日記を書くのが遅くなってしまったけれど
紅葉が奇麗な時に仲良しのTさんと酬恩庵の中にある虎丘庵に行ってきました
ヾ(〃^∇^)ノ
一休さんが京田辺の酬恩庵に住まわれたのは 室町時代中頃 1456年
63才の頃でした。そして1481年(文明13年)11月21日
88才で亡くなられるまでの約25年間 酬恩庵は晩年の住み寺となりました
虎丘庵は もとは京都東山のふもとにあったのですが
一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467年~1477年)から避難する時に
この地に移築されたのです
虎丘庵は小さな建物で 一休さんが森女さんとお住まいになっていました
二畳の水屋と、六畳の書斎、三畳の茶室だけで とても簡素なたたずまいです
普段は非公開ですが 特別公開のチャンスに会社をお休みして行ってきました
(((o(´∀`)o)))
新田辺駅から歩いて25分程のところ
門前から 既にこんなに綺麗な紅葉です(上の写真)
門を入ると紅葉のアーチが待ち構えています
この先が受付ですが その正面に大きな三本杉が ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
驚いたことに この3本杉の1本は一休さん 1本は蜷川新右衛門さん
もう一本は蓮如が植えたんですって ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!! ホンマカイナ
アニメの一休さんを見ていましたが その中に新右衛門さんがいましたよね
えっ 実在の人物なん?
アニメの中でも将軍様と平気でお話ししてたけれど
一休さんって何者なん ?(゜_。)?
実は 後小松天皇の皇子様なんです ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
ここは一休さんのお墓です 扉に菊の御紋章があります
穴から中を覗いてみると
建物の中に一休さんのお墓があります(もちろん入れませんが)
一休さんが生前にご自分のお墓を建てられたそうです
お庭はお友達の村田珠光の作(村田珠光→武野紹鴎→千利休と茶道が繋がります)
お墓の左隣が虎丘庵です 白い塀が見えています その左が虎丘庵です
酬恩庵で受付を済ませます
さあ 入ってみたかった虎丘庵へ
★虎丘庵
こっちではなくって 正面から入ってくださいと ご住職が・・・
ここが虎丘庵♪♪ 右側の塀の向こう側が一休さんのお墓の建物です
一休さんの文字を写し取ったそうです
中心になるお部屋です お部屋の左には床の間
右には 本堂にある一休一休禅師の木像のミニチュアが祀られています
真ん中は3枚障子になっており 真ん中の障子を開けると掛け軸をかけたように 奇麗に景色が見えます
(人´∀`*).。:*+゜
一休さんは梅の花が好きだったそうで 窓の外に植えられていました
以前は窓近くにある塀がなかったそうで 窓の真ん前が一休さんのお墓になっており
毎日ご自分のお墓を眺めておられたそうです !!(゚ロ゚屮)屮
メインのお部屋の手前には 茶室があります
そして出入口のお部屋
森女さんと一緒に暮らしているのに これだけです
今までは屋根しか見えていなかったので 豪華なお部屋を想像していましたが
簡素な造りで驚きました
簡素で無駄がなく 美しい (((o(´∀`)o)))
お庭は村田珠光が作りました 塀がなく お墓のお庭と一体になっていたそうです
なんで塀を作ったのかしら ?(゜_。)? 宮内庁がお墓を守るため ?(゜_。)?
ご住職が色々なお話をしてくださいました
一休さんが亡くなる前に色々な準備をし
今後の指示をしたのにもかかわらず 死後 弟子たちがもめてしまいました
もう どうしようもなくなった時 遺書を開けると
『気にするな 何とかなる』
と書かれていたんですって ヾ(〃^∇^)ノ
場所を移して 酬恩庵でお抹茶を頂きながら さらにお話をしてくださいました
このお菓子の名前は (σ≧∀≦)σ
『通無道』 つう む どう (・'v`・)??
逆さから読むと どう な つ ドウナッツ щ(`∀´)ш
中に大徳寺納豆が一粒入っていました
私が以前から尋ねたかったこと
● 大徳寺との往復は どうやっていたのか?
● 大徳寺には本当に日帰りだったのか?
この輿に乗って大徳寺まで通われたそうです なんと片道7時間かけて !!(゚ロ゚屮)屮
担ぎ手が転んだらと思ったり
じっと座って揺られるより自分で歩く方が楽な気がしました
大徳寺には住まなかったけれども 泊まることはあったようです
日帰りではなく 行ったときには数日は大徳寺にいたと仰っていました
ウィキペディアより*****
1474年 後土御門天皇の勅命により大徳寺の住持に任ぜられた。寺には住まなかったが再興に尽力し、塔頭の真珠庵は一休を開祖として創建された。
また、戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになった。天皇に親しく接せられ、民衆にも慕われたという。
★酬恩庵(しゅうおんあん)
酬恩庵の南庭 方丈庭園です 奥に見えている屋根の
右側の杮葺きのむくり屋根が虎丘庵
左側の瓦ぶきの屋根が一休さんのお墓です
こうしてみると虎丘庵が小さいっていうのがわかりますね
このお庭の前が方丈で 一休さんの木像が安置されています
ちょっと遠いので よく見えません
★十六羅漢の庭
名前の通り羅漢さんがチョコマカと走り回っている姿が目に浮かびましたが
石の数を数えてみると 本当に16個ありました ヾ(〃^∇^)ノ
ただいま~
統一させたのは鎌倉幕府三代将軍 足利義満
一休さんのアニメの将軍様が義満だったんですね
一休さんが大人になって
後土御門天皇の頃に 虎丘庵がサロンになり
村田珠光や 浄土真宗の超有名僧侶 蓮如などと
親しく交わっていたというのが実感できたのが嬉しい一日でした
Tさん いつもご一緒してくださってありがとーね (((o(´∀`)o)))