足利義昭上洛のために織田信長の命で築庭され
重森三玲により復元された独特の枯山水庭園がある真如院
信長はやはり鬼才でした (@⌒ο⌒@)b
歴代の足利将軍は大変な庭園好きです
尊氏は天龍寺
義満は金閣寺
義政は銀閣寺
義昭を京都に迎えるにあたって これぞというお庭を造りたかったのでしょうか
永禄11年(1568)9月26日織田信長が足利義昭を奉じて京都に入りました
室町幕府の実権を握っていた三好勢は各所で抵抗を試みますが
織田の軍勢に圧倒されて敗退を重ね 間もなく京都は織田信長が制圧したのです
そして10月18日には足利義昭が征夷大将軍となり
室町幕府は信長の軍事力を背景にようやく秩序を回復させました
織田信長は1568年に足利義昭を真如院に招きました
庭園はその際に造られたと思われます
真如院は堀川五条の近くです
普段は公開していないお寺です
門を入った左右も枯山水のお庭になっていました
真如院は日映上人により創建された日蓮宗の寺院です
お部屋の襖には『下り藤』の模様が並んでいました
下り藤は浄土真宗のお寺に使われることが多いのですが
それとは違って 単なる寺紋が下り藤ですと仰っていました
ご本尊にお詣りしましたが あまりに遠くってお姿がわかりませんでした
ヾ(≧ω≦)ノ でもご本尊のあるお部屋は格天井になっていて
どの枡も金色に輝いていました
お庭の横のお部屋には十界曼荼羅が掛けられ 奇麗な生花が活けられていました
さあ これが信長が造らせたお庭です
ジャーン (((o(´∀`)o)))
一目見て斬新 素敵よね~ ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪ こちらが上流です ↑↑↑
向かって右から左に流れていきます
こちらが下流です ↓↓↓
普通なら白い砂で表現される水の流れが
平べったい石の重なりで まるで鱗のように表現されています
これはアリです どうしてほかのお庭で見たことが無かったんだろう ?(゜_。)?
ただ 正直なことを言うと 私には左から右に流れていくように見えましたが 障害物があるとそこに波が生まれるんだったらこれでいいのかも ?(゜_。)? 難しい・・・
全体はこんな風に細長くなっています
★小堂
日蓮上人をお祀りしています
像は「拾遺都名所図会」にある「古井尊像」です
★呼子手水鉢
この手水鉢の右に母 左に父 中央に子供の名前が陽刻されており
幼くして亡くなった子供のために奉納したものだと考えられています
★烏帽子石(えぼしいし)
「都林泉名勝図会」には足利義昭公 烏帽子を掛け置き給いし石なりとあります また本圀寺の石を真如院にうつしたと「三州名跡誌」にかかれています
(義輝が本圀寺で戦勝祈願をした際にのちの義昭もその場にいたのです)
★瓜実灯籠(うりざねとうろう)
「都林泉名勝図会」には足利義昭公の銘なり と書かれています
しばしば出てくる「都林泉名勝図会」がネットで見つかりました
よく見ると この石はこれだな~と思えるものがいくつかありました
実はこのお庭は何度か手が入っており
昭和36年に重森三玲氏が改修に際して次のように記しています
①「都林泉名勝図会」を参考にした
②昭和11年に氏の行った実測図を参考にした
③地割りは実測図を重点を置きながら図会を参考とした。
④石組みは図会の室町様式に重点を置いた庭園
最も頭を悩ましたのは 奥行が図会の半分以下であることではなかろうか。そのため、図会とは異なり随分横長の庭園になっている。しかし、何といってもこの庭の存在価値は小判石を鱗形に敷いて、水の流れの小波を表現していることである。このような表現は唯一無二のもので、室町時代と桃山時代の革新の時代背景と信長の破天荒な性格がマッチして出来たものであろう。
難しいことは分かりませんが
なんて素敵なんでしょう ヾ(´Д`)ノ☆ と思えるお庭でした
ランチは 北山洋食カフェ和蘭芹が四条にお店をオープンさせたので行って見ました
エディオンの上です
Tさん 2日続いて遊んでいただいてありがとーね
川に水が流れる実験までしてくれました
貴方がいるから私も楽しいんです ♪d(´▽`)b♪