余呉湖へ ① ヾ(●⌒∇⌒●)ノ 天女羽衣伝説 滋賀県ってワクワクがいっぱい♪♪

近江歴史探訪に参加させて頂き
とっても楽しい1日でした。
滋賀県は伝説がとても多いだけでなく、
神社仏閣の数も多く、興味が尽きません♪♪


集合は余呉駅
青春切符で出かけましたが、
余呉直前で 『虎姫』って名前の駅が・・・
ここもキット興味深い謂れがあるんだろうね〜♪♪


駅前には ブルーの大きなバスが
さあ、出発〜ε=ε=ε=(o゜―゜)o

★ 天女羽衣伝説


天女羽衣伝説は日本中あちこちにあるそうです
皆さんの地域にもありますか?
私は静岡の三保の松原しか知らなかった・・・
その中でも、余呉湖の伝説が一番古いそうです
(゚д゚)(。_。)ウン!

それも、何故か何種類もあるんです^^;


● 奈良時代の羽衣伝説(帝王編年記713年)
     京都に都が出来る前だよ〜古い!!!


余呉の郷の湖に、たくさんの天女が白鳥の姿となって天より降り、湖の南の岸辺で水遊びをした。

それを見た伊香刀美は天女に恋心を抱き、白い犬に羽衣を一つ、盗み取らせた。天女は異変に気づいて天に飛び去ったが、最後の若い天女の一人は、羽衣がないため飛び立てない。

地上の人間となった天女は、伊香刀美の妻となり、4人の子供を産んだ。兄の名は意美志留(おみしる)、弟の名は那志刀美(なしとみ)、姉娘は伊是理比竎(いざりひめ)、妹娘は奈是理比竎(なぜりひめ)。これが伊香連の(伊香郡を開拓した豪族)の先祖である。
のちに天女である母は、羽衣を見つけて身にまとい、天に昇った。妻を失った伊香刀美は、寂しくため息をつき続けたという。


●江戸時代の 道真誕生伝説『日本地誌大系』


昔、湖辺の村・川並に桐畑太夫という漁師がいた。
あるとき、芳しい香りにひかれるまま、一本の柳に歩み寄ると、色鮮やかなうすものが掛かっている。うすものを取った太夫が振り返ると、美女がいて「私は天国の者。余呉の湖の美景に憧れて年に一度、水浴びをしています。どうか羽衣を返してください。」と懇願した。が、太夫は羽衣を隠して返さない。

争った果てに美女は天に帰ることを諦めて、太夫の妻になった。


天女は天上界のことばかり思って、涙のうちに暮していたが、やがて、玉のような男の子を産んだ。

ある日、「おまえの母は天女様 お星の国の天女様 おまえの母の羽衣は 千束千把の藁の下」と子守が歌うのを聞いた。裏庭の藁の下を探すと、案の定、羽衣があった。天女は大いに喜んで羽衣をまとい、天上遠く飛び去っていった。


天女が天へ帰ってから17日たった夜、太夫は夢に天女を見ました。夢の中で天女は、「三千枚の皮を埋め、その上に芍という草を植えなさい。一夜にして天に届くから、それをお昇りなさい。」と言いました。

その言葉通りにすると、まさしく一夜にして天に届きました。太夫はそうして天に昇り、3歳になる子供は、芍の草の近くの石の上に捨て置かれました。


残された子供は母恋しくて泣き続けた。その泣き声が法華経のように聴こえるので菅山寺の僧・尊元阿闍梨は、おさなごを憐れんで寺に連れ帰って養育した。

菅原是善卿が菅山寺へ参詣された切、その子を養子として引き取られ、京都で成人された方が後の菅原道真公である。
            !!(゚ロ゚屮)屮


菅原道真って、京都に生まれた家があるけど・・・
産湯の井戸ってのもあったような・・・
伝説って色々あって面白いね〜



なんと、この伝説にでてくる天女が羽衣をかけた松があるのです
え〜〜〜
そんなん、誰が見てたんって突っ込みたいけれど ヽ(´o`; オイオイ


衣掛柳は大きな大きな柳です♪♪
よく見る垂れ下がってユラユラしている柳ではなく
マルバヤナギという種類だそうです♪♪

木登りできない犬が羽衣を取ったんですから
下の方にヒラヒラしてたのね♪


衣掛柳の近くに天女像がありますが
手には天狗のうちわみたいなものを持ってるよ〜
ε=ε=(*b´∀`)b♪


余呉湖の周りを反時計回りに歩いていきますε=ε=ε
湖にはヒシが浮かんでます。


★ 蛇の目玉石(お話が長いよ〜)



