待ちに待っていた『三玄院』(((o(´∀`)o)))

「京の冬の旅」非公開文化財特別公開です

 

行きたかった所をピックアップしていくつか行きましたが

仕事が忙しくて 日記を書く力が残っていませんでした

でも 書いても忘れるのに 書かなかったらさっぱり思い出す事も出来ません

覚えている事だけでも 少しづつ書いていこうと思います Ψ(`∀´)Ψ 

実は1月22日に訪問しました

 

『三玄院』は大徳寺の中の塔頭の一つですが

普段は拝観謝絶 (>人<;)

京の冬の旅では初公開 

お寺によると公開するのは50年ぶりですって (((o(´∀`)o))) 

勅使門の奥にある金毛閣を横目で見

その奥の仏殿は工事中

仏殿の前にあるのが 憧れの『三玄院』です

浅野幸長(あさのよしなが)、石田三成森忠政(蘭丸の弟)ら

三武将が創建した塔頭寺院

開祖は春屋宗園(大宝円鑑国師)です

 

春屋宗園のところで黒田長政古田織部など多くの人が禅を学びました

石田三成古田織部菩提寺でもあります

つまりお墓があります  w|;゚ロ゚|w

 

石田三成

関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は 慶長5年(1600年)10月1日に六条河原で処刑されました 処刑後 三成の首は三条河原にさらされたのです
石田三成と生前親交の厚かった春屋宗園が遺体を引き取り 三玄院に墓を建てて葬ったと伝えられています

 

1907年 明治40年に三玄院のお墓の調査をしたら 

首と胴体をつなげた跡があるお骨が出てきました

多分これが三成であろうということです  w|;゚ロ゚|w

 

頭蓋骨を元に複願したものがあり それをもとに肖像画が描かれています
鼻筋の通った細面が特徴的です

めちゃくちゃ目パチで驚きました  w|;゚ロ゚|w


遺骨を基に描かれた三成の肖像画長浜城歴史博物館提供

 

さあ お部屋に入りましょう 建物に入るとすべて写真NGなので

京都観光NAVIの写真をあちこちにお借りしています

 

★原在中

方丈には 江戸期の絵師・原在中が

各室ごとに異なる技法を用いて描いた襖絵が残っています

 

これは表の看板から写した『八方睨みの虎』です

↑↑↑ この写真は京都観光Naviからお借りしました

 

鼻の穴のV字部分と 目頭のチョンチョンだけに薄い黄色を入れて

全体を引き締めています この画が有名なようですが

じつは同じ部屋でこの虎が見つめている絵がもっとすごいんです

 

4枚の襖絵に 龍の鱗と水しぶきと渦巻く風が描かれているんです

龍が池の中から勢いよく空に昇っていく瞬間で あまりのスピードで龍は見えません

向こうの方から音が聞こえるんです

ゴゴゴゴゴ グワ~ン といって 目の前を通り過ぎていきました

見えていないものを感じさせるって 

やるやん 原在中 ┗|*`0´*|┛ 

 

他にも原在中は 各室ごとに異なる技法を用いて描いた襖絵を残しています

↑↑↑ この写真は京都観光Naviからお借りしました
クジャクが目立っていますが その他にも小さな小鳥たちがいました

↑↑↑ この写真は京都観光Naviからお借りしました

 

これって見たことある気がするよね そう あの画

牧谿の『 観音猿鶴図 』

やっぱりそうです サインしてあります 牧谿って w|;゚ロ゚|w

最初が牧谿という文字でツラツラと8文字ほど書いてありました 

原在中の画なのに どうして牧谿と書いてあるの ??*°□°*?? とお尋ねしたら

牧谿をまねて描いたという意味のことが書かれてあるそうです

 

等伯も心を奪われたという牧谿 

原在中も牧谿のフワフワお猿のとりこになったのね ヾ(〃^∇^)ノ

 

★昨雲庭

↑↑↑ この写真は京都観光Naviからお借りしました

昨雲庭は七五三形式に石が配され 大海原と滝などが表現されています

このお庭の塀の向こうに見える背の高い樹は

三玄院の門の前の通り道の松です 

ちらりと見えている屋根は大徳寺の法堂です

禅宗寺院の枯山水庭園はだいたい南庭が多いのですが

東向きに作られたのは この景色を借景に取り入れるためだと言われています

小さいお庭ですが 借景のために大きく感じられました

 

 

残念ながら茶室「篁庵」の中は見れませんでしたが

外からの雰囲気や躙り口の様子は見れましたし

一畳の相伴席の位置も大体わかりました

やっぱり中も見たかったな~ 。°(っ°´o`°c)°。

 

 

長谷川等伯

三玄院と等伯と言えば忘れてはいけない あれ (・:゚д゚:・)

紋のついた唐紙の襖に 勝手に画をかいたというエピソード ヾ(≧ω≦)ノ

↑↑↑ 京都で遊ぼうART よりお借りしました (現在は高台寺圓徳院蔵)

京都の御所や有名な神社仏閣は狩野永徳が牛耳っていました

まだまだ売り出し中の等伯は 願い出ても描かせてはもらえませんでした

 

ある時 住職の春屋宗園が2か月の旅に出かけて留守であることを知り

等伯は勝手に客殿に駆け上がり 

紋の絵柄の襖に一気に描きあげてしまったと伝えられています

桐紋などを散らした唐紙に絵は描かないのが通例ですが

この襖絵はすべて桐紋襖の上に描かれた非常に珍しいものです


帰ってきた春屋宗園が怒ったのはもちろんですが

その出来栄えが素晴らしかったため そのまま襖絵は残されることになりました

 

その等伯による伝説的襖絵が 明治の廃仏毀釈の際に三玄院から流出

現在は高台寺塔頭圓徳院に全36面の襖絵のうち

「夏の絵」「冬の絵」など32面が残されています

 

 

一月に訪れた三玄院を3月後半に記しています

だから思い違いが多いかもしれません

一度は入ってみたかった『三玄院』に入れて感動しました

こんなに拝観謝絶だったのに 茶会では入れると知った時の驚きたるや

お茶を続ける大きなきっかけになりました щ(`∀´)ш

Tさん いつもありがとーね (((o(´∀`)o)))