京の歳時記三千回記念として 聖護院御殿荘で
平野めぐみさんを囲んでのランチ会に参加させていただきましたΨ(`∀´)Ψ
平野めぐみさん おめでとうございます ヾ(´Д`)ノ☆
さすがご門跡です こんな所にまで菊の御紋が w|;゚ロ゚|w
御殿荘は別の入り口もありました
聖護院は京都でも とっても有名な寺院です
宗教以外でも 聖護院『八つ橋』とか 聖護院だいこんで作る『千枚漬』
聖護院って馴染みがありますよね щ(`∀´)ш
お寺としての聖護院は
平安時代 白河上皇の熊野御幸に先達を務めたということで
増誉(ぞうよ)大僧正が寺院(役行者が創建した常光寺)を賜りました
そして「聖体を護持した」という功績から「聖護院」と改名しました
えっ? 聖体って白河上皇のことなん 。゚(゚^Д^゚)゚。
聖護院は野山に分け入っての「修験道」を実践する本山修験宗の総本山です
ご本尊は 不動明王
また江戸時代には
天明の大火を逃れて来られた光格天皇 が三年間ほど御在所になられました
孝明天皇 も幕末頃の安政の大火で御所炎上の際に聖護院に避難されました
その時に 例の 柏屋光貞の法螺貝餅を食べられたそうです
こんな歴史から現在も 『聖護院旧仮皇居』 として国の史跡に指定されています
境内には重要文化財である書院や
光格天皇ゆかりの「一夜造りの御学問所」「お茶室」など
当時のおもかげそのままに残っているようです
今日も仲良しのTさんと一緒です
集合よりも早めに行って あちこちを探検しましょうよ ┗|*`0´*|┛
御殿荘の係の方にOKを頂き お庭に出発~
ε=ε=ε=((((o^ー^)o ブ-ン!!
★八ツ橋
お庭の歩くところ これが八つ橋かしら (・'v`・)??
八つ橋というのは「伊勢物語」にも登場する 三河の国・八橋の板橋に
形が似ていることが由来だそうです
左回りにどんどん進んでいくと お茶室発見~
(人´∀`*).。:*+
★皇室ゆかりのお茶室
きっとここからが露地です
雨が降っているので 緑がとっても奇麗に見えます
小雨だったからかえってラッキーだったのかも o(*^▽^*)o
蹲踞と灯籠もあります
この左側が茶室です
1788年京都に大火(天明の大火)があり 御所が延焼した際
119代光格天皇が三年間 仮皇居としてお使いになりました
お聞きしたら なんとその時 光格天皇 9才のときだったんですって
天皇と言うと 成人男性を思い浮かべますが
昔はこんなに幼くして天皇だったんですね (Ψ▽Ψ*)
天明八年仮皇居の折 亀山城主松平信道公が献上された光格天皇御愛用のお茶室です
★皇室ゆかりのお茶室ゆえの特徴
1 つくばいは立ち蹲踞
2 躙り口ではなく 縁づたいで席入りする(貴人口)
3 炉が向切り お点前するものが天皇様と顔を合わさないようになっている
確かに こんなに背の高い蹲踞がありました
入り口は頭を下げなくても入れる 貴人口です
キリシタン灯篭もありました
こちらは裏側
茶室をぐるりと回ってみましたが 躙り口はありませんでした (゚д゚)(。_。)ウン!
★一夜造りの御学問所
「一夜造りの御学問所」がどの建物かわからなかったんですが
立札ならぬ 寝ちゃった札発見 。゚(゚^Д^゚)゚。
急いで作られたことから 「一夜造り」と呼ばれているんですって (σ≧∀≦)σ
乾燥に時間がかかる土壁は使われず ありあわせの板をはり 内部は壁紙を張り
壁に見せるなど 急造の苦心の跡を見ることができるそうです
。゚(゚^Д^゚)゚。
確かに土壁は見えませんね
ぐるりがすべて建物なので
宸殿 - 江戸時代中期建立 光格天皇が仮御所とした
書院(重要文化財) - 江戸時代初期の建立 御所の女院を拝領した
というのは分かりませんでした
今度ゆっくり再訪したい程 魅力的なお庭でした
お食事も美味しかったわ~ (((o(´∀`)o)))
フルーツは食べちゃいました ( ◎´艸`)
食後にゲームをしてくださったり 沢山のお土産まで頂いてビックリ (@⌒ο⌒@)b
お話しの中で天皇が三人と説明してくださいました
三人ってどの天皇かしら・・・ 光格天皇 孝明天皇しか聞いたことがありません
それがなんと 今上天皇 だそうです
修学旅行でいらっしゃったんですって (((o(´∀`)o))) なるちゃんだったのね~
住んでないけどね (・:゚д゚:・)
平野めぐみ様 ご一緒してくださった皆さま そしてTさん ありがとうございました
すご~く 楽しかったね~ ヾ(´Д`)ノ☆