梨木神社『萩まつり』ヾ(´Д`)ノ☆

梨木神社には時々伺いますが

萩まつりは初めてです

 

 

もちろん萩の花も素敵でした (@⌒ο⌒@)b

いたるところに和歌の短冊がかかっています

 

 

今日の一番のお目当ては 

ランディー・チャネル宗榮さん

道家でもありますが 裏千家教授でもあります
ミーハーなので
ランディーさんのお茶を頂いてみたかった

 

 

ランディーさんのお茶は 一番前の方たちで
後ろの私は奥から持ってきていただいたお茶でしたが

美味しかったです Ψ(゚∀゚)Ψ

 

お菓子は 富山の鹿の子餅 (写真はネットより)

メレンゲのフワフワとお豆がマッチして 不思議なくちどけでした

(人´∀`*).。:*+゜

 

お抹茶は 『来福』

 

この時はまだ写真を写して良いとは思っていなかったので・・・

 

ランディーさんは 自分流に楽しんで飲めばいいよ 

と言うようなことをおっしゃって

お道具の説明などをしてくださいました

 

みんなで前に出てお道具を見せて頂いているとき

写真写してもいいよ って

えっ 良いの?  ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

憧れのランディーさんです カッコいいな~ ヾ(´Д`)ノ☆

 

萩まつりに合わせて 釜も萩の模様です

お茶を習ってると言ったら これ 坐忘斎お家元の作だよ

触っても良いよって 持たせてくれました

 

茶杓の先が 三角になっていますね って言うと

淡々斎はもっと弓なりのカーブになっていて 

真ん中のところがああだこうだと 細かく教えてくださいました

 

棗の柄が布袋さんですねというと これは私です って ( ◎´艸`)

布袋さんのコレクションをされているそうです

 

水差し この色大好き (゚д゚)(。_。)ウン!

 

お菓子のお皿も萩まつり仕様でした

掛け軸もお花も素敵です

 

 

 

今日は弓の奉納があるようです (((o(´∀`)o)))

 

 

まず本殿にお詣りをします

 

手を傷めないように 革の手袋を付けます

 

そして 胸のあたりで邪魔なものが当たらないように

懐紙をしいた上に中啓(ちゅうけい:先の広がった扇)を乗せます

 

 

驚いたことに 前に進んでから 肩をはだけて 袖が邪魔にならないよう

袴の紐に掛けたり 脇になおしたり・・・

 

 

カッコいいね~ ヾ(´Д`)ノ☆

 

お稽古と講座の間の わずかな時間でしたが

今日も存分に楽しめました (@⌒ο⌒@)b

元慶寺に行ってみました ε=ε=┏( >_<)┛

お稽古の帰り道 御陵駅まで来たら『元慶寺は〇番出口』って書いてありました

 

えっ 近いんだったら行って見ようかな 台風が来そうだけど…

経路をググってみると 5分って… じゃあ行って見よう щ(`∀´)ш

スマホを持ってから 知らない所でもひとりで行けるようになりました

スマホって凄く賢い (@⌒ο⌒@)b

 

でも5分歩いても10分歩いても経路の距離が縮まりません ?(゜_。)?

どう見ても山の中に突き進んでるよね

もう一度グーグル先生を見ると 車で5分だって w( ▼o▼ )w 

私の行動はいつもええ加減です もういいわ 行ってしまおう (゚д゚)(。_。)ウン!

