大光院は『京の冬の旅』では初公開ですって
勿論私も初めての訪問です (((o(´∀`)o)))
何が楽しみかって 大好きな探幽の龍図です
どの路を通っても凄すぎます
TVドラマに出てきそうな壁を通り過ぎながら 大光院に到着~ C= C= C= ┌(^v^)┘
わ~ これが探幽の龍なんだ ワクワク
門を入ると 咲き始めたばかりの梅が迎えてくれました ヾ(〃^∇^)ノ
苔がとても美しく 石の上だけを歩くように気を付けました
さあ、入り口まで来ると いつものあれです…o(;-_-;)o
ここからは写真すべてNG 室内もお庭もです 何でなん?意味わからない
残念無念 覚えられない 忘れてしまう・・・ ヾ(≧ω≦)ノ
秀長の継嗣である秀保が
『古渓宗陳(こけいそうちん)』を開山として招き作られました
移転を重ね 家臣であった『藤堂高虎』により現在地に移されました
古渓宗陳というのは 大徳寺の総見院で秀吉が信長の葬儀をした際に
導師をされた僧ですって w|;゚ロ゚|w
利休問題の時に秀吉は 利休に切腹を命じただけではなく
大徳寺自体も破却せよと命令を出したそうですが
この古渓宗陳が身を挺して大徳寺を守ったんですって ふ~ん (゚Д゚) ソウナンダ??
★龍図
お部屋は横に3つ並んでいて
真ん中のお部屋に秀長や古渓宗陳の像が祀られていました
そのお部屋3つと奥の1部屋の襖絵が探幽の龍です
法印探幽と署名がありました
この襖絵は 仙台藩の伊達政宗に迎えられて探幽が描いた五双の屏風を
襖に仕立て直したものだそうです
写真は京の冬の旅のサイトよりお借りしました
写真は京の冬の旅のサイトよりお借りしました
屏風の仕立て直しなので縦線が入っています
4部屋分ありましたので 色々な龍が見れました
特に左端のお部屋にあった 横向きで口を大きく開いた龍が居ましたが
大口を開けた龍を見たのは初めてだったので
アゴはずれるで~ ヾ(≧ω≦)ノ と思わず心の中で突っ込んでしまいました
探幽の龍図が好きなんですが 35歳の時の大徳寺法堂の龍とも
55歳の時の妙心寺の龍ともやっぱり違うな~
地位を示す言葉に 法印 法眼 法橋というのがありますが
この画には法印と記されているので晩年かしら ?(゜_。)?
探幽55歳の妙心寺の龍には 法眼と記されていました
★蒲庵(ほあん) 黒田如水(官兵衛)好みの茶室
大徳寺は茶面(ちゃづら)と言われるだけあって 千利休をはじめとした
茶人にかかわるお寺が多く 茶室だけでも 47 もあるそうです w|;゚ロ゚|w
写真は京の冬の旅のサイトよりお借りしました
もともと蒲庵の茶席についた露地に
それぞれ一つずつ石を寄進したということから『三石(みついし)の席』
という名前がありますが 現在の露地には その石はありません w( ▼o▼ )w
なら何処に置いてきたのかしら (;Α´∀`)
そんな大事な物 一緒に持ってこないとダメでしょう w( ▼o▼ )w
床の間に軸がかかっていましたが見えませんでした
障子はすべて石垣張りになっていて裏千家流に真ん中に継ぎ目がありました
石垣張りの面白いところは 陽が射さない時は継ぎ目が白く見えるのに
陽が射せば 継ぎ目が黒く見えるところでしょうか 。゚(゚^Д^゚)゚。
光マジックを昔から楽しんでいたのね~
窓が多く 明るい茶室です 天井にも突上窓がありました
後から露地を眺めると やっぱり石なんてありませんでしたが
(多分)鉄の灯籠がありました
勧修寺型灯籠のちょっと手前くらいの横長さですが
火袋のぐるりが透かしになっていて五三桐を表していました
さび付いて赤黒色でした
形は違いますが 寂光院にある 秀吉寄進の雪見灯籠と透かしは同じ感じです
こんな時 写真が写せないのがもどかしい
頭の中にはあるんだけど うまく言い表せません そのうち 頭の中も忘れていくし・・・ すでにおぼろになりつつあります (;Α´∀`)
こんな感じで 屋根はもっと薄っぺらくて 足がついていました
★表門
現在の「表門」が安土・桃山時代、1599年に建立されたものですって
確かに古くて由緒ありそうな感じです 白アリが食べてしまったようで
補修していました
木って暖かいし柔らかいし長持ちするし加工がしやすいし
木の文化 大好きです ヾ(´Д`)ノ☆
午前中は 茶道教室の見学に行ってきました
今日のお菓子は 『ゆきもち』
お稽古も勿論続けたいけれど
初釜や茶事にも参加してみたいな (゚д゚)(。_。)ウン!