古田織部美術館へ (^-^*)/

織部って知ってるような知らないような…
あつ、やっぱり知らないわ
ねえ、行ってみようよ(^-^*)/
と主人を誘って古田織部美術館へ
ε=ε=ε=((((o^ー^)o


織部の焼き物は魅力的よね
形に特徴があって、素朴なような繊細なような
足つきが多いので一層立体的に見えるし
足の形にも凝ってるし
他にはない1点ものって感じが好きです


あの緑色も好きです o(*^▽^*)o
お料理を盛り付けるのは、100均の白い器よりも難しいけれど
調和が取れれば引き立つよ〜〜


これが、今回一番惹かれた器


古高取 手付 平瓶型 水注ぎ


水注ぎなのに、よほど大きな器にしか入れれそうにもないよね
ダボダボダボッ て入っちゃいそう
o(>▽▽<)oキャハハ




織部が武士だったということは
知らなかったな〜
利休と同じように切腹していたのも知らなかった…


古田織部は利休亡き後、とっても長い間「天下一」と称された武将茶人です


織部は、武名こそあまりないものの、
茶の湯連歌に秀で、信長の横死後、太閤秀吉の御咄衆(軍師)となり、
子の秀頼、徳川家康・秀忠父子に仕えました。

  
軍師官兵衛 』やら『 江 』に出ていたっけ?
覚えていない…o(;-_-;)o


利休の茶の湯を継承しつつ、
茶道具の製作・建築・作庭など多岐にわたって活躍し、
それらは「織部好(ごのみ)」といわれて慶長年間(1596〜1615)に爆発的な流行をみせ、
織部が亡くなった後の元和・寛永期(1615〜1644)まで続きました。


徳川秀忠織部が自刃した後も
茶の湯の師をしたって
織部遺愛の道具を用いた茶会を度々催し、
織部流の茶の湯を遵守したんですって
信頼関係を築いていたのね


内通なんてしなかったら
もっともっと、いろんな作品を作れたでしょうに
もったいないな〜щ(゚ロ゚щ)


京都検定にも出てきますよ
織部の作った茶室 燕庵


燕庵とは、藪内家を代表する重文の茶室です。


薮内家は剣仲紹智(けんちゅうじょうち)を祖としています。
紹智のお嫁さんが、古田織部の妹なので
織部の茶室の燕庵を譲られたそうです



千利休と異なり、窓がいっぱいあって光を楽しむ
お客様の目を楽しませるために作られた茶室です。
お部屋の形も焼き物の織部と同じような間取りだと思いませんか( ●´艸`)
ジグザグで楽しそう



シブーストも食べて
今日も楽しかったな〜 ヾ(●⌒∇⌒●)ノ