 

 

やっと着いた~ 遠かった (>人<;)

 

平安時代868年に貞明親王陽成天皇)を産んだ藤原高子(清和天皇の女御)の発願で定額寺として建立 w|;゚ロ゚|w インパクトあるわ~

 

開山は六歌仙の一人の僧正遍昭 w|;゚ロ゚|w インパクトあるわ~

元慶元年(877年)に陽成天皇勅願寺となり元慶寺と改められました

 

お寺の名前に元号が用いられるのは勅許 天皇の許しが必要なのよ

今は小さいけれど すごく格式の高いお寺なのね (@⌒ο⌒@)b

 

山門は竜宮造りというそうです そんな雰囲気ね

 

★寛和の変(かんなのへん)

このお寺が有名なのは 一番はこの事件があったからじゃあないかしら

 

寛和2年(986年)花山天皇がこの寺で藤原兼家・道兼父子の策略により

だまされて たった19歳で出家させられ

兼家の外孫である懐仁親王一条天皇)が帝位についたんです

ここから藤原家の一族がどんどん栄え 兼家の子供の藤原道長

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」

につながるのよ щ(゚ロ゚щ)

 

 

西国三十三所巡礼

この優男の花山天皇が 延暦寺戒壇院で灌頂受戒し法皇となりました

(゚д゚)(。_。)ウン!

そして徳道の宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤めました

この花山法皇の観音巡礼が あの有名な「西国三十三所巡礼」になったんです

霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています

 

わ~ 知らなかった ご詠歌って花山天皇の作られた歌だったんだ

ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!

 

このため 三十三所には入っていませんが 元慶寺は番外として加わっています

だからおまいりに来る人が一年中絶えません 大人気です

この日も 台風の風が吹き始めているにもかかわらず

次々と 沢山の御朱印で赤く染まった白衣を持ってる方が参拝されていました

千社札を見ると人気がわかりますね

 

両端の梵天さまと帝釈天さまは ただいま京都国立博物館へ出張中で

お写真がありました

梵天さま

お洋服が可愛い まるでセーラーカラーのようになっています

襟もとにはスカーフクリップもあるし 上も下も重ね着をされていてお洒落です

(@⌒ο⌒@)b

 

パフスリーブの半袖を着ているのに長袖も着ているように見えるし 

おまけに4枚も重ねています

長い振袖2枚と 小袖ほどのを2枚です

それとも 長いのはストールでしょうか 謎です なぞなぞです

これは京都国立博物館へ行って確かめなくっちゃ  。゚(゚^Д^゚)゚。

 

梵天様のお顔は真ん中と左右 そして頭の天辺にもう一つと思っていましたが

ここの梵天様はお顔が一つでした

 

帝釈天さま

こちらのお洋服も可愛いです 同じように重ね着ですが

エストマークもされていて ポンチョのヘムラインも丸いカーブですし

ブラウジングのベルトをしている感じです

天部なので如来までは程遠いのでお洒落をしているのかしら

煩悩 ありまくりじゃあないですか

 

境内はこんな感じです

まっすぐ奥に御朱印を書いてくださる所があり 本堂は真ん中あたりの左です

 

★本堂

どこもかしこも千社札だらけです !!(゚ロ゚屮)屮

 

わ~ 華頂山ですって 知恩院と同じね ヾ(〃^∇^)ノ

 

ガラス窓から覗いてみました

中央の仏様の前に十一面観音菩薩って書いてありましたが

グーグル先生に尋ねると ご本尊は 薬師瑠璃光如来だとかいてありました

奥にいらっしゃるのかしら

 

足が可愛い~ ヾ(〃^∇^)ノ

 

花山院法皇 御落飾道場の石碑

 

亀趺という亀の上に碑文のあるのは見たことがありますが

こんなに愉快なお顔の獅子の碑文なんて 初めて見ました 獅子趺?

なんて書いてあるのかはわからず

 

僧正遍照の歌碑がありました

もちろん あの有名な

「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」

 

右は素性法師の歌碑ですが 何と書いてあるのか読めず (;Α´∀`)

 

近くに僧正遍照のお墓があると案内板に書いてありました(10分ほどのところ)が

台風だしこれ以上 寄り道はやめておこうと思いとどまり

帰りは 歩いて駅まで行ける道を検索して時間の節約になりましたが

お墓だらけでした (;Α´∀`) 遠回りでも車の通る道の方が良いかも

 

偶然見つけて ちょっと寄り道のつもりが2時間ほどかかってしまいました

( ◎´艸`) でも 思い切って行って良かった~ ♪d(´▽`)b♪

 

