高瀬川 9つの舟入跡をめぐる♪♪

まいまい京都のこのコースに参加したのは、
一之舟入に会社があるのに詳しく知らないから!!
舟入って、何となく感じはわかるけど…


日のご案内は富楽明美さんです
ワクワク 楽しみだな〜 ヾ(●⌒∇⌒●)ノ


高瀬川っていうのは、鴨川の隣に流れている運河で
幅もささやかです。
水深も当時でも30cmくらいだったそうです


作ったのは角倉了以・素庵父子です。
完成間近に角倉了以は亡くなってしまわれたそう。
完成を見たかったでしょうね。


高瀬川の始まりは、がんこ二条宛のお庭♪
鴨川からお庭に水が引きこまれ
お庭を流れて出た所から
高瀬川の始まり〜♪♪

大富豪の角倉了以のお屋敷であったり
山縣有朋が2年ほど住んでいたり
その後も、色々なお金持ちの方々が…


(◎゚Д゚))ノ つまり
とても立派なお庭とお屋敷なんです。
それを惜しげもなく、店舗に使っていて
個室でもお部屋料は無料♪♪ ヤッター


その中の1棟は、
伊藤博文さんが日清戦争の折に作戦会議をしたお部屋!!
山県有朋のお家だったからね(◆$'Д`*)ノ


その部屋の前にあるのが
朝鮮灯篭ですが、なんと灯篭の表面に
錫杖を持ったお地蔵さんが2体彫られています。
どんな意味なんでしょうね(゚_。)?

日本一の巨大な灯篭は
その中にテーブルと椅子があり、
大文字山が見えます♪

滝もありますよ〜(σ゚∀゚)σ


能舞台の横を通って庭の外へ
ここから高瀬川の始まりはじまり〜


こんなに浅い運河ですが
京都―伏見を結ぶ主要な物流手段で船が行きかっていました。




舟入は藩屋敷の近くに作られていることが多く
高瀬川で運んできた荷物を
舟入で揚げ降ろしするのです。


舟入は川に直角に支流のような感じで作られています。
『今ならガレージという感じです』
と富楽さん
この説明で、よく理解できましたヾ(●⌒∇⌒●)ノ


浅い川だから船も変わった形で、なんと底が真平です
川底も石畳になっていて、真平です。
だから少しの水量で船が動くのね

変わっているのは、形だけでなく
この船は船頭さんが乗ってるんじゃぁなくって
曳子さんが人力で歩きながら船を引っぱっていたんです。


水に浮いてるんですから、陸の上を運ぶよりも楽チンよね。
運河というのはありがたいものですね。
運河横に道路より一段低い位置に
曳子さんが歩く細い道が付いていました。
ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


浅い川ゆえのアイデアも!


川の両端と真ん中にコンクリートの四角い物が…
この溝に板を入れて、川をせき止め
水かさを増やします。


板を抜いて水が流れる勢いで
船を動かしたそうです。
☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノヤッタゼ!!


もうひとつ変わった物が
川の真ん中に、丸い土管のようなものが…
川の上流側が20cmほど開いています。

水をくみ上げるときは
この場所を利用したそうです。
確かに汲み易いよねー


高瀬川の辺りは史跡がいっぱい
特に幕末の志士達の想いが散りばまっています。


二之舟入あたり
佐久間象山大村益次郎遭難之地の石碑が並んであります。

川を挟んで向い側が
桂小五郎の幾松
(入りたいけれど高すぎる…)ヽ(´o`; オイオイ

都ホテルオークラは長州藩
御池通りをはさんだ向かいは加賀藩
そして五之舟入
大好きな坂本龍馬様の隠れていた酢家さんです。

この家の2階に住み
格子窓から舟入に向かって
ピストルの試し撃ちをした話が有名ですが
それは立ったの1回だったんですって


酢屋さんのご主人に
「見付かってしまう」と叱られたようです^^;


瑞泉寺豊臣秀次の菩提を弔うために出来たお寺です。
秀頼が生まれたために秀吉に自害させられただけでなく
一族皆殺しって…
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル


六之舟入辺り…石垣が崩れてる…

土佐藩がこの近くに有ったので
土佐稲荷があります。
左側にチョット映っている龍馬さん
有志の方たちのおかげで綺麗な銅像に変わっていました
ヾ(●⌒∇⌒●)ノ良かった〜

土佐稲荷から近い場所
土佐藩邸からも近い場所
表通りからは、コンビニになっている元 近江屋


ここで龍馬さんは殺害されたのですが
土佐藩邸からは目と鼻の先なんです
真犯人は…本当は…


角倉了以の碑もあります
乗っているのは高瀬舟
真ん中の板は、本物の高瀬舟の板をはめこんでいます。


九之舟入で 船廻し場所があったのですが
写せていない^^;
高瀬川から引きこんでグルッと回れるようになってます。
ちょうどその場所にある大きな樹
何と家の中から壁を突き抜けて育ってます。

大切にしてもらって、樹も喜んでるよ♪♪


知らない事だらけで
今日も楽しく過ごせました ヾ(●⌒∇⌒●)ノ