡る様子が描かれています
中立売橋は御所と二条城を結ぶ道路にかかる重要な橋であり
そのため 「公儀橋」として幕府が直轄で維持管理をしたのです (@⌒ο⌒@)b
明治時代に中立売橋は幕府から京都府に引き継がれました
そして、永久に壊れることがないようにと石の橋に付け替えられ、
堀川で最初の「永久橋」として「堀川第一橋」と名付けられました
その構造は石工の伝統技術により作られた 全国的にも数少ない真円石造アーチ橋です
日本だけではなく
世界的にも稀な「全円型」(アーチが川底まで伸びて完全円をなすもの)の
石造アーチ橋で、欄干の意匠も伝統的な和風意匠になっています (((o(´∀`)o)))
近代的工法で建設されるコンクリートや鋼鉄の橋に移行する前の
永久橋の形式が残るものとして近代橋梁史上価値が高い
堀川第一橋は市内の公儀橋を永久橋として架け替えた現存最古の石橋として
貴重な橋である (゚Д゚) ソウナンダ!!
ほぼほぼ 駒札より
地図で見てみると御所と二条城はこんなに近かったのね~ (゚д゚)(。_。)ウン!
この地図を見ると 「洛中洛外図 (二条城行幸図) がよく理解できます
左側の屏風には、二条城を出て後水尾天皇を迎えに御所をたずねる
三代将軍家光の一行が堀川沿いに北に向かう様子です
二条城の天守閣も描かれているように見えます(画像が小さくて見えにくいですが)
解りやすいように地図に合わせて縦にしました ヾ(〃^∇^)ノ
右側の屏風には、御所を出て二条城に向かう後水尾天皇一行が描かれています
屏風の真ん中をくっつけると、とてもよくわかります
今まで洛中洛外図をええ加減に見ていましたが、改めて感動を覚えました
この真ん中が 堀川中立売橋です (^-^*)♪♪
二条城を出るところ 石垣が描かれています ↓
後水尾天皇が鳳輦にのられたところ ↓
この二条城行幸図屏風のおかげで 堀川第一橋が印象づきました
中立売橋がどんなふうに描かれているのか
今度機会があれば じっくり間近でこの絵図をみたいわ~
こういう場合は 近くまで寄っていける高詳細レプリカがいいです ( ●´艸`)
大日本印刷さん よろしくお願いします m(。-_-。)m
★ あっ !!(゚ロ゚屮)屮 後水尾天皇より先に
秀忠の娘、和子が後水尾天皇にお輿入れの際に通っています
戻橋を避け、この橋を「万年橋」と名付けて通ったそうです ヾ(´Д`)ノ☆
あっ 鶴は万年だからか
堀川第一橋 この橋の向こうが御所です
↓ 北から南を向いて写す
↓南から北を向いて写す
今は永久橋として石橋になりましたが、行幸当時は木橋で、擬宝珠高欄がありました
石橋になってもその様子を残しています
擬宝珠の先は菊のご紋章みたいになっています
実は気付いていなかったので、擬宝珠の写真はネットからお借りしました
一条戻り橋の北あたりから 二条城の南あたりまで遊歩道になっていて
気持ち良い時間を過ごせます o(*^▽^*)o
★亀橋
中立売橋が鶴橋 なら 下立売橋が 亀橋でした
気持ちの良い散歩道を南に下がっていくとスグです (σ≧∀≦)σ 感じ方に個人差あり
石の並べ方も違うし、第一橋と比べると 大きな円弧ですね Ψ(`∀´)Ψ
第一橋で ちょっと引っかかっているのが
世界的にも稀な「全円型」というところなんですが
見えないところまで円になっているということなのかしら
少し前に行った 直違橋が「全円型」だったように思います
小さな円ですが^^;
円の石橋繋がりの 直違橋
★伏見街道第四橋 = 直違橋
一条戻り橋、堀川第一橋 第二橋と回りました まだまだ橋がありますね~
。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。