前日ですが お昼ご飯代わりにケーキを食べに行きました

メゾン・ド・フルージュ

日本全国のイチゴ農家と契約し 完熟したイチゴだけで作られています

フルーツ+ルージュ=フルージュ お洒落な名前ね♪♪

たまにしか来れないので 来た時にはいつも2つ頼みます ヾ(´Д`)ノ☆

人気店なので 11時開店なのにお昼休みには売り切れていることが多いのです

 

なんだかんだと普段の日でも好きなことをしながら楽しめています♪♪

本能寺の放生会 (@⌒ο⌒@)b

放生会というのは「不殺生」の教えから生き物を放してやる行事です

殺生を慎み あらゆる生き物のおかげで生かされていることに感謝し

その生き物の霊を弔うのです

 

本能寺の放生会は 生きた川魚を本堂にお供えし供養法要を営んだあとに
三条大橋付近にて読経が流れるなか 鴨川にコイやフナを放流します

 

放生会に参加したいと思っても平日だし・・・

う~ん そうだ お昼休みの時間をずらそうと思い立ち

ついでにお昼休みを2時間頂きました (;Α´∀`)

 

職場から10分程で本能寺到着~ ε=ε=ε=((((o^ー^)o 

中に入ってみると供養の法要が始まっており 皆さんで読経 

日蓮宗なので『南無妙法蓮華経』とお唱えしています

前にお坊様が3人 後ろで太鼓をたたく人が2人

ドンツク ドンドンツクツク  ドンツク ドンドンツクツク

このリズム 『南無妙法蓮華経』やね (@⌒ο⌒@)b

 

太鼓の後ろに座ると 

ご焼香がお済でない方はどうぞ前へとマイクでアナウンス

皆さんが私の顔をじっと見ています 手で行け行けと・・・

━━━Ψ(°д°;!)━━━!!

お坊様が私の前に来て こちらですと案内してくださり

一番前に進み出てご焼香をさせていただきました 

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読経が終わると 外に出て2列に並んで行進です

お部屋では一番後ろにいたので 出るのは最初です

行進の列の一番前になりました  。゚(゚^Д^゚)゚。 

 

さあ 出発♪♪  写真は写しても良いと許可を頂きました

寺町通を北へ

御池通を東へ 左に見えているのは京都市役所です

信号を渡り 高瀬川を渡り 鴨川へ

もちろん みんなで「南無妙法蓮華経」をお唱えしながら歩いています

 

前に見えるのが三条大橋です

 

橋をくぐって到着~ 

 

そういえば日蓮宗のご本尊は『十界曼荼羅』でしたね

 

みんなでお経を唱えた後

もう一度 順にご焼香になりました

 

 

ご焼香が終わった人から順に お魚を放流していきます

放流するお魚をザルに入れてくださって

波板の滑り台をお魚たちが川に向かって滑っていきます

ドジョウ・ウナギ・コイ・フナ・・・ ドジョウが多いかな

 

スルスルスルっと流れていきます

もっとお水も流してあげんと 滑らへんよ ( ◎´艸`)

 

 

生き物に感謝して

明るい家庭 住みよい街 世界平和へと続きますように

(((o(´∀`)o)))

 

お土産を頂きました

 

お昼休みの時間が まだ余っているので

本能寺に戻って

『 薬研藤四郎 』
切腹できないことに腹を立てた畠山政長が刀を放り投げると、「薬研」(やげん)という薬を調合するための鉄製の器具に突き刺さったとする逸話からこの名が付きました

 

そののち、足利将軍家に伝わり 13代将軍足利義輝殺害の際に松永久秀に奪われ 織田信長に献上されました

 

その後の経緯には諸説あり、「本能寺の変」で織田信長自害の際に焼け落ちたとも、その後豊臣家に伝わり、「大坂夏の陣」で行方不明になったとも、さらに河内国(現在の大阪府)の農家から見つかり、徳川幕府2代将軍徳川秀忠に献上されたとも言われますが、現在の所在は不明です

