後醍醐天皇が『本朝無双之禅苑』と称えた大徳寺さんの伽藍特別公開に参加しました
この機会はメチャクチャ貴重だと思います щ(゚ロ゚щ)
特に仏殿は外からはいつでも眺められますが
中に入れるのは何百年ぶり?かも ひょっとしたら初めて?
大徳寺は広大なお寺で 勅使門、山門、仏殿、法堂がほぼ一直線に並んでいます
今回はこの一直線部分の公開です
ツアー中は写真NGなので 写真は後から写したものです
★勅使門
慶長年間(1596年 - 1614年)建築の御所の門を後水尾上皇より下賜され、寛永17年(1640年)に現在地に移築したとWikipediaには書いてありますが 説明では
明正天皇から御所の陽明門を下賜されたと仰ってました
これは表から写した写真です
内側に入ると勅使門から金毛閣の間は砂に縦筋が奇麗に入れてありました
お勅使様しか踏めないので 私たちは両端の石の上をそろそろと進みました
★金毛閣(山門)
連歌師・宗長の寄進でまず下層のみが出来上がり
続いて千利休によって上層が完成すると「金毛閣」と名付けられました
仏殿から金毛閣を眺める 次のツアーの方たちが勅使門に居るのが見えます
金毛閣が開いているところを見れるなんて
そこを自分がくぐれるなんて メチャクチャ貴重よね ヾ(´Д`)ノ☆
初層の軒丸瓦は普通の瓦ですが 2階部分は金毛閣の『金』という文字が入っています
見てみたい いつになるかな~ (・:゚д゚:・)
★仏殿
この釈迦如来坐像は 寛文年間再建の3回目の方広寺大仏(京の大仏)の
1/10サイズの模像ですって(先日のTVで初めて知りました)
方広寺を管理下に置いていた妙法院側の史料である『洛東大仏殿修覆並釈迦大像造営記』及び大徳寺側の史料である『竜宝塔頭位次』によると、本尊釈迦如来坐像は、大仏製作を手掛けた仏師玄信により、大仏の試作品として製作されたが、それが時の将軍徳川家綱の手を経て、大徳寺に寄進されたものであるという(Wikipediaより)
天井画は狩野元信による飛天図です
堺の豪商・尾和宗臨の寄進で再建された以前の仏殿からの再利用です
自分ではしっかりと飛天が見えましたが写真では見えにくいので加工してみました
(上下も逆にしています)
天女が二人向かい合って飛んでいるのがよくわかりますよね
★法堂
恋焦がれていた探幽の龍
妙心寺の龍と出会って以来 この龍との対面を心から願っていました
数年ぶりのご対面
やっぱりハンサムな龍です この目つき 魅力的ですよね ヾ(´Д`)ノ☆
何とこれが泣き龍です
パ~ン と手を叩くのをやらせてもらえました
場所はの声の向かって右手の真下あたりが響くところです
パーンとするとウワン ワン ワンと三度早く木霊します
前に試した時とも音が違う気がします 位置によって違うのかな~
相国寺の泣き龍よりも優しく答えます 感激で涙が出そうです
端に名前が書いてありました 『探幽斎狩野守信筆』
わずか16歳で幕府御用絵師となった探幽ですが
寛永12(1635)年に大徳寺江月宗玩より「探幽斎」の号を与えられています
この画は その直後に書かれたようです
★唐門
切妻造 檜皮葺 前後軒唐破風付の四脚門です
聚楽第の遺構と伝わっているこの門が移築されました
大徳寺の唐門は西本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれています
3つとも国宝で見事さ美しさを競っています
なんと 写真のOKが出ましたが 説明が全部終わってからで
写真を撮る時間がチョットだけ でも有難いな~ (@⌒ο⌒@)b
中央の天辺「跨ぎ鬼 またぎおに」に本当に鬼が付いているのは珍しいそうです
完成されたものは滅びるのみということで 未完成に仕上げるという手法が多いですが
ここでは右側の龍が未完成です
龍の胴体を右側になぞっていくと 松ぼっくりのように茶色の鱗が見えるでしょうか
緑に塗っていないそうです 初めて知りました (σ≧∀≦)σ
綺麗に写せていないのですが 色の塗り方に工夫があり
部分によって明度を変えて彩色されているため
まるでライトアップされているように華やかに見えるそうです
早起きした利休忌から始まって 丸一日素敵な日になりました
家ではお花も奇麗に咲き始めました
わ~い ゴールデンウイークが始まった~ (((o(´∀`)o)))