昨日も嵐山まで来たけれど 中途半端だったので 引き続き来ちゃいました
( ◎´艸`) スマホの充電もOKです
昨日は知らない道をスマホの地図を頼りに歩いたのでバッテリー切れになってしまい
写真が写せないのが残念だったから リベンジよ
★ 車折神社 くるまざきじんじゃ 面白い読み方ね~ ( ◎´艸`)
ご祭神は 学問に精通した清原頼業(きよはらのよりなり)です
どうしてこんなに変わった名前がついているかというと
鎌倉時代に 後嵯峨天皇 が牛車で嵐山を訪れた時に、神社の前で牛車の轅(ながえ:牛車をひっぱる部分)が折れてしまいます。天皇はご祭神に気付かず前を通った非礼を詫び、「車折大明神」の号と正一位を贈られたことから車折神社と呼ばれるようになったといわれています
芸能人がよく来る神社っていうイメージがありませんか?
なぜかというと、車折神社の内には境内末社の「芸能神社」があるからなんです
ご祭神は「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」o(*^▽^*)o
日本神話によると、天岩戸に天照大神がお隠れになってからはこの世は闇の世界で
皆が困っていましたが、天岩戸の前で天宇受売命が踊ったことにより
天照大神が岩戸から出てこられ、この世に光が戻ったのです
そのことから、天宇受売命は芸能の祖神といわれており、芸の上達を願う人達が訪れるようになったそうです
今 ネットニュースをにぎわしているあの人とか
誰もが知っている あの人の玉垣もありますよ Ψ(`∀´)Ψ イエ~イ
* 三船祭り も有名ですね
「三船祭」は車折神社例祭の延長神事として毎年5月の第3日曜日に嵐山の大堰川において、御祭神である清原頼業公が活躍された平安時代の船遊びを再現します。
御座船・龍頭船・鷁首船を始めとする船の上で様々な伝統芸能が披露されます
選考により選ばれた女性が、「枕草子」で有名な「清少納言」に扮し、新緑の嵐山に華を添えます。
清少納言は車折神社の御祭神と同族(清原氏)であり、境内の「清少納言社」に「才色兼備」にご利益のある神様として祀られています。
境内に龍頭船・鷁首船の船首に飾る宝物が展示されていました
かっこいいね~
いつも漢字を覚えるのに四苦八苦しています
鷁首船 の 鷁 が書けないのよね~ (;Α´∀`)
818皿の鳥 で覚えました ヾ(´Д`)ノ☆
* 富岡鉄斎
近代日本画の巨匠・富岡鉄斎は石上神宮の少宮司や大鳥神社の大宮司を任めた
後、明治21年から明治26年まで車折神社(くるまざきじんじゃ)の宮司を任めた。
そのため当神社には鉄斎の作品が多数(約百余点)伝わり、それらを財団法人
車軒文庫が管理している。
また、境内には鉄斎の筆によるものとして裏参道入口の社号標や本殿の扁額、
表参道脇の車折神社碑があり、さらに鉄斎が生前に用いた筆を2000本以上
納めた筆塚も存在する。
車折神社の手前で 通り沿いにあるこの石柱が 富岡鉄斎の文字ですって
本殿にかかっている扁額も
この碑文も鉄斎の文字らしいですが、読めません (;Α´∀`)
筆塚の下には 富岡鉄斎の使った筆が2000本 埋められているようですが
絵を描く筆かしら? 文字を書いた筆かしら?と思っていたら・・・
文字を書いた筆だったのね~ o(*^▽^*)o
★ 鹿王院 フフフ 実はここも初めてなので 期待でいっぱいです
足利義満は康暦元年(1379年)のある夜、「そなたは今年中に大患をわずらうが、宝幢如来を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。そのため、義満は自らの帰依する禅僧・春屋妙葩(普明国師)を開山として一寺を建立することとし、康暦2年(1380年)完成した。
当初の寺号を興聖寺といい、後に宝幢寺に改称したという。鹿王院は、嘉慶元年(1387年)、開山の春屋妙葩の寿塔(生前に造る墓)を守る塔頭として創建されたものである(春屋の死去は翌嘉慶2年・1388年)。
宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺であったが、応仁の乱で廃絶。塔頭の鹿王院のみが残った
* 総門です 車折神社のお隣なのね~
創建時に近い南北朝時代の建立と推定される。
建立時から現存している、義満の筆「覚雄山」の扁額がかけられている
義満公は整った文字を書かれるのね (人´∀`*).。:*+
お庭が美しくって~
なんて広いお庭なんでしょう
塔頭でこれだけ広いなら、元の宝幢寺が 禅寺十刹の第5位だったことが頷けます
(゚д゚)(。_。)ウン!
