ゴールデンウイークの最終日と母の日が重なった今日
仲良しのTさんとそれぞれを祝って労わって
パ~っと長楽館に行ってきました ヾ(´Д`)ノ
そして 大徳寺 興臨院の特別公開にも行ってきました ε=ε=ε=((((o^ー^)o
★大徳寺 興臨院 は加賀前田家ゆかりの寺院です
能登の守護 畠山義総が創建♪♪ 室町幕府の3管領は斯波・細川・畠山だったね
興臨院というのは畠山義総の法名です
畠山家の衰退と共に荒廃しますが
以後 畠山家に加え前田家の菩提寺ともなりました
イヤイヤちょっと待って じゃあ芳春院はどんな立場なんでしょう
呑湖閣があるから芳春院の方が有名(?) 同じ大徳寺の境内にあるのに ?(゜_。)?
創建当時の姿が残る表門と本堂(唐門を含む)が共に重要文化財指定されています
確かに 表門の屋根が檜皮葺きって珍しいよね そのうえ唐破風になってます
この石を見ると 禅寺だな~と感じますね
本堂に続くこの唐門も重要文化財ですって ヾ(´Д`)ノ☆
花頭窓が連続したような面白いデザインです
お部屋の中は写真NG でもお庭はOK ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
最近 こんなのが多いです とても分かりやすいです
何がどうとはわかりませんが とても落ち着くお庭で白砂部分が大きいです
特に 石と石をつなぐ橋が架かっているところが良いな~と感じました
そして この石が奇麗なの 緑色よ ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!
大海はぐるりとつながっていきます
★涵虚亭(かんきょてい) 漢字が覚えられません.+(〃ノωノ)゚.+°―!!
躙り口の上には連子窓があり 前に一番石(沓脱石)があります
多分 床があるだろう壁の横に 下地窓がついています
二番石 三番石がリズミカルで楽しそう (゚д゚)(。_。)ウン!
露地はこんな感じです 入り口の木が チョンナでチョンチョンと風情がありますね
花手水が素敵でした (人´∀`*).。:*+゜
最近覚えたことは 手水鉢の背の低いものを蹲というんですって
這いつくばるようにして手を清めるからだそうです !!w(゚o゚*)w
柱の下には沓石(くついし)が 柱と柱の間には差石(さしいし)がありました
涵虚亭と書いてあるのかどうか・・・読めません w|;゚ロ゚|w
茶室内の写真は京都春秋のサイトよりお借りしています
お借りしておいて文句は言いにくいのですが
この写真は縦横比がおかしいのです こういう写真はマジやめてほしい
視覚的なイメージで覚えるので こんなに比率が違うと別のお部屋の感じです
見学して とても印象的だったのは床の間の不思議な空間です
床の間の右側 つまり火灯口(給仕口)の左側の下地窓がある壁の奥は
洞穴の様になっていて 床の間の右側に空間があるんです(たぶん)
見学はこの写真の反対側なので床の間は見えません
躙口から頭を突っ込ませてほしいな~ (;Α´∀`)
興臨院の入り口の鬼瓦は 多分目が光りそうです(太陽がいなかったので未確認)
杉苔たちもすごく喜んでいました (((o(´∀`)o)))
★長楽館
長楽館は明治の煙草王・村井吉兵衛の別宅として明治42(1909)年に建てられ
京都の迎賓館として名を馳せました
村井吉兵衛が私財を投じ 西洋の数々の建築様式を取り入れて建てられました
豪華そうな建物ではなく 本物の豪華そのものの建物なんです
大正4年 大正天皇の即位式に参列した各国大使の宿泊場所に選定されたほか
明治の時代を築いた偉人たちもここで安らぎの時を過ごされたそうです
完成までに6年もの歳月を要しました
3階建ての建物の外観はルネッサンス様式を基調にしていますが
内部は部屋ごとに異なる素晴らしい意匠です
この背中側にあります ほら
『長楽館』という名前は完成直後に滞在した伊藤博文が
窓からの眺望に感動し 命名・揮毫したものです
色々なお部屋があります
チョット勝手に2人で探検しました
鏡があったので 何処を見ればいいのか難しいね 。゚(゚^Д^゚)゚。
私たちのテーブルはここです キャ~ ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃
まずシャンパンで乾杯 ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
コースターは昔のたばこのパッケージデザインです
ジャーン ヾ(´Д`)ノ☆
お茶はウイーンの薔薇をお願いしたんですが
嬉しいことに ティーポットをヘレンドのウイーンの薔薇で合わせてくれました
カップも勿論ヘレンド ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
お茶のお代わりをしたら もちろんポットもカップも変わります
この双子コーデのお嬢様達と表で写真の撮りっこしました 21歳ですって(@⌒ο⌒@)b
ポーズはお嬢様たちの真似 (σ≧∀≦)σ
Tさん いつも仲良くしてくれてありがとーね
あなたのおかげで毎日が楽しい ♪d(´▽`)b♪