土砂降りの中休み 朝の空を見上げて これなら行けると飛び出しました
最初に向かうのは 茶面の大徳寺です
ε=ε=ε=((((o^ー^)o ブ-ン!!
お友達と現地集合です
唐門ではなく いつも南門から入ります
待ち合わせは瑞峯院の前でしたが その手前で
あれ? 見たことのあるシルエット
ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪ 会社のNさんだ どうしたの~?
取材で写真を撮っていたのです やすこちゃんも取材ですか?
フフフ 私は今日は 趣味でテクテクやって来ました
嬉しいビックリで今日も楽しくなること間違いなしです (@⌒ο⌒@)b
自身が帰依した大満国師・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)を開山に迎え
自らの菩提寺として瑞峯院を創建しました
瑞峯院という寺号は宗麟の法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」から名付けられたものです
Mさんが宗麟のリンは鹿ヘン と言ってくださったので 頭に入りました
ありがとーね (@⌒ο⌒@)b
マスカットのような色の実がなっていました
なんだか美味しそうですが どんぐりみたいに固くなるようです
高齢のご住職が にこやかに出迎えてくれました (((o(´∀`)o)))
室町時代の方丈建築の貴重な遺構である本堂の正面には
後奈良天皇の宸筆になる寺額を掲げています
みなさん本当に文字が上手なのか、
こうやって額にする人が 上手に手直ししているのか… どうなんでしょ (・'v`・)??
●『独坐亭』 本堂の前に広がります
重森三玲による方丈の正面に位置する蓬莱山式庭園で、
大刈込と巨石で表した蓬萊山からのびる半島と
小島に打ち寄せる荒波を砂紋で描いています
しかし、重森三玲は三玲という名前にするために
いったん僧になり名前を捨てた後、還俗して三玲という名前にしました
素敵な名前だけど こだわりが凄いね w|;゚ロ゚|w
長男の名前も あのむつかしい『純粋理性批判』を書いたイマヌエル・カント
からとったんですものね~ 重森完途 素敵な名前やわ~ (゚д゚)(。_。)ウン!
ふーん なるほど と思い ここに座って庭じゃあなくって本堂のほうを向いて
結構ゆっくり過ごしました
Yさんとあれやこれは話しながら・・・
なんか こんなこと書いてあるけど、それはどこの事なん
何とかの2文字が書いてあるって どこよ どこ?
あれやろうか これやろうか おばさん二人の疑問は尽きることがありません
( ◎´艸`) ところどころは受付まで尋ねに行って
いつでもお騒がせの私たちです 結局解りませんでした (σ≧∀≦)σ
十分話したのでストレス発散になり、次に進みます
●お茶室
独坐庭の端がこんな風につながっていき 西のお茶室になります
右上の植木の隙間から 不思議な手水鉢?が見えていました
関守石があちらこちらに置かれていました
●閑眠庭
もちろん重森三玲の作です
東側にあるキリシタン灯篭を背にして見ると、7個の石組みが十字架を形作っています
「閑眠高臥して青山に対す」という禅語からの命名です
さあ 向きを変えてみましょう
このままでは ちょっとわかりにくいので 色を付けてみました
十字架に見えるでしょうか?
●キリシタン灯篭
●お茶室は静眠庭の北側の建物です
お茶室は3つあり そのうちの一つが 国宝の待庵の写しでしたが
一方方向からの少し離れたところからしか眺められず
待庵と似ているな~位の印象でした 正面から見たいな (゚д゚)(。_。)ウン!
などと言いながらも 全体的には見ごたえ十分 大満足しました
★泉仙
精進料理の中でも 鉄鉢料理です
鉄鉢とは、僧が食物を受けるために用いた鉄製のまるい鉢のことをいいます。
遠くインドにはじまり、日本へは奈良時代につたわったとされ、
托鉢の僧が用いたといわれています
古くから伝わる「精進料理」では、仏の教えによって肉類魚介類を使用せずに、
穀物、豆類、野菜などの食材だけを使用したお料理です。
また食材の味をいかすため、調味料の使用を抑え食材を余すところなく使い切ります
泉仙の精進鉄鉢料理は、鉄鉢を形どった器に四季おりおりの味覚を盛り込んだもので
禅のこころと、京料理の伝統を現代に生かしています
瑞峯院のお隣の大慈院のなかにも泉仙のお店があります
どんどん 歩かされます 大きなお寺の奥のほうにあります
フフフ ようやく到着 精進料理 泉仙 大慈院店
夏の建具が涼しげです
もう、頂く前から美味しい雰囲気が漂っています
あ~ 美味しかった ごちそうさまでした (@⌒ο⌒@)b
僧が使いやすいよう 重ねられるようになっています ヾ(´Д`)ノ☆
★立本寺 (島左近のお墓)
「治部少(三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」
石田三成も左近の有能さを耳にしており、ぜひ家臣に加えたいと考えていました。
そこでさっそく誘いをかけますが、左近はやはり断ります。
それでもやはり左近を配下に加えたかった三成は、4万石ある自分の俸禄のうち2万石を与えると申し出たのです。これは超破格の待遇でした。
しかも三成自らが何度も誘いをかけており、これは三国志で劉備が諸葛亮に対して行った「三顧の礼」にも相当する話です。
左近はそんな三成の熱意に感じ入り、家臣となったのでした
歴史音痴の私は もちろんこんなお話は勉強会で教えていただきましたが
なかなかピンと来ないので お墓参りに行くことにしました
今日 ご一緒していただいたお友達の家の近くなので
おしゃべりしながら こちらにも一緒に行きました
島左近のお墓は 別棟でした
奥のほうにあるので、その場所までこんな風に→で導いてくれます
島左近様 どうぞ安らかにお眠りください m(≧∇≦)m
今日も充実した一日でした
ご一緒してくださったTさん 楽しかったね 美味しかったね ありがとーね
ヾ(〃^∇^)ノ