佐々俵と千本通 C= C= C= ┌(^v^)┘

とうとう待ちに待った佐々俵がやってきました

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申し込んでからは 毎日ワクワクしながら待っていたので

早い目に佐々木酒造に到着 ( ◎´艸`)

 

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今日はこちらのお店の南側にある蔵が酒場になるんです

まずは受付を済ませます

今年の杯は透明の枡です オシャレね~

 

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さあ、社長の晃さんと俵越山先生が現れて 漫才のようなご挨拶の始まりです

 

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 暖簾をかけて 蔵酒場の開店です ┗|*`0´*|┛

まずは、鏡開をしてみんなで乾杯 

 

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なんとこの乾杯のお酒は特別なものなのよ

今年 佐々木酒造の聚楽第は全国新酒鑑評会で金賞を受賞したんです

そのお酒を少しずつ飲ませていただけました

 

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佐々俵のお酒は飲み放題のうえ

なんと ミス日本酒たちが お酒を注いでくださるんです

お酒で選ぶもよし、ミスの魅力で選ぶもよしですが、ともかく端から順に行きましょう

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 昨年は京都代表が日本グランプリに輝きました
社長の晃さんは 自分が投票した人が一位になって嬉しいと言ってましたよ

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今年は越山先生の書は少なめです

越山先生の大きな書を書くパフォーマンスもありません

ちょっと残念だな~ 

と越山先生に訴えると、ちょっと喜んでくれたような・・・( ●´艸`)

今年は フラダンスだったんです

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佐々木蔵之介さんのポスターもあちらこちらにありました
蔵之介さん大好きです

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あても色々 今年は地元のビールも登場

なんと、種類によっては蔵開き前に完売になった銘柄も !!(゚ロ゚屮)屮

 

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馳走いなせやさんの味噌漬けチーズは美味しかったな~

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そんなこんなで楽しい一日が終わりましたが 実はあさから出かけていました

千本通を北から南へ

★ 上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

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聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇が再興しました

清凉寺のご本尊である  三国伝来の釈迦如来像も宋から日本に請来した時に一時的にこのお寺に安置されたそうです

昔は塔頭が12院もあったので十二防というニックネームもあります (^-^*)/

 

● 定朝のお墓があります

 

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墓標には 常朝 と記されており、卒塔婆には 定朝 と記されていました

●  蜘蛛塚があります

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平安時代中期

源頼光は原因不明の熱病にかかり臥せっていました

ある夜 頼光が床につくと枕元に怪しげな僧が現れ、「苦しめ もっと苦しめ」と真っ赤な口を開けて叫び頼光を縄で縛ろうとしました

頼光は名刀膝丸を抜いて斬り付けると僧はその瞬間にふと消えて床には数滴の血痕が残っておりました。

その翌日の朝、数滴の血痕がある方向に続いているのを発見し、

四天王と呼ばれる渡辺綱坂田金時卜部季武碓井貞光に血痕をたどらせた所、山奥の洞窟に行きついた。中をのぞくとそこは巨大な土蜘蛛の巣だった。四天王は後に激しい戦いの末にこの土蜘蛛を退治し、賀茂川にさらした。腹を裂くと大量の骸骨が出てきたという。

退治後、頼光を悩ました熱病はみるみるうちに治ったという。土蜘蛛の塚は「源頼光朝臣塚」と言われ現在の上京区に存在するが、昭和初期に移動しようとしたというが、作業員が謎の死を遂げるなどが相次いだため祟りの場所と恐れられ中止。後に「蜘蛛塚」とされ現在の東向観音寺に移転した。東向観音寺はこの土蜘蛛の巣だったそうな

 

この大きな樹はエノキだそうです

 

●  絵因果経

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画像は国立博物館の資料より

 

紙の下半分にはお経が書き写されていますが、上半分には下のお経にある代表的な場面を絵で表したものです

正しい名前は、『過去現在因果経(かこげんざいいんがきょう)』といって、お釈迦さまの前世の修行物語から始まり、お釈迦さまがどのような原因で人間の根源的な苦しみや迷いから開放されて、仏さまという悟りの結果を得たのかということを物語風に説いたものです。いえば、お釈迦さまの伝記のようなお経です

奈良時代に書き写されたものですが 大変美しい状態です

 

★ 引接寺(千本えんま堂)

 

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引接とは、仏が衆生を浄土に往生させることです

その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野、鳥辺野、蓮台野の一つである蓮台野の入り口に立っています

ご本尊は閻魔像座像で定勢作

 

春には 普賢象桜が咲きます

 

 

● 紫式部供養塔

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 ★ 称念寺(猫寺)

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江戸時代の初期に徳川家康の義兄弟である松平信吉公の帰依を受け創建されたお寺です当時は300石という大きな寺領もあり、とても栄えていました

ところが、信吉公が亡くなると、松平家との関係も次第に疎遠になり、寺領も減って、お寺自体が衰えていきました。

 

3代目の住職、還誉和尚の時代は、食べるものにも困るほどの有様に。でも和尚は、大のネコ好きで、1匹のネコをとてもかわいがり、自分が食べずとも、そのネコに与えていたほど。どんなに苦しくても、そのネコを手放さなかったのです

ある月夜の日、托鉢から寺に戻ると、寺には、とても美しいお姫様が、優美な姿で、舞踊っていました。その影をみると、なんと愛するネコの化身だとわかります。

「自分がこんなに苦労しているのに、浮かれて踊るとは~」と立腹し、愛したネコを寺から追い出してしまいます。

 

ネコを追い出して数日後、和尚の夢枕に、そのネコが現れ、「お寺を訪れる武士を丁寧にもてなしてください。そうすればお寺は、また栄えますよ」と告げたそう。

 

