2021年7月 史跡山科本願寺跡公園が完成しました
本願寺と言えば今や日本で一番信者数の多い浄土真宗の総本山ですが
山科本願寺って・・・なに?
鎌倉時代 念仏を唱えることで誰でも極楽に往生できると説いた法然の考えを更に進め
親鸞は 阿弥陀如来の本願で誰でも極楽に往生できると説きました
親鸞の曾孫の覚如が本願寺(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称しました
活発な布教活動で多くの信者を得ましたが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎませんでした
室町時代の後期に登場した蓮如は 講と呼ばれる組織を築き 人々が平等に教えを聴き団結できる場を提供しました
また親鸞の教えを安易な言葉で述べた『御文おふみ(御文章ごぶんしょう)』を著作し 一般に広く教化したのです
この事で本願寺は急速に発展・拡大し、一向宗と呼ばれるようになりました
応仁の乱の頃には一向一揆で北陸全土から狩り出された門徒が何度も朝倉氏と決戦しています
朝倉氏に奪われていた吉崎の道場奪回で さらに何度も朝倉氏と決戦しています
そして 畿内では吉崎より移った蓮如が文明14年(1482年)に建立した、京都山科本願寺が本拠地でした
(ウィキペディアを参考に短くしました)
信長と戦うのは まだ少し先です ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃
つまり お寺ではあるけれど 戦う集団でもあったわけですね
だから防御のためか お寺の周りは土塁で囲われていました
全景はこんな感じです
あれ? 何もないよ って思ってしまいますが
史跡なので 地面に近いところにあれこれありました (;Α´∀`)
説明版があります
フフフ 説明版の真ん中あたりに 焼き討ちにあった時のことが書かれていますが
白く文字が消されているところの下には
比叡山僧侶って 書いていた気がします
書いたらあかんのや~ w( ▼o▼ )w w( ▼o▼ )w w( ▼o▼ )w
それとも 新しい研究で 比叡山の山法師はこの焼き討ちには参加しなかったのか
!!(゚ロ゚屮)屮
青いところは水が流れていたところ
柱があったところには 丸い石柱が建てられています
何かある方がイメージしやすいよね これだと建物の下に川というか 用水路が流れていたのかな??(゜_。)?
左上のフェンスの向こうは土塁です
これはお風呂の跡です
右側のレンガが置いてある方が蒸し風呂で サウナ風呂の方法です
蒸気が上がるのは 後ろ側の狭いところなんでしょうか?
左側のぺったりしたオレンジ色のところは 竈場です
今や子供でも書ける難しい漢字 『竈』ヾ(´Д`)ノ☆
この文字が書かれていました
これは土塁です かなりの土の量ですね
こんな高さに ぐるりとお寺が取り囲まれていたんでしょう
まるで城郭のようです
この遺跡を守っていた家も残っていました
新しく復元された塀の造りを見るだけで
戦いに負けないぞ!!っていう気迫が感じられます
1メートル毎にこの支え 普通では考えられません w|;゚ロ゚|w
向こうから押されても びくともしないはずです
史跡はその場所にたって歩き回って あれこれ想像するのが面白いよね (((o(´∀`)o)))
この空間を残してくれることが素晴らしいわ~
場所はここです
史跡近くのカラフネヤに立ち寄りました
苺のフレンチトーストとお団子です (@⌒ο⌒@)b
写真を撮っている間に 棒が火事になってしまったわ 。゚(゚^Д^゚)゚。
お団子には影響なし ( ◎´艸`)
久しぶりに会ったMさんも いつも一緒のTさんも
自粛中はあっていなかったので ワイワイと楽しく過ごしました
Mさん Tさん ありがと~ 楽しかったね~ ヾ(´Д`)ノ☆