明けましておめでとうございます
みなさん 今年も宜しくお願いします
モデルは大晦日の我が家のトラネコ きぬちゃんことキヌゴシ君です
大晦日から元旦にかけて息子たちが帰ってきてくれたので
嬉しい忙しさでテンヤワンヤしていました (((o(´∀`)o)))
2日 行きたかった六波羅蜜寺へ
お正月なので 三途の川を渡って生まれ変わった気持ちになりましょう
昔は鴨川をはさんで東側をあの世(鳥辺野=葬送の地)西側を現世と考えていました
安土・桃山時代まではこの橋が「五条大橋(五条橋)」と呼ばれていました
僧侶による勧進(募金)により賄われた「勧進橋(かんじんばし)」です
道の両側に松並木があり「五条松原橋」とも呼ばれました
藤原俊成屋敷跡に俊成ゆかりの新玉津島神社がいまでもあります
当時歌の道を目指す数多くの人々はこの新玉津島神社に参拝しました
そのためこの道の両側には松が植えられ松林となっていたんです
これが「五条松原通」と呼ばれるようになった始まりです
三途の川を渡って まっすぐ歩くと
おなじみ 幽霊子育飴があります まさか試験に出てくるとは w|;゚ロ゚|w
米朝さんがよくやっていたこの落語は大好きでしたヾ(〃^∇^)ノ
このあたりの地名も恐ろしい 髑髏(ドクロ)を連想させます w( ▼o▼ )w
★六波羅蜜寺
六波羅蜜寺に来たかったのは今年の大河が 『鎌倉殿の13人』なので
この土地が歴史を生々しく覚えているだろうと思ったからです
平安時代末期には平忠盛が六波羅蜜寺の塔頭に軍勢を駐屯させ 境内の隣に
六波羅殿と呼ばれる館を建築、清盛によって平家一門の屋敷が5,200棟余りも営まれ
平家栄華の象徴といった地でした
しかし平家が都落ちの際に平家によって火が放たれ 本堂のみ焼け残りました
源氏の鎌倉幕府になると 朝廷や京都の監視でこの地に六波羅探題が置かれました
激動の六波羅蜜寺です
門の外にはみ出て人がずらりと並んでいます
大福まいりの稲穂の無料授与がありますが 縁起物は有料です Ψ(`∀´)Ψ
キヌゴシの格好の餌食になりそうです (;Α´∀`)
★皇服茶(おうぶくちゃ)初体験の皇服茶 300円
京都に疫病が流行した折 空也上人が薬茶をふるまったことに始まります
村上天皇が服したことから「皇服茶」といわれ
元旦に汲んだ若水で茶を点てて 結び昆布と小粒梅を入れて戴きます
厄難除けのお札と一緒に授与されます o(*^▽^*)o
第62代の村上天皇は平安文化を開花させた天皇です
村上天皇の時代は『天暦の治』といったり
第60代醍醐天皇 第62代村上両天皇の治世をあわせて『延喜・天暦の治』といって
ほめたたえられています (あかん事も有ったと思います)
運んでくださった可愛い女子に背中を写させてもらいました
空也上人 素敵です (^-^*)♪♪
紙コップだけ受け取ってしまったから 台は持っていかれた 。゚(゚^Д^゚)゚。
お茶の中に梅干しと結び昆布が入っていて これも食べます
梅干しの種はお財布の中に入れておくんですって
お財布の中がどんどん膨らみます
* 御金神社のおたから小判
* 壬生狂言『土蜘蛛』の蜘蛛の糸
* 北野天満宮の大黒天の燈籠の大黒さんのお口に乗せれた小石
* 梅干しの種 ・・・ でもお金はたまらないわ 。゚(゚^Д^゚)゚。
★福徳自在「弁財天」
六波羅蜜寺の弁財天は 都七福神のなかのお一人です
7人の中でも煌びやかさは一番強烈 !!w(゚o゚*)w ピッカピカ
★平氏六波羅第・六波羅探題跡 石碑
世界はコロコロ変わるけど歴史の事実は動かない ジ~ンとしました (゚д゚)(。_。)ウン!
★平清盛塚(左)・阿古屋塚(右)
清盛は知っていても 阿古屋ってだれ?
阿古屋というのは 悪七兵衛と呼ばれた平景清の思い人で 五条坂の白拍子でした
その阿古屋(あこや)の菩提を弔うための石碑です
なんて言われても 平景清って誰?
家に帰ってTVを見たら 歌舞伎座の生中継… その出し物というのが
『岩戸の景清』という歌舞伎 平景清が主人公 !!(゚ロ゚屮)屮 有名な人なんや !!(゚ロ゚屮)屮
宝物館は何度か入っていましたが 改めてじっくり見ると感動の連続でした
★空也上人像
超有名よね~ 運慶の四男 康勝作 鬼気迫るものがあります
★夢見地蔵 運慶作
能書きよりもその美しさに圧倒されます お顔が美しいんです えっ 運慶?
伏し目がちの眼は玉眼で薄緑にキラリと輝きます ヾ(´Д`)ノ☆
『山州名跡志』巻三
運慶がある夜の夢の中で野道を歩いていると、貴僧があらわれて「そなたは日頃から地蔵尊をつくっているが、いまだその実相を見たことがない。ゆえにその作品は至当とはいいにくい。よって今ここにその本物の姿を見せるからよくよく見ておくがよい。かく言うわれは、地蔵菩薩であるぞよ。」というや、光明を放って尊容をあらわしこつ然と消えました。
夢から覚めた運慶は大いに感動し、その子の湛慶とともに地蔵尊の真影をうつして造立したのが本像だと伝えられています。
★鬘掛地蔵(かつらかけじぞう)定朝作
このパンフレットで見るよりも ものすごく美しいお顔立ちです
玉眼ではありません 一種異様なのは左手に人間の髪の毛を握りしめている事
正直言って 気持ち悪い w( ▼o▼ )w
髪の毛だから 髪つかみ地蔵 とか 髪持ち地蔵のほうがしっくりくるのに
鬘掛けって何よ w|;゚ロ゚|w とおもって 係の方にお尋ねすると
昔は 髪の毛の束ことを 鬘って言ったんですって 知らなかったわ~
もうひとつ 光背の位置がおかしくないですか?
単にずれてるだけ? 重要文化財なのに?
これも聞けばよかったな~ 当たり前のことを聞きすぎてそれ以上言えなかった^^;
どなたか知っていたら教えてください 細かいことが気になるんです
地蔵菩薩を信心していた貧しい女が母の葬儀も出せないでいると
見知らぬ僧が現れ ねんごろに回向し墓に葬ってくれた
貧しい女はお布施のかわりに母の鬘を渡した
忌が明けて地蔵菩薩を参拝すると 左手にはあの時の僧に渡した鬘が握られていたという
いやいや 違うでしょう 亡くなった母の髪を渡す w|;゚ロ゚|w
渡すなら自分の髪を切るんと違うの (゚Д゚)
美談にならへんやんと一人で突っ込んでみました チャンチャン
この後 寅に会いに 両足院へ
日記が長すぎると反省しているので それは今度に・・・
(今でも十分長すぎるけど)
お土産は 幽霊子育て飴 麦芽糖でできているので サラサラで美味しいです
2022年をどんな年にしようかなとワクワクしています
いつもと同じキョロキョロは変わりないと思いますが
皆さん どうぞよろしくお願いします ヾ(´Д`)ノ☆