「京都史跡ガイドボランティア協会」の本願寺ツアーに参加させていただきました
毎月のようにアチコチ行けるのはここのおかげです (((o(´∀`)o)))
本願寺と言えば西本願寺(龍谷山 本願寺)と東本願寺(真宗本廟)
ついつい比べてしまいます
顕如と信長の10年にもわたる戦いがあり
そのあげく 顕如は朝廷などによる和睦交渉を受け入れましたが
長男:教如は父から絶縁されながらも武闘派門徒と徹底抗戦を選択 w|;゚ロ゚|w
こういったいきさつで父:顕如は次男:淳如とともに本願寺を守っていきます
顕如夫人が秀吉を訪れ 顕如の遺言では継職譲渡は次男の淳如だと伝えました
色々あり長男:教如は辞職させられ 次男:淳如が継職になりました
その後 関ケ原の合戦後 家康が教如に土地を与え 東本願寺が設立されたのです
このため元々の本願寺を区別するために西本願寺と言うようになりました
(゚-゚)(。_。)ウンウン
ここまでだけでも 沢山のドロドロがあるのに
東本願寺はたびたび火災にあい 何度も伽藍を焼き尽くし
昭和になってからも お東騒動と言う保守派と改革派の対立があり
門主などの権力闘争や財産問題もあり ドロドロが続きました
困難な問題があったことで 東本願寺は宗教団体としてそれを乗り越え
包み隠さず 信念を持ち 世界に向けて発言し 強い体質になっていきました
そして素晴らしい今を見せて頂きました ♪d(´▽`)b♪
★御影堂門
単に大門(だいもん)とも言いますが 大きな門という意味ではなく
仏説無量寿経の中の たいぎもんくどく の略称で大門ですって
。゚(゚^Д^゚)゚。 漢字が書けません 意味も余りわかりません
後から教えて頂きました まりもさん ありがとーね♪♪
ダイギモンクドクは「大義門功徳」
http://labo.wikidharma.org/.../%E5%A4%A7%E7%BE%A9%E9%96...
高さ29.6mの二重門で日本一の高さです
↓ この辺
この門には面白い事が色々あります
その① 柱の足元に獅子がたくさん居るんです (((o(´∀`)o)))
勇ましい子や可愛い子がたくさんいるんですが
たった一人だけ 眠っている子がいます 訪れた時は探してみてね ┗|*`0´*|┛
その②
山門をくぐる時の地面 ほぼ まっ平でしょ (゚д゚)(。_。)ウン!
たいてい 材木一本分またぐ部分がありますが
浄土真宗では誰でも受け入れるという信念から 妨げになるものを排除しています
その③ 龍が多い ↓↓↓ これは門をくぐる時の頭の上です
上の階に上がらせていただきました
扁額がでっかいよ~ ハートもいっぱい ♡ ♡ ♡
南側には 京都タワーが見えます 曇りで残念
南東の角には こんな龍
龍を下から見上げる時 必ず逆鱗を探してしまいます
無いよね (σ≧∀≦)σ
東を向いて見えるのは「布団来て寝たる姿や東山」
北東の角には
北西の角にはこんな龍
のどの形がウンと違います 男の子かしら (単なる想像です)( ◎´艸`)
西には御影堂があります
今度は南西の龍です
ちょっと離れると龍が見えにくいですが 京都タワーも逆蓮華の擬宝珠も奇麗ね
中の仏様も素敵でした
面白かったのは 天井が真っ白 (゚Д゚) ソウナンダ??
