京都には「雪の庭」「月の庭」「花の庭」という名庭がありました
この3つの名庭は、いずれも俳諧(俳句)の祖として知られる松永貞徳が
江戸初期に作庭したと伝えられています
3つあわせて「雪月花の三名園」と称されてきました
3つのうちの失われていた 北野天満宮の『花の庭』が再興されたことにより
妙満寺の『雪の庭』も改修が急ピッチで進みました (((o(´∀`)o)))
それなら見てこようっと ε=ε=ε=((((o^ー^)o テクテクテク
うわ~ 成就院もありました Ψ(`∀´)Ψ なんとなく嬉しい
まず最初に本堂にお詣りをしました
本堂から振り返ると 比叡山がとっても奇麗に見えました
雪の庭はこちらの本坊のお庭になっています
ジャーン Ψ(゚∀゚)Ψ 雪の庭
お庭のことはよくわかりませんが
何となく 『花の庭』の写真と雰囲気が似ている気が・・・
大きな石が横長に正面にあって その下に隙間が空いているところ
このあたりの雰囲気が 北野天満宮の『花の庭』と似ていないかな~
石組も迫力がありますが 雪が降って刈り込んだ丸い木が
うっすら白くなったところを想像すると え~ね~ (@⌒ο⌒@)b
特に 雪見障子を閉めて ガラスの横長の枠から見える部分は
更に良い感じになるやろうね
今回の雪の庭の改修で うんと変わったところは
手水鉢 です
お庭の左側にありました
蹲を何とかしようと妙満寺の境内を探したところ
なんと 五条大橋の橋脚だったという石 があったんですって
凄くないですか щ(゚ロ゚щ) 秀吉が作った五条大橋の橋脚ですよね
橋脚が破損したため継いだ部分のようで
上面にはうっすらと凹部があるのがわかります 底面には凸部があるそうです
凹部の真ん中の白い部分が今回削って水が入るようにした部分です
実は入り口の看板に雪月花の三つのお庭の写真がありました
比べてみましょう
もうすぐ『月の庭』の拝観も始まります
とっても楽しみ~ (@⌒ο⌒@)b
宝物館にはたくさんの宝物がありました
パンフをスキャンしました
安珍・清姫伝説の鐘そのものは 安珍を閉じ込めたまま燃えたのでその鐘は失われていました(金属なので中の人間は燃えたとしても鐘は残ると思うんだけど・・・)
1359年に鐘を再鋳し 鐘供養を営んでいるところに白拍子がやってきたのです
白拍子は呪力で鐘を落下させると蛇に代わり姿を消しました
その後祟りが続いたため お寺では鐘を埋めてしまいました
その話を聞いた秀吉の紀州攻めの時の大将 仙石権兵衛秀久が鐘を掘り起こし
京都の妙満寺に運び込みました
その鐘を妙満寺で供養し 怨念を解きました
鐘には 勧進した人の名前や 大工の名前なども彫られていました
思っていたものよりも小さな鐘で もし鐘の中に入れと言われたら
私ならギュウギュウになりそうです 。゚(゚^Д^゚)゚。 無理かもしれません^^;
★松永貞徳肖像画
俳諧の祖と言われた松永貞徳ですが お洒落ですね お顔を初めて見ました
着物もとても柔らかい生地ですし ドレープの流れ方を見ると絹のようです
髪にも飾りをつけているし 私のイメージとは全然違いました
おまけに なぜ右手だけが白いのかしら w|;゚ロ゚|w 不思議
神護寺の頼朝像のように着物の柄は入っていないわね~と思ってみていたんです
肉眼では真っ黒の衣に見えたんです
パンフレットをスキャンしてみると 細かいゴールドの綺麗な文様が・・・
肉眼がスキャナに負けました くやし~ 。゚(゚^Д^゚)゚。
偶然に この日 この時間に妙満寺の本坊で踊りの会がありました
★櫻川・・・なんと 世阿弥が作った曲ですって
★黒髪・・・ この曲は 舞妓さんから芸妓さんに襟替えをするときに踊るね
帯に 雪・月・花 の文字が刺繍されていました
この日のためにかしら 凄いね ヾ(〃^∇^)ノ
花の文字は左わきのところなので見えにくい
★新娘道成寺(鐘ヶ岬)
あれ? 髪型が先笄になってます どうしてだろう
気になって仕方ありませんでしたが ここではあまりに聞きづらかった (>人<;)
★筝・尺八
泉
壱越
本坊の裏の桜は満開になっていました
1人で家からテクテク歩いて行った妙満寺でしたが
お庭もゆっくり眺めることが出来ました
宝物もどなたも居ない所でゆっくりと鑑賞できたうえに 踊りも見れて
そのうえ満開の桜 おまけが多すぎて嬉しい一日になりました
月の庭の公開は4月29日からです ワクワク 楽しみだな~ ♪d(´▽`)b♪