天下分け目の天王山!(メ`へ´)/爻\(`へ´彡)

6月2日に本能寺で織田信長を討った「明智光秀」と
中国大返しによって舞い戻った「羽柴秀吉」が、
大山崎を舞台に戦った「天王山の戦い」


この戦いに勝って秀吉が天下人となり、
光秀は逃げている途中で農民の落ち武者狩りに会い、無残な結果に…


両陣営がどんなところだったのか
吉村さんのご案内で、気温35度の中
山道を歩き回りました
ε = ε = ε = ((((o^ー^)o


まずは、勝者、秀吉側へ


勝因は、
★主君のかたき討ちと言う大義名分で味方が増えていった事
★本陣を見晴らしの良い山の上に置いたこと
黒田官兵衛の戦略で、山の上の陣に、毛利の旗印まで靡かせたこと
★驚くほどの素早い対応で、光秀に仲間を募らせる時間を与えなかったこと


う〜〜ん、なるほど (。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚)


秀吉が主君信長が討たれたことを知ったのは
なんと、翌日の6月3日夜。めっちゃ早耳です^^;


秀吉は毛利と戦っていたにも関わらず、
4日にはすばやく毛利と和睦を結び、
中国大返しによって舞い戻り、7日夕刻には姫路城到着
!≡≡≡ヘ(*--)ノ


ここからは警戒しながらゆっくり進み
ついに12日、大山崎の地で、光秀と決戦!!
(メ`へ´)/爻\(`へ´彡)


和睦の際に、毛利の旗を何本も分けてもらい、
それまで毛利側だったその他の武将の旗も分けてもらったなんて…
その時点で、既に作戦が始まっていたんですね〜


旗を立てていた場所は、今でも天王山・旗立松として
7代目が元気に鎮座していました


その場所からは、下界がスッキリ見晴らせるのです
旗立松に秀吉の旗だけでなく、
味方だと思っていた毛利の旗まであったのでは
下から見上げる光秀軍は、意気消沈するに決まってるわ!!

光秀の陣だって丸見えよ
光秀の方が先に到着しているのに
どうして山を取らなかったんでしょう…
その時点で、負けが決まっちゃったんだわ たぶん^^;


こんな布陣で戦ったのね〜♪♪


天王山の山のあちこちに
大きな絵と詳しい説明が… なんと説明文は「堺屋太一」さん
ヽ(*´∀`)ノ


詳しい戦闘絵図が描いてありますが
不思議なものを発見♪♪


馬のお尻に大きな風船がくっついているのです

あれは何ですか?とお尋ねしたら
馬のお尻についているのではなく
武者の背中に背負っている袋です!!
後ろから矢が当たっても、傷つくのを防ぐためです!!
ホロ武者って言うんですって♪♪

おお! エアバッグの理論なのね〜 良くわかりました
そんなこと、今まで知らなかったわ〜
ヽ(*´▽`)ノ


秀吉が本陣を置いた山の上にある宝積寺(ほうしゃくじ)


●宝積寺は聖武天皇のゆかりの寺だけあって
色々と凄いよ〜 (o≧▽≦)o.

★石作り五重の塔は聖武天皇の供養塔ですが
見て! まるでピサの斜塔!! 倒れないの?

聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。
このお宝のある小槌宮が変わっています
屋根瓦が、洋風っぽく赤瓦

そして正面の蟇股には宝船が こんなの初めて〜


★やっぱり瓦には菊の御紋章

狛犬は子連れでした^^;

★秀吉が腰かけたと言われる出世石 もちろん座ってみました(^ー^* )


午前中は秀吉の陣、さあ、午後からは光秀の陣よ
光秀は、沼の中に陣を置いたので、山を下ります


登りもくだりも険しくって、スッテンコロリン
フフフ 転んじゃった
ヽ(*´∀`)ノ