来ぬか薬師 (((o(´∀`)o))) 薬師院で御開帳 ♪♪

遂に見れました 来ぬか薬師さま ヾ(´Д`)ノ☆

話には何度も聞いていますし

御開帳に行ったこともあります

でも 遠すぎて見たなんて言えない感じ・・・

でも 今日はしっかりとじっくりとおまいり出来 

お顔もまじまじと拝見できました  (((o(´∀`)o)))

★来ぬか薬師

医徳山 薬師院のご本尊で 来ぬか薬師と呼ばれている薬師如来は凄い経歴の持ち主です

 

延暦元年 782年 最澄は16歳の時に自ら一刀三礼薬師如来像7体を彫り上げました

 

その内の1体を美濃国横倉に医徳堂を設けてそこに安置しました

医徳堂は後に薬師院と改められました

 

1230年に全国的に疫病が流行した際

薬師院の住職の夢枕に

「我が前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」

薬師如来のお告げがあったといいます

以後人々が祈願すると病気が平癒したことから

「来ぬか薬師」という名で呼ばれるようになりました

 

戦国時代 斉藤道三が この薬師如来を念持仏にしていました

と言っても兜の中に入れて持ち歩くのではなく

医徳堂を建ててその中にお厨子を入れて

丁寧におまつりしたのです

 

しかし 戦乱の世で戦火に会うことを恐れた道三は

娘婿の信長に「来ぬか薬師」を預け

信長自身が安全と思われた京都の寺に「来ぬか薬師」を届けたそうです

ご住職が仰っていました

 

★通称が付くほどの御利益も 凄い !!(゚ロ゚屮)屮

★道三と信長にゆかりがあったことも 凄い !!w(゚o゚*)w

最澄作なんて 凄い w|;゚ロ゚|w w|;゚ロ゚|w w|;゚ロ゚|w

 

最澄は16歳の時に自ら一刀三礼薬師如来像7体を彫り上げました

そのうちの5体は戦乱で失われてしまいました

残りは2体

1体は比叡山延暦寺のご本尊で絶対秘仏

残りの1体が ここ 薬師院の「来ぬか薬師」なんです

 

改めてビックリ  w|;゚ロ゚|w 見れて良かった~

 

 

何とここでフェイント ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃

この特別公開のこの立て札のこの写真

実はこの写真は ご本尊ではなくってお前立ですって

もうビックリです w( ▼o▼ )w

ふつう 写真は撮れないので この看板を写して帰るんです

お堂に入って奥にある薬師如来さまを ああこれが有名な・・・

と思ってマジマジと見ていました

 

所が本物は目の前にある小さな小さなお厨子の中の 

小指ほどのお薬師さまでした  w|;゚ロ゚|w  w|;゚ロ゚|w

その小さなお薬師さまのなんと美しい事でしょう

 

厨子自体が私の手のひらを広げたくらいの大きさです

その中に岩山があり

中央に薬師如来がいらっしゃいます

身長4cm程 普通の薬師如来と手の位置が違います

 

右手は「施無畏(せむい)の印」を結んでいるんですが

位置が低いです 肘をぐっと下げた感じ

左手は薬壺を持っていますが 右手より少し高い位置にありました

 

左右には 日光菩薩月光菩薩

薬師如来のぐるりを取り囲むように 岩山のそれぞれの上に

様々なポーズをとった勇ましい十二神将がいるんです

薬木 黄檗樹(きはだ)で製作しているそうです

薬師三尊には 金属で光背が付いていますが

こんなに小さいのに 光背の透かしのなんと綺麗なことでしょう

 

これらのすべてが 手のひらくらいのお厨子に治まっているんです

小さい感じが伝わりますか?

小さいから 単純なんだろうなんて思わないでください

お顔の中の 白目と黒目もはっきりわかり

口元には紅が 薬師如来の肉髻のあたりにも赤い部分がありました

 

全ての衣に施されている金色もかなり残っています

 

そして お厨子には フルカラーで彩色された

不動明王はじめ4体のお姿が奇麗に残っていたんです

 

ご住職にお尋ねすると このお厨子も もちろん仏様も

一切補修したことはなく 出来た時のままのお姿だと仰っていました

厨子がいつの時代に出来たものかもわかりませんが

今までほとんど御開帳がないまま

御開帳の時も奥の方で開かれ 正直言って手前からは真っ暗で

ほぼ見えない状況だったのが幸いして

光による劣化が無いようです

 

あ~ 見れて幸せ~ o(*^▽^*)o

 

 

本当にありがたい心地がして

ご祈祷をお願いしました

ご祈祷記念に この素敵な5cmほどの小皿を頂きました

 

来ぬか薬師 来ぬか来ぬか 行って良かったな~  ヾ(´Д`)ノ☆