コロナ禍で 仕事は自宅待機になって久しくなります
恐ろしくって ほぼ自宅にこもっています .+(〃ノωノ)゚.+°
観音像には基本となる聖観音(しょうかんのん)の他 密教の教義により作られた
十一面観音、千手観音など 変化観音と呼ばれる様々な形の像があります
阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり 独尊として信仰される観音菩薩は
現世利益的な信仰が強いため
あらゆる人を救い 人々のあらゆる願いをかなえるという観点から
多面多臂の超人間的な姿に表されることが多いのです (@⌒ο⌒@)b
真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し
天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とします
六観音は六道輪廻の思想に基づいて 六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたものです
地獄道 - 聖観音 餓鬼道 - 千手観音 畜生道 - 馬頭観音
修羅道 - 十一面観音 人道 - 准胝観音 天道 - 如意輪観音
行ってビックリ w|;゚ロ゚|w
千手観音っていうのに 腕が2本です
違うのかと思って 尋ねに行ったことを思い出しました
二臂 漢字書きにくいよね コノクチカライ コノ口辛いに月です (((o(´∀`)o)))
本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)は
天台宗の流れをくむ修験道の一派です 総本山は聖護院よ (゚Д゚) ソウナンダ??
*御前立
御前立の観音様は特筆したいほど 美人です (人´∀`*).。:*+゜
*ご本尊はきっとお札の観音様ね
お姿が違います 手の重なりの上下が逆 ネックレスもないし
冠や衣が違う 来迎の時のように立ち姿の膝が曲がってるね
(ネットで写真を見ました)
10年以上も前に行ったことがありますが すっかり忘れました
2008年の准胝堂火災により 准胝観音像が下醍醐の観音堂に遷されており
現在は時間を要せず礼拝できるそうです
准胝観音は六観音の中で唯一の女尊です
・一面三眼十八臂
・天台宗では観音に含めず准胝仏母(如来)とされます
醍醐寺のサイトより
准胝観音と千手観音の違いは?(゜_。)?
手の本数が多いのでパッと見は 同じに思えますが
正面の左右の二手が「説法印」 を結んでいるのが准胝観音です
准胝観音は 一面三眼十八臂:お顔一つ 眼が三つ 腕が18 本
説法印(両手とも指で輪をつくり、胸前に上げる)を結んでいます
三つ眼も大きな手掛かりね
千手観音は
正面の左右の二手が「合掌」をしています
千手観音は40~42本(場合によっては千本近く)のことが多いです
行ったことがありませんが 美しいね~
★第十六番 音羽山 清水寺 十一千手観音(十一面千手千眼観音菩薩) 北法相宗
千手観音は 正面の左右の二手が「合掌」をしています
特徴があるのは 頭の上にかざしている二本の腕よね
手の上に乗せているのは どなたなんでしょう ?(゜_。)?
如来様の形に見えます(飾りがないように見えるから)
阿弥陀如来の脇侍は 観音菩薩 勢至菩薩だから 阿弥陀如来かしら・・・
千眼 この手のひらに 全部目があると思ったら 怖いね w( ▼o▼ )w
★第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 十一面観音
六波羅蜜寺といえば どうしても康勝の空也上人像と 弁天様を思い出しますが
ご本尊は知らない・・・…o(;-_-;)o
六波羅蜜寺のサイトには
上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り・・・
と書かれているので このご本尊が空也上人のお造りになった仏像でしょう
この可愛らしい方を 荷車に乗せて町を歩かれたのね C= C= C= ┌(^v^)┘
天台系単立
聖徳太子が池で身を清めるにあたり 念持仏を木に掛けたところ動かなくなり・・・
というお話は有名よね
太子が肌身離さず持っていたくらいだから 小さいんだろうなとお尋ねしたところ
高さ10センチ程の木造仏と教えてくださいました(秘仏なので見れません)
如意輪観音は 腕が6本で片膝を立て両足の裏を合わせ
アンニュイに頬づえをついた姿で表されることが多いです
玉ネギのような先のとがった形の どんな願いもかなえてくれるという宝の玉
「如意宝珠」と 釈迦や仏教を象徴する「法輪」を手に持っています
如意宝珠の「如意」と 法輪の「輪」が如意輪観音の名前の由来です
他の手にはハスの花のつぼみや数珠を持っています
麀 この文字は メスの鹿という意味で 鹿の下に七みたいな文字を加えます
出家する前の行円上人は狩りが趣味で ある日みごもっている雌鹿を射止めました
その鹿が死に際に子鹿を産んだそうです
その時 はじめて”いのちの深さに気づき 今までの殺生を悔やみ仏門に入りました
ご本尊は 行円上人が下鴨神社の槻(けやき)の木の霊木で造られました
画像資料:学研 西国三十三所観音巡礼の本
手がうろこのようになっているそうです 見たいですね (((o(´∀`)o)))
ご本尊の御衣木は下鴨神社の槻の霊木にて安居院(あぐい)仁弘法師御作
昔 賀茂神社地田の田主が苗を植えると 苗が一夜にして槻(けやき)の木へと変わりました 後に槻の木は朽ち折れて倒れますが その木から千手観音の真言が聞こえるので皆不思議に思い 誰も斧を入れませんでした
歳月が流れて、寛弘年間に行円上人が霊夢を受けて 賀茂神社の神主を詣って夢の内容を話されたところ 神主は槻の木を斬って行円上人に与えました
この材をもって西国19番行願寺(革堂)にご自作の千手観音を奉安されます
この霊木の余材を仁弘法師が得て 千手観音をお刻みになり洛東の鷲尾寺に奉安されました 鷲尾寺の千手観音は善峯寺に遷座されました
何度か行ったことはありますが 遊龍の松とか 桂昌院の桜とかをみて
ご本尊は見ていない… 秘仏だし ネットにも出ていないような…
…o(;-_-;)o
穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ 『今昔物語集』にあります
昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は 都の仏師に依頼して聖観音像を造り
仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた
しかし与えた名馬が惜しくなった男は 家来に命じて仏師を弓矢で射殺してしまった
ところが後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた
改心した男は仏道を信じるようになったという (人´∀`*).。:*+゜
一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住もなく
食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。
死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。
すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付きました。僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、
決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。 w|;゚ロ゚|w
やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。 (゚-゚)(。_。)ウンウン
此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました
写真は 聖地を訪ねて より
頭の部分に馬がいるようです (人´∀`*).。:*+
仏舞は江戸時代から伝わる珍しい宗教行事で「大日如来」「釈迦如来」「阿弥陀如来」三像の面をつけ、越天楽の譜に合わせて優雅に、舞うもので、国の重要無形民俗文化財に指定され毎年5月8日に奉納されます (゚Д゚) ソウナンダ??
花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた(寛和の変)。
花山法皇の宸影を安置する寺で花山寺(かさんじ)とも呼ばれ、大鏡では花山寺と記述されている。
花山法皇ゆかりの寺ということで西国三十三所番外札所となっています
沢山あって なかなか覚えられませんが
文字だけだとどうしても頭に入らないので ご本尊の形で覚えたいな~
ご本尊は秘仏が多いし 御前立とは お姿が違っているかもしれませんが
ご容赦くださいね 。゚(゚^Д^゚)゚。