夏の土用の丑の日 たった一日だけ御手洗祭が開かれるのは
私が京都に興味を持ち始めたきっかけになった
三柱鳥居のある神社
正式には木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)です
御手洗祭いうと 下賀茂神社を思い浮かべる方が多いと思いますが
もともとは蚕の社が始まりです (゚Д゚) ソウナンダ??
伝承では木嶋社の鎮守の森を「元糺の森」、神泉を「元糺の池」といいます
元々は木嶋社の鎮守の森が「糺の森」と呼ばれていたのです
嵯峨天皇の時代に、婚姻関係がありお祭りも下賀茂神社に移ったそうですが
土用の丑の日だけは、元糺の池で今でも御手洗祭が行われているんです
また木嶋社は、その存在が文献上では古く大宝元年(701年)に見え、
京都市内でも最古の神社の1つです
もちろん あの『延喜式』神名帳にも載っている由緒正しい神社なんです
ヾ(´Д`)ノ☆
雨が降っていたけれど 本当は台風らしかったけれど ( ◎´艸`)
お休みが土用の丑に重なることも少ないので、思い切って行ってきました
C= C= C= ┌(^v^)┘テクテク 場所は双ヶ丘の真南、広隆寺の真東です
どんどん進むと
夜店の屋台の準備が始まっていました
そうか、夜のほうが賑やかなのね
屋台の隙間から写しました (;Α´∀`)
さあ、 着いたよ~
鳥居さんを見るだけで 京都一のパワースポットと噂されるのがわかりそうよね
進んでいくと 拝殿があります
拝殿の奥が もちろん本殿ですが・・・
こんなに大変なことに w|;゚ロ゚|w
天之御中主神さまはじめ、ご祭神の神様たちは 辛い思いをなさっているな~
右隣が 蚕の社ですが・・・ w|;゚ロ゚|w
早く再建されますように♪♪
さあ、 社殿は可哀そうなことになっていますが、神様はお元気なはずです
罪汚れをはらっていただきましょう ┗|*`0´*|┛
他の神社の茅の輪とは ちょっと雰囲気が違うわね (゚ー゚?)キョロ(*゚ー゚)ゝキョロ
さあ、この柵の奥に大好きな三柱鳥居があるんです
ジャーン ヾ(´Д`)ノ☆ これだよ~ん
元糺の池の中央に三柱鳥居があり
その鳥居の中心に石が積み上げられ 御幣がささげられています
どうして私がこの鳥居に執着しているかというと
この三柱鳥居ですが向って左の柱は四角柱、右の柱は八角柱、奥の柱は十二角柱
ね、何でかな?って すごく気になるでしょ ?(゜_。)?
大神神社の「三ツ鳥居」とあわせて
いつまでも魅力たっぷりでノックアウトされつづけています .+(〃ノωノ)゚.+°―!!
御手洗祭とは言えども、この柵の向こうは神聖な場所です
私たちは柵のこっち側オンリー (σ≧∀≦)σ
柵から後ろを振り向くと こんな感じ
最近では残念ながらこの池は枯渇してしまい、
御手洗祭の日だけ地下水をくみ上げているそうです だから 冷たい 。゚(゚^Д^゚)゚。
フフフ 冷たいけれど 気持ちいい~~~ ヾ(´Д`)ノ☆
あ~~~ スカート ビチャビチャになってしまった w( ▼o▼ )w
まあ 夏やしすぐに乾くわ それどころか、雨も降ってるし どうせ一緒よ
今回 やってきて もう一つ面白いものを見つけました
この神文って 二葉葵の間に実がなってるよ
二葉葵の神文は少しづつ違っていますが、ここもちょっと違っているんやわ
面白いね~ ヽ(。´Д`。)ノ
しょうもない疑問やけど、足をつけて みたらし っていうのに
どうして御手洗って書くんやろうね (;Α´∀`)
ちなみに 昔の三柱鳥居が 葛飾北斎の描いた『北斎漫画』の中に『三柱鳥居』としてあるそうです (ウィキペディア)
この時の柱がこんなかたちなんだから、作り直した時には、何か意味があったはずだと思うんだけど・・・
北斎漫画は1878迄に全16刊を刊行
都名所図会にもありました
都名所図会 は1780刊行
あれ? 一寸おかしいね
古い方の都名所図会が今と同じ絵で
後から出た北斎漫画の方の絵は
今と違う形やわ
真ん中の岩座と御幣もないし…?
雨なので 真っすぐに帰りました
明日は下賀茂神社の御手洗祭に行くつもり
今日の教訓を生かして短いスカートにしなくっちゃ ( ◎´艸`)
みたらし団子も食べなくっちゃ ^^;
Sさん 毎日を楽しめるのは貴方がいっぱい教えてくれたおかげよ ありがとーね♪♪