宇治の史跡ウォークに参加できなかったので勝手にリベンジ
新しい謎解きにもチャレンジしてきました (((o(´∀`)o)))
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今日も仲良しのTさんと一緒よ♪♪
京阪宇治駅について 真っ先に観光案内所で謎解き冊子を頂きました
アナログです ( ●´艸`)
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太秦萌ちゃんはじめ 京都は素敵なキャラクターが増えましたね Ψ(`∀´)Ψ
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史跡めぐりは 準備万端?
スマホのバッテリー温存のため 前もって地図もプリントアウト
予定通りグーグル地図に沿って歩き回りました
★1 東屋 50帖 浮舟登場 匂宮との出会い 薫と結婚
東屋観音と呼ばれる石像 鎌倉時代後半 花崗岩に刻まれた聖観音 詳細不明
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東屋(あずまや) 薫26歳の八月から九月にかけての話
薫は亡き大君に似た浮舟に関心を持ちつつも身分の低さでためらっています
匂宮が偶然浮舟を見つけ強引に言い寄ってきました
姉(中の君)の夫に言い寄られるという出来事にいたたまれない思いの浮舟です
大君が忘れられない薫ちゃんのフニャフニャがマジ嫌いです
結局浮舟と結婚しても幸せにはなれないよ 身代わりにするのはアカン (>人<;)
何だかんだ言っても 源氏物語の魅力は 良い悪いで判断できない所かも
★2 椎本之古蹟 46帖
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46帖 薫23歳の春2月から24歳の夏の話
匂宮は初瀬詣の帰りに宇治で宴をはり 迎えに来た薫と管弦を楽しみます
京へ帰った匂宮は八宮からの文をきっかけに中君と文を取り交わすようになります
八宮は山寺で寂しくその生涯を閉じます
薫君は姫たちの暮らし向きに心を配りますが 姉大君への思いが育っていきます
彼方神社(おちかたじんじゃ)椎本(しいがもと)の古跡
彼方神社が椎本の古跡です 諏訪明神を祭神 古くは宗像の神を祀りました
★3 宇治川太閤堤跡
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太閤堤は400年前に秀吉が宇治川に作った堤防です
伏見城を作った秀吉は城下を水陸交通の拠点にするために
前田利家や徳川家康ら諸大名に命じて宇治川と巨椋池に堤を作らせました
★4 浮舟宮跡(菟道稚郎子墓)(うじのわき-いらつこ、?-312)
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菟道稚郎子は応神天皇の息子です !!(゚ロ゚屮)屮
つまり あの 神功皇后の孫です !!(゚ロ゚屮)屮 !!(゚ロ゚屮)屮
応神天皇の寵愛を受け 兄たちを差し置いて立太子されました
当時は若い皇子が天皇になった方が一代の活躍期間が長く
国家の繁栄が期待できる治世になるという考え方もあったようです
しかし菟道稚郎子は長子が跡継ぎになる方が良いという考えを持っていました
応神天皇没後 二人は皇位を譲り合い 政治の空白期間が3年にも及んだようです
この間に、皇位を巡り 別の兄・大山守皇子は挙兵しました
大鷦鶺(おおささぎ)皇子はこれを菟道稚郎子に知らせ
自らも皇位を譲りを受けない意志を示した
菟道稚郎子は 菟道川(うじがわ)で兄・大山守皇子を討ちました
そして大鷦鶺皇子に皇位を継がせるために 入水して自らの命を絶ったのです
313年 兄・大鷦鶺皇子は仁徳天皇として即位しました
へ~~~~ !!(゚ロ゚屮)屮 !!(゚ロ゚屮)屮 !!(゚ロ゚屮)屮
菟道稚郎子は 第45帖「橋姫」 第46帖「椎本(しいがもと)」で登場する
宇治八宮のモデルともいわれています
宇治八の宮は三人の姫の父ですが 大君と中君は北の方(正妻)との間に生まれ
浮舟は北の方の死後 北の方の姪にあたる女房・中将の君との間に生まれており
八の宮には娘だと認められていません w( ▼o▼ )w
★5 手習の古蹟 53帖
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石碑は手習に使う筆の穂先のような形をしています(舟の形にも見えました)
浮舟が宇治川に身を投げたあと
宇治院の森の大木の下で僧都に助けられたところと想定されています
確かに大きな梛(なぎ)の木(僧都の意味です)のおかげで
浮舟が流されずに引っ掛かったようにも見えます
★6 蜻蛉之古蹟(阿弥陀三尊) 52帖
タイトルは 薫が大君・中の君・浮舟を想って詠んだ
「ありと見て 手にはとられず見ればまた ゆくへもしらず消えしかげろふ」
失踪した浮舟が入水したと思い
遺骸のないまま葬儀が営まれ身辺の品々が火葬されました w( ▼o▼ )w
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★7 宇治市源氏物語ミュージアム
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すぐに分かるよね 空蝉 (゚д゚)(。_。)ウン!