 

その『 薬研藤四郎 』が復元されました

じっくりと眺められます アクリルケースに入っていますが

手に取れます(写真はNG)

ライトと虫眼鏡も揃っています

まっすぐおいて眺め 握ってみたり 立てたり寝かしたり

じっくりと眺めてきました

 

その後は しっかりお仕事に戻りました (;Α´∀`)

家に帰って開けてみると カレイのおはし置き

ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪ アップで見ると結構可愛い♪♪

本能寺の皆様 ありがとうございました  ♪d(´▽`)b♪

 

他の方のYoutubeですが この日の物だったので貼り付けさせてもらいました

www.youtube.com

大徳寺の聚光院 永徳だ~ヾ(´Д`)ノ☆

今日は東にある総門から入りました ヽ(。´Д`。)ノ 青空が奇麗です

大徳寺は有名な塔頭が多いのですが

そのなかでも聚光院は超有名な一つではないでしょうか

 

松栄・永徳父子が描いたたくさんの襖絵は国宝となっているために

普段は京都国立博物館で保管されていますが

利休生誕500年ということで レプリカではなく

全ての襖に本物が戻されての公開です (((o(´∀`)o)))

仲良しのTさんが早くから並んでくれました

なんと1番2番です 嬉しい~ (@⌒ο⌒@)b

 

★聚光院

永禄9年 戦国武将の三好義継が父、長慶の菩提を弔うために

大徳寺第107世住職、笑嶺宗訢和尚を開祖として創建しました

 

三好長慶は13代将軍・足利義輝を都から追い出す下克上を果たし

時代を戦国に突入させた方です

写真は 英雄たちの選択

「激突!三好長慶vs.足利将軍 〜室町幕府“終わりの始まり”〜」より

 

長慶の子供の三好義継は

『永禄の変』で時の将軍・足利義輝を殺害したことでも有名よね w( ▼o▼ )w

 

後に笑嶺和尚に参禅していた千利休が聚光院を自らの菩提所としたことから

表千家裏千家武者小路千家三千家の代々の墓所となっています

 

★方丈前庭「百積の庭」(国指定名勝)

狩野永徳が下絵を描き千利休が作庭したと伝わる方丈前の庭です

中央に掛けられた石橋を中心に東西両面に石組がなされていますが

これは本堂室中の襖絵「花鳥図」と相対する関係にあると言われています

 

>中央に掛けられた石橋

他のお庭でもこの作り方が共通だって ようやくわかりました

 

この庭は狩野永徳が下絵を描き 千利休が整えたと言われています

当日のパンフレットより

 

一番西側には千利休お手植えと伝わる沙羅の樹があります

右側の白い木ですが今は4代目になっています

真ん中の大きな木はなくなっていました

 

このお庭と向かい合っているのが本堂です

 

★花鳥図 狩野永徳 24歳の作

花鳥図 16面 - 「室中」の間の障壁画です

松・竹・梅にオシドリセキレイ・丹頂鶴などを組み合わせた花鳥図で

セキレイに指さしをさせて視線を誘導したり

柱をまたいで空中で鳥が目を合わせていたりと 見ていて楽しくなる画です

 

大木の裾には タンポポやスミレなど愛らしいお花もあちこちに有りました

筆使いも大胆でのびのびと描かれています

普通は四季花鳥図が多いのですが永徳が描いたのは 春・秋・冬なんです

実は中央の襖を開けると開山の笑嶺宗訢のお像があり 

その下に松栄の描いた「夏」の画があるのです 父子合わせて四季となります

 

昭和54年にパリのルーブルから『モナ・リザ』が来日しましたが

その返礼としてフランスで展示されたのが この聚光院本堂の障壁画でした

(@⌒ο⌒@)b

つまり 日本で一番有名?