余呉湖のほとりの川並村は美しい所でした。都の御所の落人である桐畑太夫が下人を連れて、切畑口へ移り住んで来ました。


弘仁二年(西暦811年)の春の終わりに、桐畑太夫に一人の美しい娘が産まれ菊石姫と名付けました。
菊石姫はは美しい肌の玉の様な子でしたが、7,8歳になると身体に蛇の模様が現れはじめました。 次第にその模様は広がって行き、身体も蛇形になっていきました。太夫もこの家に置いておけないので、屋賀原という所に仮家を建てて捨て置き、朝夕の食物を与えませんでした。

乳母が哀れみ、自分に与えられた食物を分け与えて養育しました。
菊石姫が十七、八歳になった夏、川並村は長い日照りに見舞われました。
村人達は次第にしおれて行く作物を見ると、胸が締め付けられる様な思いでした。
これまで仮家に閉篭もって一歩も外へ出た事のない菊石姫が、外に出て湖の傍に立ち、じっと湖面を眺めていました。菊石姫は意を決して乳母に「今から、私はこの湖の主になり、雨を降らせて、村人を救ってあげます。」と言いました。


菊石姫は湖に身を投げる前に、乳母と今生の別れに涙に暮れました。
湖へ身を投げた菊石姫の美しい体はみるみるうちに竜の体に変わっていきました。驚いている乳母に、菊石姫は自分の片目を抜き取って、
「竜の目玉は金や宝石では買えるものではありません。 大切にしなさい。」と言って竜の目玉を乳母に渡しました。菊石姫はしばらく別れを惜しんだが、湖の底へと潜っていってしまいました。
しばらくすると、空はにわかに黒雲に覆われ、稲妻が荒れ狂い、大粒の雨が激しく降ってきました。菊石姫からもらった竜の目玉は霊験あらたかでありました。


流行病の人がこれを舐めると、たちまち病は癒えました。この話がお上に知れる所となり、お上は乳母に対して上使を送り「竜の目をお上に差し出す様に。」と言いました。
乳母は菊石姫の形見である竜の目玉を隠し、差し出しませんでしたが、上使の取り調べは日に日に厳しくなり、とうとう竜の目玉をお上に差し出しました。


お上はそれを受け取り、また上使を乳母にさしむけました。
乳母の所に来た上使は「竜は目玉を二つ持っているはずだ。 もう一つもお上に差し出せ。」と言いました。乳母は困ってしまい、これまでの経緯を詳しく話しました。
しかし、上使は聞き入れてくれず「おまえは、また隠している。」と言って乳母を激しく責め立て続けました。
激しい責め立てに耐え切れず、「少し時間を下さい。」と言って、余呉湖に帰り、新羅の森の傍の湖岸にきて、「菊石姫」「菊石姫」と大声で叫びました。


すると、突然湖の沖の方の水が盛り上がり、菊石姫が現れ、水を左右に掻き分けながら岸に向かって来ました。
「なぜ私をよんだのか?」「何があったのか?」と尋ねました。
乳母は涙ながらにこれまでの事を菊石姫に話しました。「もし、私がもう一つの竜の目玉を持って帰らなければ、水攻火攻で殺されてしまいます。どうかもう一つの目玉を下さい。」。


菊石姫は言葉も無く、その場にしばらく座りこんでしまったが「昔、育ててもらった恩は広大です。私は両目を失っても命に別状はない。しかし、そなたは竜の目玉を持って帰らなければ殺されてしまいます。
私のもう一つの目玉をあげましょう。」と言って、菊石姫はもう一つの目玉を引き抜き、湖から岸に向かって投げました。


