一休寺といえば酬恩庵 (((o(´∀`)o)))

一休寺といえば酬恩庵♪♪

でも それだけじゃあダメらしい

虎丘庵、十六羅漢の庭 なんじゃそりゃぁ.+(〃ノωノ)゚.+°

 

というわけで 初めて行ってみると

え~ 一休さんって !!(゚ロ゚屮)屮 というビックリの連続でした

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飛び出し坊やも一休さん o(*^▽^*)o 愛されてますね~

 

距離はありましたが、意外と行きやすい場所にありました

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グーグル先生に感謝です

道すがら いろんな一休さんに会うことができました

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こんなおじいちゃんだったんだ (@⌒ο⌒@)b

 

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長生きされたのね~

 

酬恩庵は一休寺と呼ばれています

元の名は妙勝寺といいました

鎌倉時代臨済宗の高僧大應国師南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、

帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めです。

その後、戦火で荒廃し、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、

宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名されました

一休禅師はここで後半の生涯を送り、八十一歳で大徳寺住職となった時も

この寺から通われたのであり、

文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのです

 

 

いやいや 酬恩庵京田辺にあります 大徳寺京都市北区

地図で測ると直線距離で26.6km 通いで大徳寺に行ってたなんて

いくら昔の人が健脚だとしても・・・

よほど酬恩庵が好きだったのね ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!!

 

★総門

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総門というのは禅宗寺院における表門のことです

総門前には金春禅竹による屋敷跡があったと伝えられており

薪能金春の芝跡」という碑が建てられているそうです(何処かわからなかった)

 

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清々しい緑でした モミジの時期も奇麗でしょうね~

 

★宗純王廟(一休禅師の墓)

一休さんは京都生まれで幼名は千菊丸。

後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。

( どっちでも凄い w|;゚ロ゚|w )

6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。幼い頃より漢詩の才能を開花させ、『長門春草』を13歳のときに、15歳では『春衣宿花』を著しています。

一休の名付け親は大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)。一休の「「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華叟が道号として授けました。その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。

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宮内庁では 第100代天皇北朝第6代天皇の 後小松天皇の皇子と認めているのね 

扉にも菊のご紋章が輝いています

 

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駒札に 前庭が 村田珠光の作 と書かれているので 

慌てて菊のご紋章の隙間からパチリ!! 奇麗に整えられています

卵塔というのは 主に僧侶の墓塔として使われる石塔(仏塔)です

この建物の中に 卵の形の墓石があるんだわ 多分

 

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庫裏に向かいます 

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ここから入るのですが その前に右を向くと 虎丘庵って書いてあります

 

虎丘庵  これが一番驚きの場面でした

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虎丘庵はもと、京都東山の麓に在ったものを一休禅師74歳の時、応仁の乱のためこちらに移築したものである。

扁額「虎丘」の字は禅師によるものである。
周囲庭園は禅院枯山水のもので作者は茶道の祖といわれる村田珠光と伝えられている

 

w|;゚ロ゚|w  w|;゚ロ゚|w  w|;゚ロ゚|w

屋根だけ見える小さな茶室は、一休さんが森女さんという盲目の女性とお住まいになっていた虎丘庵です。 二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なたたずまいの建物です。もとは京都東山のふもとにあったのですが、一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467年~1477年)から避難する時に、ここに移築されました。

同時に様々な文化人がこちらの庵を訪ねたと言われています。

 

お酒も飲めば魚や肉も食べる 女性と一緒に暮らしている

それなのに大徳寺住職になれるって 魅力たっぷりの方だったんでしょう 

生きている間にお会いしたかったな~  (人´∀`*).。:*+゜

 

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拝観料が面白い 抹茶付き 善哉付き ソフトクリーム付きがあったので

悩んだ末、善哉とソフトクリームにした  ん?拝観料2人分になった?

 

★方丈庭園 南庭

南庭は宗純王廟と虎丘を背景としてこれら建物の北部斜面を利用してサツキの刈込があり西部に大きい蘇鉄が植えられている典型的な江戸時代の禅苑庭園である。刈込から軒下までは白砂が敷き詰められておりさっぱりとした中に落ち着いた雅味をあたえている。

砂紋は浅くて すっきりした感じです

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右奥が虎丘庵 左奥が宗純王廟です

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南庭に面した建物が方丈ですが なんと3つのお部屋とも狩野探幽の襖絵でした

(人´∀`*).。:*+゜

方丈中央の内陣を昭堂といって ここに一休禅師の木像を安置しています
この木像は一休禅師逝去の年に高弟墨済禅師に命じて作らせたもので自身の頭髪と髭を植えたとされています