 

★琴棋書画図(きんきしょがず)

「檀那の間」(上の間)の障壁画で永徳の作です

中国の士大夫(科挙出身の高級官僚)に必須とされた

琴・棋(囲碁・将棋)・書・画に耽る姿を絵画化したものです

花鳥図がのびのびしているのと比べるとカッチリ・クッキリという感じです 

 

琴・棋・書・画にふけれるのはありがたいけれど

きっとそのどれもが得意でなければならないのでしょうね

何処の国でも昇進するのは大変な苦労です 。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。

 

★竹虎遊猿図 狩野松栄

旦那の間の裏側のお部屋なんですが このお猿さんが面白いの

説明の方が教えてくれたんですが たとえ話のようになっていて

樹の上の白いお猿が 狩野永徳

樹の下で抱っこされている赤ちゃん猿が探幽

一番左端でムス~っとしているのが松栄自身ではないかと言われているようです

(;Α´∀`)

 

★露地

躙り口は袖壁の向こう側です

室内に入って躙り口から露地を見た時に

1枚の美しい絵画になるように 蹲や灯籠を配置してあるそうです

今回は残念ながら躙り口は閉じられていましたが

腰掛から続く障子を開けて見せてくれました (((o(´∀`)o)))

 

刀掛け石が階段状になっていて面白い形でした

切妻造りの妻に庇を付け 袖壁の向こうの土間庇は一段下がっていて

リズミカルで美しいですね

 

★閑隠席(かんいんせき

利休150回忌の寛保元年(1741年)に表千家7代・如心斎が造って寄進したもので

ここで朝茶を開いたことが記録に残っています

 

内部は3畳

私たちが見ているこちら側の襖を閉めるとかなり暗くなります

明かりは西側(左側)の墨蹟窓と躙り口の上の連子窓だけになります

これは利休の精神をくみ取り 明かりを極度に制限し簡素で緊張感のあるしつらえです

 

天井もうんと低いです

手前座の天井はさらに低くなっていました

中柱も床柱もまっすぐなのは利休の好みだと教えてもらいました

今でも毎月 利休の命日には千家が順番に茶を点てています (@⌒ο⌒@)b

 

なんとここは 千利休自刃の席 として伝えられています  w|;゚ロ゚|w

その場所を150年後にお茶席にしたの??? ちょっと恐ろしい (>人<;)

 

桝床席(ますどこせき)

枡床席は 閑隠席と水屋を隔てて隣同士です 

東側にある茶室で枡形(正方形)の踏込床があるため桝床席と呼ばれます

 

踏込床というのは 床の高さが無く 畳面と同じ高さにして

地板を張ることによって簡易的にするとともに

床框がないことから砕けた感じを作り出すことができる床です

桝床は表千家六代・覚々斎の好みと伝わります (゚д゚)(。_。)ウン!

 

天井も閑隠席よりも高く 四畳半で作られています

躙り口はなく貴人口をもうけ 明るく伸びやかなしつらえです

 

千住博筆『滝』

写真は京都観光Naviより

 

書院の襖絵です この青にたどり着くまで 色々な色が却下され

最終的に 黒い衣をまとった僧侶が座った時に 一番綺麗に見える色

ということで この青にきまったそうです

高僧から完成まで16年を費やした大作です

エアブラシなども使われていますが ここでの新しい試みは

絵具を上から垂らし込むことですって

 

40分のコースです

もし 自由に拝観できるんだったら 私たちあっちへ行ったりこっちへ行ったり

また後戻りしたりで 絶対2時間はうろちょろしてるよね~

とTさんとペチャクチャお喋り

暑いな~ 氷 氷 かき氷 ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 


キャラメリゼした無花果とプリン』

無花果が蜜になってかかっているので 種のツブツブだらけです

そりゃあ美味しいんです

トッピングの無花果キャラメリゼされているのでほろ苦い甘さで最高よ♪♪

中にプリンが入っているので 重みでどんどん沈んでいくので

食べるのと競争です

もちろんしっかり食べきりました (((o(´∀`)o)))

 