目玉は岸辺の石の上に落ちて、その石の上に目玉の形を付けました。
この石は、「蛇の目玉石」と呼ばれる様になりました。


そして、菊石姫は乳母に言いました。「私はこの様に醜い姿になり、そして暗闇同然の中で時を知る事が出来なくなりました。桐畑太夫に、湖の四方に鐘楼を建てて時を知らせる鐘を撞く様に伝えて下さい。」


そう言って、菊石姫は傍の石を枕にして、目を引き抜いた痛みが治まるまで、そこで休んでいました。痛みが引くと、菊石姫は乳母に「私はこの様に醜い姿になりました。今後はどんな事があっても私を呼ばないで下さい。
もし私に逢いたければ、この石を見なさい。」と、今まで枕にしていた石を指しながら言った後、湖の底に潜って行きました。


この石は今、新羅の森の水辺の大きな椎の木の下の水の中に在ります。
大きさは、長さ三尺余、横一尺ばかりであり、干ばつにならないと見る事は出来ません。この石はその後「蛇の枕石」と呼ばれる様になりました。


もう一つの竜の目玉を地頭を通じてお上に差し出した乳母は事無きを得ました。


この話を聞いた菊石姫の母は、娘を不憫に思い、病の床につき、ほどなくして、他界してしまいました。
桐畑太夫は、妻を余呉湖が良く見える屋敷から一町ほどの高台に葬りました。妻の葬儀が終わった切畑太夫は、気力を無くし、娘の菊石姫の事が案じられる様になり、乳母から聞いた娘の頼み事を実行すべく、まず、新羅森の傍に一社、三町余り北の上野森に一社、亦東北の蓮法寺に一社、、二町南の智者寺に一社、亦三町余離れた加子森に一社、五町ばかり南の黒森に一社、亦五町南の黒山の一社を入れ、余呉湖の周囲の七つの森に鐘楼を建て、それを撞かせました。


湖の周りを歩いていて
最初に現れたのが桐畑太夫の住んでいたところ♪
湖を見下ろせるチョット山側のところです。
真ん中の高い樹の右あたりです。

さらに歩き進むと「蛇の目玉石」があります
菊石姫が一つ目の目玉を投げつけたときに
当たった石の後ろがへっこんだと言われています。

さらに進むと『蛇の枕石』があります。
湖の中なので、はっきりとは見えませんが
木の枝が落ちている右上の箇所です。

水が少ないときしか見えないっていうのも
期待感があっていいかも(●´艸`)

菊石姫の誕生日までわかっているなんて
このお話は、一体どこまでが本当なんでしょう?
と思いましたが
なんと、この菊石姫とお母さんのお墓まであるのです。


天女は天に帰っていったので、お墓があろうとは思えません。
天女が帰った後で、桐畑太夫は人間の女性と結婚して
菊石姫が生まれたんですね〜
桐畑太夫というのは、数奇な運命だな〜と
不思議な感覚になりました σ(*UДU*)


と、ここで今更になって、蛇(竜?)になった
菊石姫も死んじゃったんだとわかりました^^;

残念ながら、お墓は山の中腹のようで
今日は行くことが出来ませんでした。
(お墓の写真はネットより)


続いて湖の周りを歩き進んでいくと
新羅崎の森壕という立て札が・・・
新羅崎神社跡地らしい

新羅崎神社というのは
菊石姫の父、つまり天女の夫である
桐畑太夫と天女の間に出来た子供
菅原道真公をお祭りしている神社です
(◎゚Д゚))ノ


★ 乎彌神社(おみじんじゃ)


神社の祭神である巨知人命と梨迹巨命は、
桐畑太夫と天女の子といわれています。


天女羽衣伝説の芍の草というのは瓢箪です。
桐畑太夫が瓢箪に登っていなくなったので
この辺りでは瓢箪を植えないそうです。



お賽銭箱には鶴が3羽丸く手をつないでいるようです
天女伝説とつがっているんですね+。*(o‘v゜o)*。+
隣の石にも鶴の絵を言われましたが
よくわかりませんでした



本殿はさらに上♪♪
お社が立派です(◎*'∀`.艸)

今日は盆踊りの日ということで
色々な準備をされていました♪♪


ご覧頂いてありがとうございます
余呉の探索はまだまだ続きます