と言われても歴史の苦手な私にはピンときません
今年の大河で一番印象的だった(まだ終わってないけれどきっとあれが一番よ)
★鳥居 強右衛門(とりい すねえもん)
徳川さまはすぐにまいらっせるぞ~
皆の衆 もうちっとの辛抱じゃ 持ちこたえろ
殿 徳川の姫様は麗しい姫様じゃ よーごぜーましたのー
。°(っ°´o`°c)°。 。°(´?ω?`)°。 涙が出ました ゚゚\(´O`/)°゜゚
あの強右衛門のご主人様が奥平信昌です
家康の長女 亀姫が嫁いだ方です ヾ(´Д`)ノ☆
天正3年(1575)の織⽥信⻑・徳川家康の連合軍が武⽥勝頼の軍を破った⻑篠の戦い
徳川家にとって重要な拠点であった長篠城が武田軍に包囲された際
守将として織田・徳川連合軍が戦場に到着するまで城を守り抜き
勝利に大きく貢献しました
その功績によって家臣でないにも関わらず織田信長から「信」の一字を与えられ
元々の「貞昌」という名を「信昌」と しました
到着~ C= C= C= ┌(^v^)┘
徳川家康に仕えた初代美濃加納藩主 奥平信昌によって創建された久昌院です
信昌は初代の京都所司代となり 徳川家でも重要な人物でした
初代が『奥平信昌』 覚えなくっちゃ ┗|*`0´*|┛
元和元年 (1615)に61歳で亡くなると 久昌院に葬られました
この門をくぐると 松が印象的な前庭でした
この根っこ 枝ぶり 圧巻でした (^-^*)♪♪
松が気になっていると
入り口にも松が こんなのは初めて
★家紋 奥平団扇紋
軍配の中に松が五階建てになっています お尋ねすると軍配が家紋ですって
お部屋の中にはもっと複雑な家紋が襖になっていました
この模様と葵の御紋が交互に繰り返されていました
奥平団扇紋(おくだいらうちわ)と言うようです
★⽅丈庭園
お庭はとっても落ち着きます
借景は昔は東山が見えたそうです
現在は建仁寺の樹が大きく育って それが借景になっています
垣根を二重にしているのは 広く見せる工夫です
池は心字池
右側に見える水色の屋根が御霊屋で 奥平信昌と亀姫が眠っておられます
★ご本尊
室中の間には ご本尊には薬師如来像(室町時代作)がまつられていました
亀姫の念持仏です 思ってた以上に大きな座像でしたが
距離があったので 詳しく見れずに残念 (・:゚д゚:・)
★宇喜多一蕙筆『長篠合戦図』
檀那の間には宇喜多⼀蕙(いっけい)筆『⻑篠合戦図』がありました
とても丁寧な説明で ゆっくりと拝見することが出来ました
説明の方も丁寧だったのですが
この図のように場面ごとにどんな状況かを説明する言葉が
日本語と英語で書かれていて 分かりやすさ抜群でした
画も素晴らしく 鎧などは細かいところまで精密に書き込まれていて
それなのに省略も大胆にされていて
ポイントが分かりやすい素敵な画でした
特に強右衛門が城から脱出して 川を潜るようにしてわたる様子は圧巻でした
ゆっくり見ていくと 偶然にみつけてしまいました
大発見や~ ヾ(〃^∇^)ノ
下側真ん中に描かれている 落馬した武士に驚く 槍を持った兵です
両足を開いて立っているんですが
なんと 二本とも右足です w|;゚ロ゚|w (・:゚д゚:・) w|;゚ロ゚|w
そっとTさんに言って見ました
右足やね~ これ 前の足も後ろの足も右足やね~
宇喜多一蕙さん しょうもないことを見つけてごめんなさい…o(;-_-;)o
皆さん 行かれる方はよく見てきてください 面白いから 。゚(゚^Д^゚)゚。
↑↑↑ この人の二本の足が どちらも右足
★書院「⾼松軒」
花頭窓のある角部分は上段の間になっていました
奥に「遠州別好ノ席」と⾔われる茶室もありました
この茶室は床柱に曲がりくねって 節の多い木が使われており
金閣寺の夕佳亭の床柱があちこちに有るような感じでした
正面から見れなかったのが残念です
★半兵衛麩
全て湯葉や麩のお料理でした
色々な種類を 飽きさせずに湯葉や麩だけで調理されているのにびっくりしました
実は この前に八坂神社に行っていたので遅くなってしまい
このあと京博の東福寺展に行くつもりでしたが別日に変更
せっかく行くならゆっくり見たいからね~
Tさん 今日も楽しかったね~ 美味しかったね~
いつもありがとーね 東福寺展も楽しみにしています (((o(´∀`)o)))
★風神雷神図の雷神は右手が2本でした
これは以前 強調の表現だと教わりました