メッチャ楽しかったね~ 来月のかき氷は何かしら? ワクワクするわ~

Tさん いつもご一緒していただいてありがと~ね

月下美人 ヾ(´Д`)ノ☆

月下美人が今年も咲いてくれました ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

不思議なのは いっぱいつぼみを付けているのに
全部同じ日に咲いてくれることです

昨年も10個ほどまとめて 
それも1年に5回も咲いてくれました

今年は強い雨にやられてしまい
何度も機会を失いましたが ようやくお披露目が出来ます
(((o(´∀`)o)))

 

これはまだまだ あと2~3日はかかりそう

 

この時間で19時頃 今夜咲きそうです お休みの日で良かった~

 

ご近所さんにラインでお知らせ 

やっぱり見て頂けると嬉しいです ♪d(´▽`)b♪

21時過ぎには奇麗に一斉に開きました

 


あたりが良い香りで埋め尽くされます
薔薇のような華やかな香りではなく
高貴なスッとした香りなんですが 
それでも甘さもあるのでアリンコが走り回っていました

1~2週間前の雨で5個ほど落ちてしまいましたが
それでも十分 (@⌒ο⌒@)b

お世話をしてくれる主人に感謝です ヾ(´Д`)ノ☆

栂尾山 高山寺の茶室『遺香庵』(@⌒ο⌒@)b

京都~ とがのお 高山寺♪♪

恋に疲れた女が ひとり~♪♪ とつい歌ってしまうのですが

その高山寺の「遺香庵」特別拝観に行ってきました

ε=ε=ε=((((o^ー^)o

 

鳥獣人物戯画で有名な高山寺は 明恵上人が中興されました

明恵上人は入宋した栄西禅師からお茶の種を贈られ

栂尾の地でお茶の栽培を始めました (゚Д゚) ソウナンダ??

 

東大寺で華厳を学んだ明恵上人は 栂尾と東大寺を行き来しました

その中間が宇治になります

明恵上人は茶の苗を宇治へ移植しました(萬福寺の前に碑があったね)

茶は宇治で大きく広がり そして全国に広がっていったのです

 

中世以来 栂尾の茶は『本茶』と呼ばれ それ以外は『非茶』と呼ばれました

つまり 明恵上人は『茶祖』というわけです !!w(゚o゚*)w

 

 

茶祖の恩に報いるため

明恵上人700年遠忌に「遺構庵」が寄進されました ヾ(´Д`)ノ☆

 

普段は非公開なので 前回行った時は 

扉まで行って背伸びもして 首も伸ばしたけれども見えませんでした

 。゚(゚^Д^゚)゚。

 

ワクワク (σ≧∀≦)σ

お茶席と同じように 待合で少し待ちました

 

★腰掛待合「茶徳亭」

腰掛待合「茶徳亭」は 宝形造りの屋根で (勾配がありますが写し方が悪かった)

頂に宝珠を載せた堂腰掛と呼ばれる形式です

腰掛は卍型に配置しており桂離宮の卍亭に倣っているそうです

 

★茶恩鐘

「茶徳亭」の中央には茶恩鐘を吊り下げています

遺香庵寄進者の103名のお名前が刻まれています

住友吉左衛門団琢磨・堂本印象などのお名前もあるそうです

 

見ようかなと思ったら こちらにどうぞと呼ばれました (;Α´∀`)

待合が一番高いところにありました

遺香庵は下に降りていきます 苔がとってもなめらかで美しく輝いていました

 

★遺香庵

茶の湯に関係の深い地に作ろうと

大久保利武・高橋箒庵・土橋嘉兵衛らで企画され

設計は箒庵の好みで 建築は三代・木村清兵衛 露地は小川治兵衛が担当しました

 

正面破風の扁額はなんと益田鈍翁(ますだ どんおう)です

昨年の大河で渋沢栄一と張り合っていた三井の初代社長よ

佐竹本三十六歌仙絵の時にも鈍翁たちが巻物を分割したんじゃあなかったかしら

やっぱりお金を持っている数奇者は色々な所に絡んでくるのね ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!

