今年は『寛永の行幸』から400年目の記念の年と言うことで
あちらこちらで寛永の行幸展が開かれています
そこで初めて泉屋博古館に行ってきました
泉屋博古館という名前は 住友家の江戸時代の屋号「泉屋」と
中国・宋時代の青銅器図録「博古図録」にちなんだそうです



寛永の行幸というのは
寛永3年(1626年)9月6日から10日まで
江戸幕府の徳川秀忠・家光父子が後水尾天皇を二条城に招き
5日間にわたって盛大にもてなした歴史的な一大イベントです
日本始まって以来の最大のおもてなしと言われています
へ~ どんなのかしら (゚ー゚?)キョロ(*゚ー゚)ゝキョロ
★二条城行幸図屏風
一番見たかったのがこの屏風 ♪♪
史実を踏まえた確かな記録 (゚д゚)(。_。)ウン! 熱気あふれる風俗描写ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
驚異的な描き込みが興味津々でした ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃

《二条城行幸図屏風》右隻

《二条城行幸図屏風》左隻
右隻左隻共に上段には御所から二条城へ向かう天皇側の御一行が描かれています
下段には 参内する将軍や大名たちの壮大な行列が精緻に描かれています
なにせ御所から二条城まで9000人を超える大パレードなんて空前絶後ヾ(≧ω≦)ノ
先頭が二条城に着いた時には これから御所を出発する人たちもいたなんて♪♪
沿道で一緒に見たかったな~ o(*^▽^*)o
一番見たいのは後水尾天皇よね どこどこ
ご鳳輦に乗っている人 いました左隻上段左側つまり天皇側の最後の方
最初に行くんじゃあないのね 本命は最後っていうのはここでも有りなんだ


これって見覚えがあります 時代祭りのご鳳輦とよく似ているな~
屋根の上に鳳凰が乗っているところ
御簾が3連になっていて 金襴で縁取りされているところ
他の偉い方々は牛が曳いているのに 天皇だけは人間が担ぐんだ (゚Д゚) ソウナンダ??

次に探したのは 東福門院

さすがに後水尾天皇の皇后だけあって
二頭立ての牛車に乗っているようです
美しいであろう『出衣』がとっても地味な色合いなのが不思議でした

そして もっと不思議だったのが どなたが乗っているか分かりませんが
ご鳳輦の後ろの牛車です
出衣が後ろに出ています 前にもある様に見えます
背中合わせに美女お二人が乗っているのかしら ?(゜_。)?
こんなしょうもない事が気になって仕方ないので
展覧会に行くと時間がかかります ((;Α´∀`)
権威をほかの大名や庶民に見せるために徳川家は絢爛豪華です
徳川に付き従いますという家来たちは 沿道に這い蹲っています

平和になった証拠ですね 庶民はお花見の宴会のように
顔をあげて興味津々で行列を眺めています
それも ご飯を食べながら… 隣の女性にちょっかい出しながら…
テレビの時代劇で見ていたような 這いつくばる感じはありません

見物の庶民のお重箱が蒔絵だなんて これは来ている皆に自慢するためかしら
着物だって 精一杯着飾っているように見えます (@⌒ο⌒@)b
大きな派手な柄を着ている人が沢山見えます
流行があったんでしょうね (((o(´∀`)o)))
★ファッションリーダー 東福門院

東福門院というのは 徳川 和子(とくがわ まさこ) 後水尾天皇の皇后です
「かずこ」でしたが 濁音を忌み嫌う宮中の慣習にしたがい「まさこ」に改めました
徳川秀忠と江の間の娘(五女)で徳川家康の内孫です
信長の妹のお市の方の孫でもあります
と言う事は きっと素晴らしい美人だったんでしょうね (((o(´∀`)o)))
そのうえ時代を牽引するセンスの持ち主でした カッコいいね
茶道具に好み物も多く
野々村仁清に焼かせた鶏撮丸香炉がありました
(香りは難しいです 数種類試してみましたがお線香としかわかりませんでした)

宮中に小袖を着用する習慣を持ち込んだのは和子といわれ
尾形光琳・乾山兄弟の実家である雁金屋を取り立てたとされます
和子の注文した小袖のデザインは後に年号から“寛文小袖”と言われるようになりました