上の写真にある門をくぐって 庫裏の前庭ですが この木の根っこの美しいこと
ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
ここから入っていきましたが
鹿王院は 予想以上に何もかもが素晴らしく ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
写真を写せないことがもどかしく思えました
*客殿には 正面に足利義満筆の扁額「鹿王院」が掲げらていました
これは写してもいいのよね? 周りに誰もいないのでわからないけれど
ここって外になるよね
義満公はやはり整った文字ですね~
すでに650年ほど経っているものが残っているって 嬉しいな~
* 本堂(開山堂)
方三間(柱間が正面側面とも3間)、寄棟造、桟瓦葺き。
本尊釈迦如来坐像を安置する仏殿であるとともに、開山春屋妙葩の塔所でもあります
中が暗いのが残念ですが、一人なのでゆっくり見ることができました
色々な仏様があるのですが お部屋の中央部分にデンといらっしゃるのが
ご本尊の釈迦如来坐像です
その周りを十大弟子が取り囲んでいます
ともに運慶作なのよ ヾ(〃^∇^)ノ
十大弟子はサイズも小さいうえに暗いので良さがあまり伝わりませんでしたが
ご本尊の釈迦如来は立派な身体にしっかりとした眼差しで素敵でした
しかし、暗い .+(〃ノωノ)゚.+°―!!
* 舎利殿 ヾ(´Д`)ノ☆ 素晴らしいです 感動します
お庭は 室町時代の石組で
お堂の周りの 木斛(もっこく)という木は400年ですって
それも美しいですが この舎利殿の中にあるものは
小さい といっても私の背の2倍はある多宝塔なんです
多宝塔の中には仏舎利(仏牙ぶつげ)が入っていて 一年に一度だけ御開帳されるんですって
何が素晴らしいかって この舎利殿 そして多宝塔の建物です
各寺で仏舎利~ って書かれていますが
本当かしら?って 正直なところ思っています
でも、ここの仏舎利は本当に違いありません
こんなに立派なお堂に納められているんですもの ヾ(´Д`)ノ☆
ああ、写真が撮れないのが残念過ぎます
舎利殿の天井は格天井 その中央にはキラキラの飾りのついた天蓋があり
天蓋には竜が描かれています 舎利殿の柱の上にある木鼻には
どの柱にも4方向とも木鼻がついていて 内側には立派なゾウさんが二匹ずつ
外側にはこれも立派な獅子が二匹ずついるんです
舎利殿の中側の4本の柱です
その柱に囲まれて 真ん中に多宝塔があるのですが
屋根の下部分の斜めに突き出した木 垂木というのかしら よくわかりませんが
それが10段程 見たこともないくらいに重なり そのすべての先がゾウさんの彫刻になっているんです
圧倒されますよ w|;゚ロ゚|w
この中におさめられている仏舎利は 本物に違いありません (人´∀`*).。:*+
さあ、てくてく歩いて渡月橋を過ぎ
天竜寺の近くです 少しは観光客がいますよ
のどが渇いたので 老松さんの 夏柑糖を Ψ(`∀´)Ψ
ひんやりしていて 美味しい~
茶房は締まっていたので、外のベンチをお借りしました
★ 野宮神社
源氏好きなので嵐山に来たらここは外せません
六条御息所はヒカルちゃんを想っていたことには違いないんですもの・・・
やっぱり嵐山に来たら ここでしょう
こんな風景は 今だけね ヾ(´Д`)ノ☆
竹林の入り口あたりを振り返って
線路を超えたところです
今日もたくさん歩きました 楽しかったわ~ ヾ(´Д`)ノ☆
雨の降らない日に もっと他の寺院にも行きたいな ♪♪