 

躙口を中央に開けて 右手にお寺の火灯窓を取り入れた珍しい意匠です

左の入り口は貴人口になっています

窓が沢山あって明るいです

三畳台目に床前畳を付けた四畳台目は 織部遠州が好んだ間取りです

左に回り込んで 貴人口から見た遺香庵です 

右側に少し見えている入り口は 躙口よ Ψ(`∀´)Ψ

火灯窓の影が異彩を放ってるね ♪♪

貴人口の沓脱石 障子も石垣張りにしてあるのがわかります

 

露地は小川治兵衛です 

小川治兵衛と言えば無鄰菴など琵琶湖疎水の水を取り込み 

東山を借景とした大きなお庭を思い浮かべますが

こんなに小さな茶庭を作ることは珍しいそうです 

配置してある石は ここ栂尾にあった石を利用したんですって щ(゚ロ゚щ)

 

そこかしこに お茶の木が自生しています

 

春日灯籠も苔むして良い感じです

明恵東大寺と行き来していたので春日灯籠を置いたのかしら ?(゜_。)?

この場所には数多くの種類のコケが生えていて

最近ようやく研究者が中に入って研究してくれて有難いと仰ってました

苔の中でも 京都府では絶滅危惧種に近いイトゴケが 元気に育っているそうです
(枝にくっついているモジャモジャ)

 

 

この図では下が遺香庵 上がまた別のお部屋です

 

飛び石伝いに別のお部屋に進みます

 

入り口の上部の壁の飾りは 愛宕山を表しているんですって

愛宕山はこのお部屋とちょうど向き合う位置にあります

 

何気なくあちこちに茶壷がありました


名残惜しいけれど遺香庵はここまで

次は 日本最初の茶園です この向かい側にあります

 

 

境内のいたるところにある石垣は 鎌倉時代そのままです

石垣の上に茶園があります

低い木がお茶の木 向こうの高い木は北山杉です

育てたお茶は お寺の儀式に使われるそうです

DNAを調べたところ 僅かですが中国茶のDNAを持つ木が残っているそうです

明恵の植えた木の子孫が脈々と続いていると思うと 感慨深いです

 

 

茶園の端っこに一カ所だけお花が咲いていました 彼岸花かしら ?(゜_。)?

 

お寺に戻ってお茶を頂きました

実は 朝着いたときに声が聞こえていました

「おい 掛け軸替えとけよ~」って (σ≧∀≦)σ

 

掛け軸は『無事』 素敵な言葉ですね Ψ(`∀´)Ψ

 

 

 

心なしか 高山寺って書いてあるように見えるんだけど・・・

 

 

 

遺香庵の前に石水院で明恵上人や 高山寺についての丁寧な説明もありました

明恵上人樹上座禅像』の樹に香炉とお数珠がかかっているのを見つけたのが

今回嬉しかったことです ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪ (実物ならちゃんと見えます)

 

おなかが減っていたのでバス停の前で おそばを頂きました

景色が抜群でした o(*^▽^*)o

 

家に帰っておみやげを開いてビックリ !!(゚ロ゚屮)屮

こんなにたくさん入っていました

4000円って高いわ‼ って申し込む時に思いましたが

丁寧に説明していただき お茶とお菓子を頂いたうえ お土産まで・・・

大満足な一日でした (((o(´∀`)o))) 高山寺のみなさま ありがとーね

京都五山の送り火 『左大文字』(((o(´∀`)o)))

京都五山送り火

 大文字(如意ケ岳)

 妙法(松ヶ崎西山・東山)

 船形(西賀茂船山)

 左大文字(大北山)

 鳥居形(曼荼羅山)


8月16日の五山の送り火はご先祖様をお送りする大切な行事です

今年は左大文字に行ってきました

 

左大文字だけ他の山の火のつけ方と大きく違っています

ふもとのお寺の法音寺で行われる施餓鬼会の灯明が松明に移され

その松明をお山を登って運んでいき 左大文字に点火するのです

 

