北野天満宮 石の間に入れた ヾ(´Д`)ノ☆

待ちに待ったお盆休み ヾ(´Д`)ノ☆イェィ

お墓参りに行ってからそのまま

興味深々だった北野天満宮の石の間の拝観に ε=ε=ε=((((o^ー^)o !!

 

変なお天気で青空と雨雲が共存しています

 

影向の松にこんにちは♪♪と声をかけてから進んでいくと

七夕期間なのでこんなに素敵

 

星欠けの三光門でお友達と待ち合わせです

星欠けっていうけれど

 

 

 

ほら これも入れると太陽と星と月の三つになるよ ( ●´艸`)

ウサギとウサギの間に 銀色に光る三日月が見えてます


なんて言っている間にお友達と合流
Tさん 今日も宜しくね~

 

さあ 道真公にご挨拶 Ψ(`∀´)Ψ こんにちは~

正面に来るとどうしても『唯一の立ち牛』に目が行ってしまいます

神社に沢山牛がいますが これ以外の牛はすべて伏せています

 

今日の目的は『石の間』からの参拝です ワクワク (((o(´∀`)o)))

写真はきっとNGだろうし 看板でも写しておきましょう

 

 

 

受付 なんと私たちが1番でした "(p´Д`q)"

本殿正面の左側から回り込み石の間の前で20名ほどが揃ってお祓いを受けます

そして拝殿の西側から進む順路でした

 

案内の方が

この建物は権現造りと言います 権現造りの中でも特に八棟造りと言います

8つ棟があるというわけではなく 沢山の棟があるという意味です

拝殿と本殿が最初から一つの建物になるように屋根が作られています

現在の建物は慶長12年に豊臣秀頼によって再建されました

その証拠にあちこちに有る擬宝珠に秀頼の名前がきざまれています

ヾ(仰゚Д゚)ノスゴッ!!! と丁寧に説明してくださいました

 

拝殿も広々としてとても立派です

天井は織り上げ格天井 蟇股の間には動物や鳥の見事な彫刻がありましたが

お部屋自体は長方形の広い空間で 

道真公を慕う方が沢山入れるようになっているのでしょう

 

拝殿から本殿を見ると奇妙な感じに襲われます

拝殿は階段10段ほどの高さがありますが 石の間はがくんと低くなっていて

本殿は拝殿と同じ高さです まるで間に川でもあるような気持になります

まるで神と人間には越えがたい隔たりがあるんだと実感するような… w|;゚ロ゚|w

 

拝殿に続く楽の間を出て石の間に入ります  ♪d(´▽`)b♪

石の間という通り地面は切石が敷き詰められています

そして階段2段分の高さの床に畳が敷き詰められています

今回はその上に絨毯が敷かれているので畳は見えませんでした

 

石の間は5mほどの幅でしょうか

天井を見ると屋根の勾配がそのまま見えます

天井を張らずに化粧屋根裏になっていました

拝殿の千鳥破風と 本殿の千鳥破風(妻?)が向き合っています

本殿の千鳥破風部分には3個の桃の彫刻がありました

イメージはこんな感じ(北野天満宮 拝殿の彫刻)

桃は古事記にあるように魔除けになります

 

本殿が見れるとは言っても 本殿の前には端から端まで御簾が下がっており

透けて見えるものの その向こうの白木の扉は閉ざされていました

。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。

 

係の方に ご本尊の道真公はどんなお姿ですか 

木像のお姿があるのですか とお尋ねしたら

私も見たことが無いのでわかりません  w|;゚ロ゚|w というお答えでしたが

仏教にあるような木の像などはありませんとも仰いました(知ってるんやん)

鏡のようなものがご神体なのかな~ ?(゜_。)?

 

石の間から本殿に上がれるように真ん中に階段がありました

階段には欄干があり 擬宝珠があります

近くに行ってしっかり見ました(本当は触りたかった)

右大臣 秀頼公 云々 って左右の擬宝珠ともに書いてありました

(((o(´∀`)o)))

 

本殿の正面で道真公にご挨拶を申し上げ 左右を見ると

狛犬がいました 向かって右は金色の身体に緑のたてがみ

向かって左は金色の身体に青いたてがみです

角はどちらにもありませんでした

こんなイメージです 北野天満宮はどちらも金色で角はありません

 

本殿正面には向かって左から菅公御遺愛の硯箱 もう一つ何かの箱

二人で向き合って持てるような棒のついた水桶

(上に梶の葉の束ねたものが乗っていた)

急須のようなもの これらはすべて黒漆に金色で梅が描かれていました

 

更に石の間にも展示がありました

石帯・・・ベルトのようなもの

笏を入れておく布の袋(中に笏も入っていたかも)

中啓・・・外側が広がった扇

こんな感じで 全体に色つきの絵が描かれていました

 

状態が非常に美しかったので レプリカですか?とお尋ねしたら

道真公が使われていたと伝わっています とお答えいただきました

。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。

 