翌日、訪れたのは松平家の侍。亡くなったお姫様の菩提を弔ってもらいに来たのです。それ以来、お寺と松平家の関係は修復され、以前のようにお寺は栄えたのだそう。
「これは、あのネコの恩返しに違いない」と思った和尚は、境内に松の木を植え、愛したネコを偲んだそうです

 

非公開寺院なので中に入れませんが、門の中の松がその松のようです

横から見ると猫が伏している姿に見えるそうです

 

 ★浄光寺

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大雅堂って瓦に書いてあります

 

★ 石像寺

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弘法大師が唐から持ち帰った石を刻んだとされる地蔵を祀っています

この地蔵が、人々の身体や心の苦しみを抜き取るということから苦抜き(くぬき)地蔵、そして釘抜地蔵と呼ばれるようになりました

お堂の周りには、釘や釘抜きが付いた絵馬が数多く掲げられています

 

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ほんまにびっしりとクギとくぎ抜きが張り付けられていました  w|;゚ロ゚|w

霊験あらたかなんでしょう

お参りしている間にも、何人もの方がお百度で、この堂宇の周りをまわっていました

 

ご本尊はこのお地蔵様ですが

裏に重要文化財の石仏があります

阿弥陀如来坐像の左右に脇侍の観音・勢至菩薩像が立ちます

制作年の明らかな鎌倉時代の石造彫刻の基準作として貴重らしいです

右に立つ弥勒仏像は2010年に追加指定されました

 

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本堂の周りにこんな十一面観音像もありました

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十一面の一番後ろのお顔は普通は見れないところですが

後ろに回れたので、確かめてみました

フフフ 噂通り大笑いのお顔でした

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このお顔が見れてなんとなく嬉しくなりました ヾ(´Д`)ノ☆

 

弘法大師といえば、いろいろなことろから水が噴き出す伝説 (σ≧∀≦)σ

やっぱりここにもありました

お大師様が杖を突いたら水がでたそうです

 

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今でもお水が湧いていました ヾ(´Д`)ノ☆

 

 

★浄土院 ・・・ 湯たくさん茶くれん寺

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ここに来たかったんです

なんとなく北から順にめぐってきたんですが今日の一番はここでした  。゚(゚^Д^゚)゚。

浄土院は、もとは近くにある般舟院(はんじゅういん)というお寺の隠居所として創建されました。代々、尼僧が住職を務めた(現在は無住)浄土宗のお寺です


1587(天正15)年10月1日、秀吉の九州征伐の勝利と、邸宅の聚楽第の完成を祝って、北野天満宮の境内で「北野大茶会」という茶会が催されました

 

その当日、北野天満宮に向かっていた秀吉は、浄土院の前に差しかかった時に、浄土院に名水が湧き出る井戸があることを思い出し、立ち寄ることにしました。

 

秀吉は寺に入るやいなや、住職にお茶を所望しました。住職がお茶を出すと、秀吉はあっと言う間に飲み干し、お茶のおかわりを所望したのです。その時、住職は高名な茶人でもある天下人の秀吉に対して、未熟なお手前のお茶を出し続けるのは、あまりにも失礼なことだと思い、どうしたものかと考えたところ、お茶ではなく、境内に湧き出る名水をそのまま味わっていただくことが良いと思い付き、白湯を秀吉に出しました。


出された白湯に不思議に思いながらも、秀吉は白湯を飲み、またお茶のおかわりを所望すると、住職もまた、白湯を出す。そして、また…。このようなやり取りが何度か続いたようですが、そのうちに秀吉は住職の気持ちを悟り、笑いながら、「この寺は、お茶をくれと頼んでいるのに、白湯ばかり出して、お茶をくれん。湯たくさん、茶くれん」と、住職に言ったのでした。

 

このように、秀吉の言った言葉がそのまま寺の通称となり、「湯沢山 茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられているのです。

面白いよね~

怒ってしまわず シャレで返したのは秀吉さん さすが!!という感じですが これから茶会を開くのに どうしてそんなにお代わりをしたんでしょう ?(゜_。)?

北野大茶湯は、天正15年10月1日

そんなにのどの乾く季節だとは思えません

怒らずシャレで返したことといい、ひょっとして尼僧だったからじゃあないの

(;Α´∀`)

 

残念ながら非公開寺院なので 名水の井戸も解らず残念でした

 

 

大極殿

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平安時代平安京の北部の中央に位置した平安宮(大内裏)は東西約1.1キロ・南北約1.4キロの広さで、その中心には国の重要な儀式が行われた朝堂院がありました。

朝堂院は東西約200メートル、南北約470メートルあり、全体が回廊で囲まれていました。その朝堂院の正殿として華麗な大極殿がありました。

平安時代の中期から後期になると度々火災で焼失し、1177年(安元3年)の大火のあとは再建されることはありませんでした

 

明治になってから建てられた平安神宮の社殿は平安京の朝堂院を8分の5の規模で再現し、平安神宮拝殿は大極殿に相当します。 へ~~~ そうなんだ (゚д゚)(。_。)ウン!

 

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この図を見ていると 平安時代の貴族が・・・というよりも

私にとってはヒカルちゃんが藤壺を慕ってあちこち出没する様子が思い浮かびます

ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

ここから佐々木酒造はすぐ近く 歩いて行けます

そうなんです

佐々木酒造は平安京内裏の中にあるんです

同じく 秀吉が作った聚楽第の中でもあります

そんな土地で水を得て酒蔵が続いてるって なんとなく嬉しいな~

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これは佐々木酒造の蔵です

 

今日も一日中楽しく遊びまわりました

ご一緒してくださったTさん Kさん ありがとーね ヾ(´Д`)ノ☆