この斬新さ 素晴らしいですよね
配色が美しいだけでなく 絞り部分があったり 錦糸の刺繍があったり
お金に糸目を付けないんだな~と羨ましく思ったり
光琳や乾山はこういった美しいものに囲まれていたんだなと考えると楽しいな~
後水尾天皇も寛永文化といわれる様々な文芸芸術の振興に尽くしたことで知られますが
2人そろって突き抜けています ヾ(仰゚Д゚)ノカッコヨ!!! お金も凄いね

↑↑↑ 上のものが押絵とは思わず 絵だと思ってみていました w|;゚ロ゚|w
東福門院は手先が非常に器用な女性で 特に押絵を得意としました
現在日本現存最古の押絵は和子の作成の物と言われます
また京の文化人にとっては和子の押絵を拝領することは一種のステータスでした
★徳川家のおもてなし
寛永3年(1626年)に徳川家光らが後水尾天皇を二条城へ迎えた「寛永行幸」では
5日間にわたり 豪華絢爛な料理や多彩な伝統芸能 文化の遊楽による
最上級の饗応がおこなわれました
●1日目(9月6日): 鳳輦の入城と豪華な「内宴」
●2日目(9月7日): 雅な「舞楽」の上演 および莫大な銀5.5万両などの贈り物
●3日目(9月8日): 乗馬・蹴鞠、和歌、管弦(音楽)、さらに天皇による「天守登楼」
● 4日目(9月9日): 猿楽(能楽)の観覧
● 5日目(9月10日): 天守への再登楼と 還幸(お帰り)
わ~ 何としてでも天守を再現して欲しいものです
やっぱり お城と言えば天守が一番の魅力だと思うのです…
★大きく変化した二条城
● 行幸を迎えるにあたり敷地を西側へ大きく拡張し 新たに内堀で囲まれた「本丸」が増設されました
↓↓↓ 天保14(1843)年に作成されたとされる二条城の平面図
下に行幸御殿、右側に二の丸御殿、左に本丸御殿が描かれ、色分けがされています。緑色の部分は寛永行幸のために建てられ、その後移築するなどされた建物です

● 城の正門である東大手門は 行幸の際に「天皇を2階から見下ろすことがないよう」
あえて一重の門として建て替えられたという配慮の逸話が残ります
また 二の丸御殿の正門である唐門もこの行幸に合わせて建立され
極彩色の彫刻と黒漆・金のコントラストで天皇を迎え入れました
↓↓↓ 行幸時の東大手門 一重の門です
↓↓↓ 現在の東大手門 二階建ての門です

極彩色の彫刻と黒漆・金で飾られた美しい唐門

● 家康の建てた初代天守は淀城へ移築され
代わりに伏見城から絢爛豪華な「五重の天守」が本丸の西南隅に移築されました
火事でなくなってしまったのが残念で仕方ありません
↓↓↓ 当時の天守再現図

● 二の丸御殿の南側には
天皇を迎えるための「行幸御殿」や「中宮御殿」などの広大な建築群が新設されました
現在国宝に指定されている「二の丸御殿」は
将軍の居所(謁見空間)としてこの時に大きくリニューアルされ
狩野探幽率いる狩野派の絵師たちによって
天皇を圧倒するような黄金に輝く障壁画が描き揃えられました
↓↓↓ 二の丸御殿 大広間

●二条城に建てられた「行幸御殿」は譲位して上皇となった後水尾院の住まいである「京都仙洞御所」へ移築されました
仙洞御所に移築された行幸御殿などの建築群は
江戸時代の度重なる大火で すべて焼失してしまいました残念至極 (゚д゚)(。_。)ウン!゜
その他 茶の湯関連で茶入れの色々の展示があり
お稽古で使っている大海・内海・文琳などのたくさんの本物と
それに合わせた美しい仕覆の組み合わせを見れたことが最高でした (@⌒ο⌒@)b
久しぶりの博物館
寛永の行幸 まだまだ分からないことだらけ
どうする試験 ああ無常 (>人<;)
それでも好きなことが出来て楽しい時間を過ごせました (((o(´∀`)o)))
















































この画の上の方(お山の上のほう)に 成相寺が描いてあるんです




















































































とっても暑かったので イチゴミルクかき氷を頂きました













