利休忌 大徳寺・瑞峯院へ (((o(´∀`)o)))

今日だけは利休に浸りたかった な~んちゃって ┗|*`0´*|┛

2月28日は千利休の命日です

 

天正19年2月28日(現在の暦で1591年4月21日) 千利休死去

豊臣秀吉が堺に蟄居謹慎させていた千利休に対し
京へ出頭するよう命じたのが天正19年(1591)2月26日です。
利休はこの2日後に切腹して果てる事となります

 

こんなに昔の人なのに
毎月28日には日本各地で利休をしのび おまいりをし茶を頂く
尽きることなく重ねられているなんて
それほど 日本人はお茶を愛しているんだな~ (゚д゚)(。_。)ウン!

 

そういう私も 新参者ながら茶の湯にはまっています
お点前の手順が なんて合理的なんでしょう と思うのです

 

利休のお墓は大徳寺塔頭 聚光院にあるのでおまいりがしたかったのですが
聚光院は今月は裏千家の当番で 身内だけで法要を行うとのこと

今日は拝観休止でした

 

それならばと 同じく大徳寺塔頭 瑞峯院の利休忌 茶会に参加してきました

ヾ(´Д`)ノ☆

 

★瑞峰院

九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟

自身が帰依した大満国師・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)を開山に迎え

1535年に大友家の菩提寺として瑞峯院を創建しました

創建当時から残る客殿と表門 唐門は国の重要文化財に指定されています

ということは もう500年もたっているのね これが表門 ↑↑↑ です

 

こちらが唐門 ↑↑↑ 

 

方丈周りにある「独坐庭」と「閑眠庭」はどちらも昭和36年(1961)に

重森三玲が開祖400年遠忌を記念して作庭しました

 

●独座庭 

重森三玲による方丈の正面に位置する蓬莱山式庭園で

大刈込と巨石で表した蓬萊山からのびる半島と

小島に打ち寄せる荒波を砂紋で描いています

 

本堂正面の勅額「瑞峯院」は後奈良天皇の筆ですって

後奈良天皇の子供が正親町天皇です(麒麟が来るによく登場してたね)

待合はこの独座庭の前の「檀那の間」でした

待合の軸 『一重山〇一重』 フフフ 読めませんでした 漢字がわからない


本席に使われるお道具の箱がずらり

茶杓 表千家十一代家元 碌々斎 (表千家なので覚えておらず 誰?m(。v_v。)m )

銘 鳴神(古い歌舞伎を YOUTUBEで見たな~ 岩屋山 志明院に伝わる伝説です)

お菓子 虎屋 銘 寒紅梅

 

お茶会があったのはこの先のお部屋です

 

方丈の外縁を奥に進み 右に回り込みます

路地を挟んで向かい側に「餘慶庵」と記された茶室があります

 

↓↓↓ 以前に訪問した時の写真です

 

簾もなく扉も開放したままでした

露地は歩かず 渡り廊下がしつらえてありました

 

席主が仰るには コロナ前に戻るのではなく 安心安全な茶会はどうあるべきか

前に進まなくては行けないと仰っていました ヾ(´Д`)ノ☆

お話しはユーモアたっぷりでとても面白く テンポよく

お点前も楽しく説明されていました (裏千家とは違っていました)

 

お菓子は2種類 寒紅梅と干菓子は黒糖のケーキのようなもの

寒紅梅のアンコは特別に美味しいものを入れてもらったと席主 o(*^▽^*)o

 

 虎屋のサイトより

 

持ち帰ってきました ( ◎´艸`) 

実は茶席でコロコロと落としてしまったんです 

お顔がポッポと火照りましたが

とっさに何事もなかったかのように拾いました 。゚(゚^Д^゚)゚。 

 

本席のお花は席主の90歳を超えるお母さまが育てたという 菜の花

お軸は読めず

席主が60歳の祝いにお家元から頂いたというお茶碗は

紅梅が開いた梅の木の側に伏せ牛の画 (天神さんかしら?)

 

茶会とともに「室中」では 書展(今日のお軸を書いたおおにしまさなりさま)
「礼の間」では池坊のいけばな展もあり 見ごたえたっぷりでした

 

参加してみて やっぱりお客になるのは難しいな~ と感じました

慣れることも必要ね 

 

出たところで 1人で参加の方からお声をかけていただき 

唐門をバックにお互いに写真を撮りっこしました

みなさま いっぱい教えて頂いてありがとうございました

来月も行って見ようっと  。゚(゚^Д^゚)゚。