竹内栖鳳が描く予定でしたが 様々な理由で描けないままに・・・ヾ(≧ω≦)ノ
★ モデルの女性が体調不良になった
★ 天井の木の油分で描けなかった
★ (遊ぶのに?)忙しかった
フフフ 本当の理由はどれでしょう (σ≧∀≦)σ
阿弥陀堂 御影堂も丁寧に見せていただき どんどん奥へ
御簾が下がり 格天井のお部屋には素晴らしい画がありました
竹内栖鳳が描くスズメは一羽で家が一軒買えるほどの値段だそうですが
そのスズメが飛び回っていました
なんと2羽 分からないように盗まれたとか それも一番素敵な
向き合っているスズメですって 見たかったな~ 。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。
能舞台です ↑↑↑
さあ いよいよ白書院よ ↓↓↓ ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
超豪華ね~ 黄金色に輝いて 折り上げ格天井です
ボタンの画が多いのは 近衛家の紋章が牡丹紋だからですって
床の間の畳の縁は 繧繝縁(うんげんべり)でした
お部屋の格によって畳の縁も違っています
格が高いのは左側の模様が複雑な方です
違い棚は 透かし模様は違うけれど醍醐棚のつくりと似ていますね
白書院を後にして 今度は別のお部屋に C= C= C= ┌(^v^)┘
1人だと 多分 何処に何がいるかず~っと探してしまいそうです (Ψ▽Ψ*)
後ろ向きの人の籠の中に鷹のしっぽみたいなのが見えてます
なんて素敵なお庭なんでしょう
昔はこの池の水も本願寺水道のお水を使っていたそうです
順序が逆になりましたが 建物に入る前にぐるりを案内していただきました
鳳凰と迦陵頻伽が優雅に飛んでいます
阿弥陀堂と御影堂
あっ 2年ほど前までお庭にヤギを飼っていたそうです(除草用従業ヤギ)
この石垣凄い お堀につながっているみたいです
近代的な建物にビックリ !!(゚ロ゚屮)屮
昔はこの石垣の上に木の塀があったはず
戦闘モードが一気に高まりました さすが教如です
両脇に2つもの唐破風のお部屋を備えた門なんて 初めて見ました
フフフ 菊の門の内側です
こんな風になってるんだ~
この地下にはホールがあって 丸いところが天井に当たり
ガラスの模様から光が差し込むようになっているそうです
自分的に一番受けたのは
御影堂は火事にあったので明治28年(1895年)に建てられたものです
その時の棟梁が新しいもの好きでこの部分
昔は胡粉でしたが なんとその時代に一番進んでいたペンキを塗ったんですって
今回の修理でも 明治の時のペンキの成分に一番近いもので修復されたそうです
東本願寺でお土産も頂きました
御影堂門の向こうに見えるのは京都タワーだよ~ (人´∀`*).。:*+゜
★本願寺水道
「本願寺水道」は明治時代後半の1897年 防火用水確保のために作られ
琵琶湖疎水の水を蹴上付近で取り込み
東本願寺までの市街地約4.6キロに鋳鉄管(直径約30センチ)を埋設して引きました
琵琶湖疏水と同じく田邉朔郎の設計による当時の最新の技術が用いられた大事業でした
老朽化で漏水が激しく2008年に停水しましたが
東本願寺の堀などの水を補うのにも使われ
防火用水のバックアップの役割も担っていました
地形をうまく利用した画期的な設備で使われなくなったのが残念です (゚д゚)(。_。)ウン!
東本願寺と環境を考える市民プロジェクトの画像をお借りしています
大火事で何度も痛い目にあったので 本願寺水道は素晴らしいものでした
江戸時代に4度の火災に遭って焼失し 門徒の力で4度とも再建されています
その名残がいっぱいあります
名前が期待を込めています 今は水道水ですが
昔は蹴上からの高低差を利用した圧力で45Mほど(?)吹き上がったそうです
境内のいたるところに建物を取り囲むように 放水銃があります
火事になっても石垣は残ります
赤く変色しているところは 火で焼かれた跡のようです
二条城もこんなふうになってるよね
門前のこの噴水も本願寺水道の水が使われていましたが
吹き上がりすぎるので 近隣の住民からは苦情も寄せられたとか
もちろんお堀の水も本願寺水道のお水でした
お寺の方にお尋ねしたら 名残が見れるというので帰りに寄ってきました
五条大橋の下を通っているそうです
ε=ε=ε=((((o^ー^)o ブ-ン!!
あっ さっき内側から見た菊門の表側はこんな感じ
うわ~ 東本願寺も鬼門除けしてる o(>▽<o)(o>▽<)o
御所と同じね 北東の角です
五条大橋と言えば ご存じ この石像があるところです щ(`∀´)ш
公儀橋だったので擬宝珠が付いています
潜ってみましょう
色々あったけど 直径30cmほどで古そうなのって これかな (・'v`・)??
ミニミニ鍾乳石発見 w|;゚ロ゚|w
お友達発見
え~ 食堂デイズ 今日まで夏休み w( ▼o▼ )w
白いオムライスを楽しみに こんなに歩いてきたのに・・・
家に帰ると息子から荷物が…
ヤッパリ今日も素敵な一日になりました
ツアーを企画してくださった「京都史跡ガイドボランティア協会」の皆様
東本願寺の皆様
凄く楽しい一日でした ありがとうございます ヾ(´Д`)ノ☆