まったく知らなかった橋がありました
それも年代物の石橋 しかも真円 全円アーチ
京都市内に残る唯一の江戸時代の石造アーチ橋として貴重らしいです
おまけにメガネです ヾ(´Д`)ノ☆
★ 円通橋 南側から眺める ↓
北側から眺める ↓ 木が茂っていて写しにくいです 。・゚(゚⊃ω⊂゚)゚・。
円通橋(えんつうきょう)は
大谷本廟の門前「皓月池」に架かる花崗岩製の二連式石造アーチ橋です
幅5.5m、長さ40.0m、二つの全円型アーチの直径は3.2m
1856年(安政3年) (明治になる12年前)の建立で
京都市内に残る唯一の江戸時代の石造アーチ橋として貴重です。
二連の真円・全円型アーチがあることから「西大谷の眼鏡橋」とも呼ばれています。
長崎の眼鏡橋が半円アーチながら川に映って眼鏡型をなすのに対し、
ここでは全円形アーチ二つによって眼鏡型をなしている点で極めてユニークで、
世界的にも極めて珍しい石造アーチ橋である。
(なぜか最近 世界的にも珍しい橋が続いていて、ホンマなん?と疑いたくなります)
親鸞聖人の600回忌に際し大坂の商人播磨屋五兵衛の寄進によると伝え、
工事を請け負ったのは大坂の「石屋源助」、
その他工事には石工の集住地として著名な愛宕郡白川村(現京都市左京区白川)
の石工「太郎衛門」が関わったことも西本願寺に残る文書によって分かる。
大谷本廟の正面です この太鼓橋の石橋が円通橋です
普段は五条通って南に下がる通過点か 清水寺に上るときの角っことしか頭になく、
向き合ったのは初めてです 親鸞聖人 ごめんなさい m(≧∇≦)m
さすが お西さんは豪華です !!w(゚o゚*)w
橋の下には「皓月池」があり、池には赤白の蓮が植えられていました
円通橋の真ん中から北を見る ↓
円通橋の真ん中から南を見る ↓
かつては風光明媚な場所として市民に親しまれたが、
昨今では橋の下の円形アーチに気付かない人も多いようです。
というか、見せようとはしていない気がします。見えにくいです。見えません。
(>人<;)
橋の擬宝珠は逆蓮華になっていました
あまりに見えにくいため、
受付でちょっと尋ねてみたら、パンフレットくださいました
地図のイラストが可愛い~ Ψ(`∀´)Ψ けれど池には入れてもらえず…
↑ Wikipediaに載っていた写真 19世紀末頃の円通橋
この位置から写せるのは 今は入ったらあかん所です
同じ京都市内にある明治6年築造の「堀川第一橋」が市の有形文化財に指定されている
のに対し、それより18年前の江戸時代に築造された重要文化財級のこの橋が
未だ何ら指定を受けていない理由は不明である。
ここまで ほぼほぼ Wikipediaです
それは歴史的な重みが違うからかな~とか
一般人が毎日利用する橋でもないしな~とも思っていますが
文化財ってそういうものでもないか・・・(・'v`・)?? どうしてでしょうね
橋巡りの旅で 伏見街道第三橋 第四橋はあったのに…
Mさんに教えていただいたので、確認してきました
★ 伏見街道一之橋 跡
この附近では,東の東福寺附近から何本かの川が街道を横切っており、北から順に二之橋、三之橋、四之橋があります (゚д゚)(。_。)ウン!
向かい側にお地蔵様があって、いかにも昔ここに川があって、
橋の角っこのお地蔵さまという気がしました
お地蔵さまから 一之橋の碑を眺めるとこんな感じ
もともとこの附近は一之橋町と称し(明治2年に現町名に改める)、小学校も
一橋(いっきょう)小学校というように 町名・校区名の由来となっていましたが
埋めたてられたそうです。 名前は今でも残っているのね~ ヾ(≧ω≦)ノ
★ 伏見街道第二橋
東福寺駅の近くの高架下にありました
今は暗渠になっているけれど、どこかに川が出てこないかしらと探しましたが
西側には疎水が流れていて・・・その向こうは鴨川になるし・・・
何処に流れてるんでしょう
ついでに
今日も楽しく歩けました
円が二つで 円 TWO 橋 円通橋 覚えやすいね~ ヾ(〃^∇^)ノ