色々な展示がありました
★8 総角(あげまき)の古蹟 47帖
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「総角」の巻名は 八宮(はちのみや)の一周忌の佛前に供えられた
名香の糸飾りに託して 薫君が大君への思いを詠んだ歌によります
「総角に長き契りを結びこめ おなじ所によりもあはなん」
大君 中の君 浮舟 薫君 匂宮と 昼ドラも真っ青なほど
気持ちが入り組んでドロドロです
美しく生まれても 貴族に生まれても 悩みは尽きないものなんですね
.+(〃ノωノ)゚.+°―!!
★9 宇治上神社
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拝殿(国宝) - 鎌倉時代前期の造営で、寝殿造の遺構といわれる。切妻造、檜皮葺き。桁行6間、梁間3間の主要部の左右に各1間の庇を付す
左右対称じゃあない所が面白いね
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本殿(国宝) - 平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされる
流造 桁行5間(正面 梁間(側面)3間
檜皮葺きの建物内に 一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ
3棟とも少しずつ違っていました
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右殿:菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)
中殿:応神天皇 第15代天皇。菟道稚郎子命の父
左殿:仁徳天皇 第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄
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桐原水はとっても冷たくて気持ち良かったです ヾ(´Д`)ノ☆
★10 早蕨之古蹟 第48帖
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父八宮(はちのみや)に続いて姉の大君まで喪い
独りになった中君の許に 宇治山の阿闍梨から春の便りにと
籠に入れられた蕨や土筆が贈られてきます
その温かい心に感動した中君が返歌した歌によります
「この春はたれにか見せむ亡き人の かたみにつめる峰の早蕨」
もうこのあたりは 結婚していても幸せなのかどうかすらわからない
ぐちゃぐちゃ (・:゚д゚:・)
★11 宇治神社
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祭神は菟道稚郎子命 1柱
『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記されます
本殿には 菟道稚郎子像と伝える神像(国の重要文化財)が祀られています
神像があるのは 大変珍しい事です
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宇治神社は見返りウサギになってるよ (@⌒ο⌒@)b
12 宇治十帖石像
源氏物語「宇治十帖」の古跡全体を象徴するモニュメントです。ヒロイン浮舟(うきふね)と匂宮(におうのみや)が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な情景をモチーフとされています
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13 宇治川先陣之碑
14 あじろぎの道
15 橋姫神社
16 夢の浮橋・宇治橋
最後の十帖は光源氏の子薫君と孫の匂宮の二人の男性と
大君(おおいきみ)中君(なかのきみ)浮舟(うきふね)の三人の姫君が織りなす
悲恋の物語です
その主要な舞台が宇治の地に設定されていることから「宇治十帖」と呼ばれています
「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わっていることにみられるように
紫式部にとっては源氏物語の終章を書くうえで
川霧にけむる宇治川がなくてはならない舞台装置でした
この日も前日の雨のせいで 水量が多く 朝霧橋などは通行止めとなっていました
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冷やし飴ソースのソフトクリーム
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通園で 茶そばと抹茶のかき氷 メチャクチャ美味しい~ (@⌒ο⌒@)b
謎解きもクリアーでき 商品と引き換えたかったんですが 時間が17:15
観光案内所は17時まででした
また 宇治まで行ける時があるかしら (;Α´∀`)
暑い暑い一日でした
Tさん 私の源氏物語好きにお付き合いいただいてありがとーね
好みや性格が違うけど ずっと仲良しです
ひとえにTさんの忍耐のおかげかも ヾ(´Д`)ノ☆