ただ、今は頭髪も髭も抜け落ちて 単なる木像ですがお顔がリアルです

とても優し気で素敵なおじいちゃんという感じです 慕われているのがわかります

 

★東庭 十六羅漢の庭

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東庭は大小の石が立ちまた横になる様を十六羅漢になぞらえたとされます

石もそうですが 丸い刈込が アニメに出てくる一休さんのような小坊主さんが

チョコマカ 忙しく行き来しているように見えて笑いそうになりました ( ◎´艸`)

 

★北庭

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北庭は禅院枯山水としての蓬莱庭園である。東北隅に約2メートルの巨石を配しいわゆる観音石として用いている。
これに他の集団石組をもって枯滝落水の様子を表現している。
その昔、正面には木津川を上下する白帆を眺めることが出来また晴れた日には比叡山を望んで楽しんだと言われる。
これら三方からなる庭園は江戸初期のものとしては第一流であり当代庭園の白眉とされている。この作庭は石川丈山松花堂昭乗、佐川田喜六の3名の合作とされている。

 

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正直に言うと 蓬莱庭園だったら あれが蓬莱山? 観音石?みたいな感じで

よくわかりません でも、山から水が流れてきて こっちにこう来て

大きな島にぶつかって・・・ということを想像するのは楽しいです Ψ(`∀´)Ψ

 

★西にもお庭が続いています

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グルリンと向こうに回れるようになっています 向こう側が西庭です

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流れも穏やかになって ここに帰ってきたって感じがしました

(σ≧∀≦)σ 間違いの可能性大ですが・・・

 

北庭を眺めながら 善哉とソフトです

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一休禅師は1月1日生まれです。

大徳寺の住職からお餅の入った小豆汁をごちそうになり「善哉此汁(よきかなこのしる)」とおっしゃったことから善哉となったと言われています。

甘くなく、塩味のほうが感じられましたが 美味しかったです

 

係りの方がやってきて、一人で両方食べるとは思わなかった・・・といい

一人分の拝観料を返してくださいました

。゚(゚^Д^゚)゚。 2つも食べる人は居ないんだ…3つとも食べようかと迷ったのに

 

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トンチ話の虎退治の衝立がありました ヾ(〃^∇^)ノ

 

★本堂

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本堂は室町幕府六代目将軍 足利義教公の帰依により建立されました

 

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木組みが美しいです

 

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本尊は釈迦如来坐像、

獅子に乗っている文殊薩像 象に乗っている普賢菩薩像が安置されていました

釈迦三尊は文殊菩薩普賢菩薩ね (@⌒ο⌒@)b

 

★開山堂

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開山堂は大正時代に改築をされたものだが様式は完全に昔のものを残している。
堂内部には妙勝寺を創建した大応国師南浦紹明)の木像が安置されている。
これは一休禅師が荒廃をした妙勝寺を再建し63歳の時につくられたものです

 

★鐘楼

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★浴室

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オシドリのような彫刻があるし 壁の丸い穴は蒸気抜きかしら ?(゜_。)?

 

★宝物殿

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この中にあった宝物の一つに 猫の公案の掛け軸がありました

なんだか恐ろしく 心に残ったので後で調べてみると 有名な公案らしいです

 

禅宗公案の一つに、「南泉斬猫」がある。

公案は禅の修業に用いられる短いエピソード的文章で、修行者はこれを与えられて悟りに至るよすがとする。

南泉斬猫
中国の唐代、高僧南泉のもとには多くの弟子が集まっていた。

あるとき弟子たちが、寺内で二手に分かれて子猫を奪い合っている。

そこに現れた南泉は猫を取り上げ、弟子たちを叱りつけて言った。

「これはいったい何の騒ぎだ。おまえたち、この有様に対して何か気のきいた一言を言ってみよ。言うことができれば猫は助けよう。しかし言えなければ猫を斬ってしまうぞ。」しばらく待ったが、誰も答えられない。

南泉はついに猫を斬った。その晩、所用で出かけていた一番弟子の趙州が帰って来た。

南泉からこの話を聞いた趙州は、履いていたぞうりを脱ぎ、黙って頭の上にのせて部屋を出て行った。これを見た南泉は「おまえがあの場にいれば、猫を救うことができたものを」と嘆いたという。

 

とてもシンボリックなお話で、この後の続きを読んでみて

納得できる気がしました。話の仕方一つで、意味が反対になってしまう w( ▼o▼ )w

 

コミュニケーションって 難しいですね

 

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入口に一休さんの書かれた碑がありました

悪いことはするな 良いことをせよ という意味だそうです

 

アニメの一休さんしか知らなかったけれど

何だかとっても深い 一休寺酬恩庵でした

来れて良かった~ 来させていただいてありがとうございます ヾ(´Д`)ノ☆

 

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