本殿に向かって左側には鬼神像13体がありました

初公開だそうです

木造鬼神像は平成14年の北野天満宮1100年大萬燈祭のおりに

本殿の奥にあった長持ちの中から発見されました

かなりの傷みがあったので修復されて今回の初公開ということになったそうです

 
像の高さは60CMほど ヒノキで作られて当時は彩色が施されていました

誰かに似ているな~ フフフ ダウンタウン松ちゃんにそっくりです

特に目のあたり 13体とも松ちゃん似でした

手のひらを丸めていたり なにか武器を持っていた跡がありますが

今は残っていません 

 

記録によると平安京の大路小路の辻に置かれた岐神(ちまたのかみ)が

この木造鬼神像であるといいます 岐神とは 邪鬼が運んで来る災厄を入れさせないための守り神(鬼神)なので 邪鬼には鬼神でもって制するというわけです

画像は THE KYOTO 平安京の守り神 アートの見方 《十三鬼神像》よりお借りしました

 

そんなこんなで石の間拝観を終え

外に出て写せそうな擬宝珠を探しました

ジャ~ン 拝殿正面の擬宝珠です

右大臣 秀頼公 北野天神 一行読めず 慶長

って書いてあるよね ヽ(。´Д`。)ノ 

残念なことに秀頼のところに鋲が打ってある w( ▼o▼ )w

 

★鬼切

なんと スマホなら刀だけは撮影OK ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

 

 

髭切の所有者の中に頼朝は入れてもらってないね  。゚(゚^Д^゚)゚。

 

 

鬼切にまつわるお話し

源頼光は一条大宮に用事があり 渡辺綱に髭切を渡し使者として遣わした

深夜綱が帰る途中 一条戻り橋で美しい女に「夜道が怖いので送ってください」とお願いされて馬に乗せたところ 女が鬼になり襲いかかって来た

鬼は綱を掴んで飛び立ち愛宕山へ連れ去ろうとしたが

綱は少しも騒がず北野天満宮上空に来た時に髭切で鬼の腕を切り落とした

切られた腕は北野天満宮に落ち、鬼はそのまま愛宕山に飛び去った

 

渡辺綱は助かったのは北野天満宮のご加護だと

お礼に燈籠を寄進しました

綱が斬った鬼女は貴船神社の丑の刻参りの起源とされる宇治の橋姫だそうです

 

これが綱が寄進した灯籠です 

これって鬼が居た証拠になるかしら (σ≧∀≦)σ

 

★蜘蛛切(膝丸・薄緑) 大覚寺が所有

 

 押し型が鬼切と一緒に展示

蜘蛛切(膝丸・薄緑)にまつわるお話し

源頼光が毎日発熱し 頭痛を伴って苦しんでいた

夜明け方 源頼光は幽かな灯火により身の丈7尺ばかりの法師が

つかつかと歩み寄り源頼光を捕縛しようとしたので
驚きつつも跳ね起きて

「何者なれば頼光に縄をば附けんとするぞ。悪き奴かな」
と言い放ち 枕元に立てて置いた「膝丸」を手に取り法師に斬りかかった

灯台の下を見てみれば血痕が見られた。
看病していた四天王各自が松明を携えて見回ると

妻戸より簀子の方へ血痕が続いていた。

源頼光主従がこの血痕を追跡していくと、北野天満宮の後ろの大塚に到達し、
この大塚を掘り起こしてみると4尺ばかりの「山蜘蛛」が出てきた。
この山蜘蛛を捕獲した後、源頼光は 「安からざる事かな。これ程の奴に誑かされ、三十余日悩まさるるこそ不思議なれ。大路に曝すべし」
と言って、この山蜘蛛を鉄串に貫いてある河原に突き立てて曝した。
これ以後、「膝丸」は「蜘蛛切」と呼ばれた。

 

蜘蛛塚(源頼光朝臣塚)は上品蓮台寺にあります

 

そして 北野天満宮にある東向観音寺に
土蜘蛛の灯篭(火袋)=土蜘蛛塚があります

東向観音寺に入ってお堂の左に進むとすぐに伴氏廟があります

伴氏は道真公の母方です

 

その左にある小さな祠の中に 土蜘蛛灯籠の火袋のみ祠に入っています

 

梶の葉も探しに行きました

北門を出て左 天神川の橋の手前にメチャクチャ大きな木がありました

 

受付に並んでいるときに係の人に写していただきました Ψ(`∀´)Ψ

 

渡辺綱の灯籠を必死で写しているところを Tさんが激写

まるで夏休みの幼稚園児のようです

実は石の間の公開時間を間違っていたので 美味しいものを食べて待ちました

凄い雨が降ったけれど 奇跡的に宝物殿に入っていた間でした

Tさんと 持ってるね私たち って言うのが合言葉です

Tさん マニアックなお出かけにご一緒していただいて

いつもありがとーね 久しぶりにスッとしました ┗|*`0´*|┛