何とかこの松明を見たくって
今日はお寺の前に18時からスタンバイ

町内の家々の前にはかがり火が灯され
背中に大の文字の法被を着た人々が手に手に松明を持ってお山に向かう予定でした

ヾ(´Д`)ノ☆

 

なのに 直前に殴りかかるような土砂降り
そして雷と稲光  w|;゚ロ゚|w

いえいえ そんなものに負けるわけにはいきません
おまけに夏です 濡れても寒くないし

ところが思わぬ敵がいたのです・・・w( ▼o▼ )w


まだ早い時間に到着 (((o(´∀`)o))) 金閣寺の北に左大文字が見えます

 

法音寺は平安時代初期に開創された天台宗の古刹で
花山法皇の勅願所として西国三十三所観音霊場復興のお寺となっています

 

 

町内の家々の前には かがり火を灯せるように準備万端

 

大の法被に 大の鉢巻きで皆さん気合十分です

京都人アルアルで 大の文字を見ると『大文字』か『左大文字』かが分かります
(σ≧∀≦)σ

右下のはらいが長いのが『大文字』 はらいが止まっているのが『左大文字』です

 

お寺の中をズームしてみました

蓮の花の形の台の中が燃えています

きっとこれが施餓鬼の護摩木を燃やすところで 

この火を松明(男性の頭の上に見えているもの)に移すのかしら

 

 

この青竹の中に灯油のようなものが入っていて 多少の雨でも燃えるようにしています

 

こちらはKBS 私の左側にNHK

カメラが中を見に行って そろそろかな?と思ったら

突然の豪雨と雷 

さあ 出てくるよ~ ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

って時に・・・

えっ なになん !!(゚ロ゚屮)屮

 

うそでしょ やめてよTV局 w( ▼o▼ )w

 

ここまで前に出なくても アップに出来るカメラをお持ちではないのですか?

全国の皆様のためなら 地元の民が並んで待っていたのを踏みにじれるの?

 

いつも思います

奇麗に並んで 1歩踏み出す人が居なければ

全員が奇麗に写真を写せるのです

門から出てきて 曲がってお山に向かうところを全員が共有できるのに・・・

すごく悔しい 。・゚(゚⊃ω⊂゚)゚・。 

ずぶぬれになったことなんかどうでもいいし ・゚・(ノД`;)・゚・見たかったのに

 

ここで泣いているわけにはいきません

じゃあ 追っかけましょう しかたないやん C= C= C= ┌(;・_・)┘トコトコ

 

大きな松明が行ってから お寺の前の火をつけました

 

大きな松明を追いかけます C= C= C= C=(o>ロ)oマテマテー 

 

 

知らないうちに行ってしまった大きな松明を どうしても見たいんです щ(゚ロ゚щ)

走れ~~~ C= C= C= C=(o>ロ)oマテマテー 

西大路通で信号待ちをしていました Ψ(゚∀゚)Ψ

 

 

わーい まるで鞍馬の火祭じゃあありませんか ヾ(´Д`)ノ☆

これが見たかったんです 赤信号ありがとーね  ♪♪

見れたとたん 胸のつかえが降りました スッとしたわ~

 

西大路通を渡っていきます

西大路通を渡り 金閣寺の前を右に曲がり

左大文字のある大北山へと登って行きます

地面にたたきつける雨もこうしてみると奇麗ね

 

普段なら 点のように松明の火が登っていく様子が見えるそうです

ジッと最後まで見とどけたかったけれど

全身グッショリなので帰ることにしました

 

バスの冷房が突き刺さるほど寒いです {{{{(+_+)}}}}

 

ネットから今日の左大文字の写真をお借りしました

 

 

家に帰ると 如意ケ岳の大文字の点火されたところがまだ見えていました

こちらは『大』のはらいが長いでしょ ( ◎´艸`)


何だかんだ言っても 思っていたことが実現できていい夜でした

ご先祖様 毎日帰ってきてくれてもいいからね

ご飯とお菓子とお酒はいつでもあるよ~ (((o(´∀`)o)))