2022年は「織田有楽斎没後400年」なので
どうしても如庵が見たくて「京の冬の旅」正伝永源院に行ってきました
(((o(´∀`)o)))
千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられます
本名は織田長益(ながます)
織田信秀の十一男で 有楽・如庵(うらく・じょあん)と号しました
★有楽斎は実はキリシタンで、その洗礼名が「ジョアン」といいました。
如庵の創建(1618年)よりも洗礼の方が先ですので、
如庵の名は洗礼名から来ているとする説もあります (吉村先生のブログより)
国宝の茶席は3つだけです
★待庵(たいあん) 利休の茶室で唯一現存 妙喜庵にあります
★如庵(じょあん) 有楽苑(愛知県犬山市)にあります
現在 正伝永源院にある如庵は写しです
平成8年に復元され 「有楽囲(うらくがこい)」「有楽窓」などの特徴があります
腰張りに古い暦を貼った斬新な意匠から
「暦貼席(こよみばりのせき)」の別名があります !!w(゚o゚*)w
掛け軸はもちろん「織田有楽斎」だと思います (;Α´∀`)
見てください 面白いね~ これが有楽囲です
床の間の右側は 何故か斜めの壁になっています
茶道口と給仕口を兼ねる勝手口から給仕の動線に沿って斜行する壁を立て
足元には三角形の板畳「鱗板(うろこいた)」を敷く様式らしいですが
取り外しがきくのかしら ?(゜_。)? 見た感じは取り外せない
あのデッドスペースの中はどうなっているんでしょう
空間?壁土で埋まっている?
それとも裏から開けれて 物が入るようになっている??(゜_。)?
あ~~~ あそこまで行って 触ったり叩いたり開いたりしたい 。゚(゚^Д^゚)゚。
床柱も変わってる~
今の京都だったら北山杉が多いけれど チョンナでチョンチョンしてるわ
天井にも窓があるよ ( ◎´艸`)
外から見たらどうなっているのかしら?
あっ こんなふうなのね 突上窓(つきあげまど)というらしい
開けるとどうなりますか?
裏千家のサイトより(如庵の写真ではありません)
お茶席の下地窓が好きです
でも 窓を締めるときはどうするのかしら
寒いときでも風通しが良いままですか
今通っているお稽古場所はホテルの中なので
お茶室とは違うんです 残念
この春からはお茶室に通うのよ ワクワクです
ちょっとちょっと
この窓は隙間が狭すぎて 向こうが見えませんよ
と心のなかでつぶやいていたら
心の声が聞こえたのか 後ろからやってきた大宗匠似の紳士が
お茶をやっているのですか? はい 毎週通っています
と答えると 楽しそうですね~ 続けてくださいよと言ってくださった♪♪
私は鵬雲斎大宗匠のファンです ( ◎´艸`)
有楽窓
有楽窓(うらくまど)は、窓の形状による名称のひとつで、
窓の外側に細い丸竹を間隔なしに並べて打付けた窓のことです。
形式としては連子窓(れんじまど)の一種で、
連子子(れんじこ)を詰打(つめうち)と称して隙間なしに並べて打付けた
「盲連子」(めくられんじ)としたもので、「目無竹連子」(めなしたけれんじ)ともいいます。
有楽窓は、織田有楽が晩年建仁寺の正伝院内に建てた
二畳半台目本勝手向切下座床「如庵」(じょあん)の勝手付の竹連子窓に見られるところから この名があります。
腰張りは
茶室や待合室の下部に和紙が張られており
壁や衣類の汚れを防ぎ、室内の美しさを引き立てるということですが
これはどうですか?
暦が貼ってあるんですが
ちょっと貼り過ぎじゃあないかしら
如庵だけでなく正伝永源院自体も勿論素敵でした
この額を見るだけで成り立ちがわかるね (゚д゚)(。_。)ウン!
正伝院と永源庵が色々あって合体したんだ
本堂の「室中の間」は、狩野山楽による『蓮鷺図(れんろず)』です
蓮の花と、鷺や燕などの鳥が豪華な金箔の上に描かれています
入って右側から蓮の咲き始め 正面は一番盛りの時の花
左は もう十分咲いたあとの姿です
蓮の沼の中にどっぷり浸かりました 写真NGが残念
両端のお部屋は なんと 元首相の細川護熙氏の作品です
↑ ↑ ↑ 「知音」細川護熙 筆
↑ ↑ ↑ 聴雪 細川護熙 筆
武野紹鴎の供養塔は 室中の間にいらっしゃる有楽斎の坐像と向かい合うように
据えられていました
とても大きな塔で 仏様のような像が浮き彫りに彫られていました
境内には 織田有楽斎と奥様 子供の供養塔が
そして細川家歴代のお墓もありました
色々と拝見できて早くお稽古に行きたいなと思えました ヾ(´Д`)ノ☆ルンルン
帰りにちょうどミスドの
「misdo meets WITTAMER ヴィタメールコレクション」
が揃っていたので 引き込まれるように買ってしまいました o(*^▽^*)o